例の一生懸命モードのNさんは、陳列棚に商品を並べておられました。
店員さんはNさんを入れて二人いたのですが、Nさんのほうがレジに近かったので、きっとNさんがレジに入って、いつもの調子でやってくれるだろうと期待していたのですが、モードが最高潮だったのか、一心不乱に陳列しておられ、他の若い店員さんがレジに入ってきてしまって、ガクッ

Nさんに会計してもらいたかった

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うちの奥さんは、料理が上手です。
何を作らせても、だいたいうまいです。まれに凝ったものを作り、味付けに失敗するようなこともありますが、野菜を盛りつけただけのサラダといった単純なものでさえ妻が作ると美味しく食べられます。
これは不思議です。
たとえば私の母が作ると、同じ盛りつけただけのサラダでも、さして美味しく感じないのです。
同じ豚汁でも。
鍋でも(材料を切って入れるだけに等しいのに)。
じつは私の母は、昔からあまり食事を作ること自体が好きではないようです。
面倒くさい、仕方なくやっている、といった様子を、子供の頃からなんとなく感じていました。
私の子供たちも正直なもので、「おばあちゃんが作るのとお母さんが作るのとでは、同じものでも違う」と言っています。
しかし、私の帰宅は夜遅く。妻も同じ会社組織の中で部署が変わって以来、帰宅するのが8時半頃になってしまった今、子供たちにご飯を作ってくれる人がいるだけで、本当にありがたいことなのです。
だから、決して母の悪口を申したいわけではありません。
このブログは基本的に人の悪口、誹謗中傷はしないというコンセプトです(理性的な批評、批判というのはありですが)。
なので、申し訳なく思うのですが、やはり母の作るものは、もう一つおいしくないのです。
サラダでさえそうなのですから、この違いはどこにあるのかと考えたら、もう作る人の気持ち以外には考えられません。
妻は私たちに美味しいものを食べさせてあげたいという気持ちを持って、料理を作ってくれています。
その気持ち以外に、理由はないように思えるのです。
それがきっと盛りつけられたサラダにさえ、影響を与えるのではないかと。
なぜこんなことを書いているかというと、じつは昨夜、私の勤務するレストランの厨房でひと悶着あったのです。
デザートのことで料理人同士で喧嘩、口論。
ねちねちと言い合いをしながら、仕事が続きました。
私は料理を厨房に通し、運んで出すのが仕事ですから、「もういい加減にしてくれよ、大人げない」と思いながらその有様をずっと見ていました。
口論しながらの仕事ですから、どうしても手元がおろそかになっています。
火の見切り、だいじょうぶなの? とか、こっちも不安になってきます。
不思議なものです。
うちのレストランは総料理長の方針で、魚は天然物だし、オードブルからデザートに至るまでほとんどすべてが手作りです。
既製品を仕入れて使っていないということです。仕入れているのはフランスパンぐらい?
今の状態になってから、残飯が激減しました。
ずっと昔は山のように残飯が出ることもありましたが、今は違います。
なのになのに。
昨夜は結構、残飯が出ました。残されるのです、お客様が。
ちょうど口論が始まった頃からです。
もちろん口論がお客様に聞こえているなどということはありません。
が、やはり何かが伝わるのでしょうか?
料理も何かが違うのでしょうか?
口論しながら仕上げられた料理を運ぶとき、手から「気」を送って、「おいしくなってくれよー」と声をかけ、「邪気」を払って出そうとしたのですが、すべてには行き渡りませんでした。
そんなことをしながら、妻の作ってくれる食事のことを思い出していました。
きっと作る人の心は、食べる人にも伝わる。
だって、命を分け与える行為なのです。
野菜だって魚だって、牛肉だって、生きていたものを私たちは食べている。
生命を頂いているのに、それが汚されるようなコンディションで作られたら……。
女性に限りません。
台所に立つときには、明るい気持ちで食べてもらう人に愛を送って上げて下さい。
きっとそれが最高の調味料。
三つ星レストランのコック長にも負けない魔法の力。
