少女時代に、弟と両親を、流行病で相次いで亡くしています。
この悲嘆がいかほどのものか、想像するしかありません。
もっとも濃い肉親をすべて喪い、おばあちゃんのもとに引き取られ、育てられたそうです。私から言えば、曾祖母ですね。
非常に気むずかしいおばあちゃんだったそうです。
この人に好かれるのは至難の業で、結婚に当たっても、父とのことが認められるとは、なかなか考えにくかったそうです。
が。
なぜか、このおばあちゃん、父のことだけは認め、婚姻を許したそうです。
謎です。
母の人生は、単純に言ってもかなり激烈で、辛いことが多かったのではないかと想像されます。
そのせいなのか、性格面でも気性が激しく、白か黒かといった振幅が目立ちます。
あらためて母のチャートを作成してみると、いろいろな謎が解けてきます。
そのうち解読してみようと思っていたのですが、先日、時間があったのでその作業をやってみました。
昔のことです。昭和一桁の生まれ。
出生時間などもはや分かりません。
しかし、その後の人生や家族構成、性格などから、その出生時間を推定することはできます。ただ、この作業はかなり熟達した占星術師でないと、誤ってしまう可能性もあります。私の行った推定も、確実なものとは言えません。が、なかなか真実に近いところに迫っているとは考えています。
なにせ、息子ですから。(^_^)v
母は11月16日。蠍座の生まれです。
月は双子座にあります(これは私の兄の誕生星座でもあります)。
そして、母の出生時間はおそらくですが、夜の9時前後ではないかと推定されます。
こうしたときにだけ、裏付けられるいくつかの情報があります。
1.母の性格は極端である。白か黒か、すべてかゼロか、どちらかしかない。「だったらもうええわ!」というのが口癖。
2.最も近い肉親を流行病ですべて喪っている。
3.母の父親(つまり私から言う祖父)は遊び心がいっぱいの人だった(らしい)。
4.母は弟(つまり私から言えば、叔父に当たります)のことを嫌っていて、生前すげなくしていた。
5.祖母(つまり私から言えば曾祖母。え? しつこい?)の影響が大きい。
6.この出生時間にしたとき、母の月は私の太陽のほぼ対極に位置するようになる。
7.両親の他界にもかかわらず、経済的にはさほど苦労していなかったらしい。そのため金銭的にはかなりルーズなところがある。
8.息子の一人が小説家になっている(つまり私)。
ほかにもありますが、主だったところは上記のような項目でしょうか。
全体としては、散らばった形のスプラッシュ型と言えます。
多彩さを発揮しますが、まとまりのない人生となる可能性もあります。
午後9時に出生時間を設定すると、ASCは蟹座になり、当時そこにあった冥王星がASC付近に来るようになります。おそらく1ハウスにあったのではないかと想像されます(白か黒かといった激しい性格)。
4ハウスと10ハウスでは金星と天王星がオポジションで対立。辛い別離、離散、愛の喪失などが暗示される家庭運となります。
付随して12ハウスの月も、家族(月)が隠れる(12ハウス)暗示。
5ハウスの太陽は、幼少期の父親が遊興を愛する人物であった暗示。また自分自身もギャンブル的なことが結構好き。
7ハウスの土星は、晩婚相ですが、高齢者(祖母)の意向を強く受けた婚姻の可能性。またこの土星は冥王星とも対立していて、どちらも非常に因縁的な星。おそらく「この相手でないと」というような男性としか結婚しない。それは私の父であったということらしい。
2ハウスの火星は浪費的な傾向。
3ハウスの木星と海王星は、他界した弟の象徴。非常によく食べる、体格の大きな弟だったらしい。この木星も天王星とクインカンクスでハードアスペクト。水星、月のノードなどとTスクエア。
子供に関する5ハウスの太陽は冥王星と強いトラインで、同室に水星も。子供が冥王星的な力からの影響を強く受ける暗示で、私も兄もこの冥王星はASCに関わっている。また水星には作家という暗示も。
など。
符合する事実を拾い集め、つきあわせていくと、午後9時という数字がだんだん出てきます。
出生時間が不明な人も、詳しくディスカッションし、ほかにも重要な出来事が起きた年月日などを聞くことで、ある程度絞れるものです。とはいえ、これにはかなりの時間を要しますが。
母のチャートの中で、やはりひときわ目を引くのは、金星と天王星のオポジションでしょう。
辛い愛の喪失。これが家族関係の中で起きてしまった。
みな死んで、自分一人生き残ってしまった。
現在に至る、大きな流れの元がここにあるような気がします。
月・火星・土星はヨッドです。宿命的なアスペクトです。
冥王星の力は非常に強い。
なにか宿命的な人生、運命づけられた人生というのを、強く実感させるチャートです。
多くの人を鑑定していると、時にこうしたチャートに出会うことがあります。
人生の計画は、みな、自分自身で立てているものですが(ブループリント)、普通そうしたことは意識もしないし、知りもしないで生きています。
そして、
「なぜ自分だけがこんな目に」
というような運命の中を生きている人もいます。
現実主義の理屈の上だけで言えば、母は肉親をみな喪う必要などなかったはずです。
そのような人生が必要であるはずがない、というのが、現実的な考え方です。
一人残される孤独。
味わう必要があったのでしょうか?
母の家族は今、天国でどうしているのでしょうか。
そして彼らの「生」は、なんのためにあったのでしょうか。
その理由を推し量ることは、並大抵ではできません。
しかし、彼らと母がいなければ、今私はここには存在しておりません。
存在しているとしても、別な場所、違った形をしているでしょう。
そしてこれだけの体験をすることで、母は今の母として存在しています。
それに意味がないとは、私には考えられません。
無意味だとすれば、それはとても切ないことですし、この世に生きている喜びもありません。
やはりどのような悲嘆や苦難も、きっとなんらかの意味がある。
私はそう信じます。
そして受け継がれてきたチャートの宿命を、できるだけ良い形で次の世代へ引き継がせたい。
そう願っています。
