否定されるべきものはなにもない(ちぃさんへの解答) |  ZEPHYR

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「破局の可能性がない結婚なんてない気がするのですが…占星術的にダメだと、もう普通は乗り越えていけないものなのでしょうか?」
「ほとんど星の上では離婚の要素などないカップルもいるかと思います。そんなカップルでも破局することはあるのでしょうが、その場合は、どこに原因があるのでしょうね」

ちぃさんのコメントは私への直接的な質問ではないかも知れませんが、皆さんも関心がおありでしょうし、これらの問いかけは重要な問題を孕んでいます。
で、稿を改めまして、ここに記事にしたいと思います。
ただ、これは「現状の」私の考えであり、唯一絶対に正しいものなどと主張するつもりはありません。それどころか「正しい」解答などないと考えております。
それをご理解の上、お読み下さい。
尚、この記事は<藤原紀香さん陣内智則さんの離婚について><紀香・陣内の二人から見えてくるもの>の後を受けて書かれるものなので、未読の方は参照されると理解しやすくなると思います。

ちぃさんの仰るとおり、厳密な意味では破局の可能性がない二人というのは存在しません。ただ、ほとんどその可能性はない二人というのは存在します。
条件的なことを言えば、男女の双方に離婚相がないことと双方の家庭運が良好であること。この二つの条件が満たされている二人は、まず離婚は起きないと考えられます。
出生チャートはその人の人生の設計図のようなものなので、そこに明記されないことは基本的に起きないと考えられます。
離婚する夫婦は、そもそも出生チャートの中に離婚する要素を二人とも持っていることが多いのです。ただ片方にだけ離婚相があり、片方にはないというケースはあり、それで離婚が起きるということも事例としてあります。この場合、女性側に離婚相が出ていれば、現実に起きやすいということも言われています。
しかし、双方に離婚相がゼロである場合、離婚の可能性は格段に下がります。
これに加えて家庭運が双方共に良好であれば、まず離婚の可能性はないと考えることができます。
家庭運は結婚運と同様に、夫婦の問題では重要です。離婚相はないのに、家庭運が非常に悪いために離婚に至ったケースを私は見ています(この場合は、嫁姑とか、他の家族の問題として浮上してくることが多い)。

ただどんな二人も可能性をゼロにはできません。
というのは、これらの基礎的な運気以外にも重要な要素があります。
それが「縁」です。
一緒に暮らしていく二人には、共有される運気というものがあります。夫が会社を首になる、あるいは経営していた会社が倒産する、というような出来事が起きたとき、その奥さんのチャートにもなんらかの運気的な影が出ているはずです。
好調期にはやはり好調期の影が。
子供が結婚しそうなときには、二人共に家庭内に慶事があるような星位が確認されるはずです。
こうした共有する運気がずっと続いていくこと。これが「縁」なのです。
この「縁」があるとき、途切れる可能性はあります。
離婚相がなく、家庭運が良好な二人でも、この縁の切れ目でばらけてしまう可能性はあるのです。

「えー、そりゃ大変だ。うちは大丈夫だろうか?」
と、あまり心配されなくても大丈夫です。
まず離婚相がない、家庭運が良好という二人で結婚されている場合、設計図的には「離婚をしない人生」というのがそもそもあるわけで、すべてはその前提に立っています。
そういう二人の場合、縁も生涯続いていくものです。
逆に離婚する二人こそ、縁の切れ目が未来に用意されていると考えられます。
だからこそ、そこで終わってしまう。

しかし、それでもなお可能性をゼロにできないのは、占星術法則が当てはまらない人間というのが、この世には確実に存在するからです。
それについては後述しますが、そんな人間の実例に、私は過去、一度だけ出会ったことがあります。そのときの記事もありますから、この記事に最後に過去記事<西洋占星術が当たらない人間に遭遇>へのリンクを張っておきます。興味のある方は参考にして下さい。
そのきわめて希なケースに入っている場合、離婚というのは普通の人間とはまったく違った理由で起きると考えられますが、あまり枝葉に話が分岐するとよろしくないので、今日はやめておきます。
しかし、占星術法則を超えた人間というのは本当に、きわめてきわめて希。99.99%の人はこの法則内で生きています。

そういうと、不満に思う人も出てくると思います。
「ふん。そうか。やっぱり運命だの宿命だの、そういう『縛り』が人間にはあると言うんだな。だから占いなんか嫌いなんだ」
これは健全な、普通の感覚だと思います。
私のように占星術にのめり込んで研究していると、もはやそっちの方が普通になってしまいがちです。
しかし、世の中のかなりの多くの人が、この『縛り』への拒絶反応を持っています。

「占星術的にダメだと、もう普通は乗り越えていけないものなのでしょうか?」
ちぃさんの問いかけにも、拒絶反応ではないのでしょうが、所詮決められた運命への悲しみのようなものが感じられます。そうですよね?

そこで先へ進みたいと思います。
占星術的にダメだと、もう普通は乗り越えていけないのか?
この質問に対する答えは、通常、二つあります。
「そんなことはない。努力次第で乗り越えていける」
「その通りです。占星術的にダメな場合、普通は乗り越えられません」
本当はどちらなのでしょう?

私はこれまでこのブログで、「未来は決まってない」「自分努力次第で、どのようにも変え得る」ということを訴えてきました。この基本姿勢は変わらないし、宇宙法則的にはこれが真理ではないかと思っています。
なぜなら先端物理学は、量子の世界において、物質も未来も非常に不確定で不安定なものだと証明されてきているからです。
ビリヤードの玉を突くように、精緻に計算された角度と力で、機械のように正確に玉を突けば、その先にどのような「未来」が起きるのか、すべて予測できる。これが一昔前の物理学の考え方で、それを突き詰めていけば、すべての物質の原子や電子の位置を特定しさえすれば、思考を行う脳さえ物理現象なのだから、未来をすべて予測し得るはず……。
しかし、研究が進むにつれ、この過去の唯物的な物理学では実験結果をフォローできなくなり、電子もその位置を特定することができず、さらに細かい素粒子の世界では、物質はきわめてあいまいな、存在しているのかしていないのか分からないような代物だと判明してきました。
つまり客観的に未来を予測することはできない。

占星術師であろうが物理学者であろうが、また霊能力者であろうが、未来を予知した、自分にはできる、などと軽々しく口にする人がいたら、要注意です。
それは無数にある可能性の一つでしかない。その人は本気なのかも知れませんが、その人がかいま見た一ページのみを切り取っているだけかも知れないのです。
量子理論はむしろ、私たちにそっくりな人間、そっくりな世界が微妙に位相を変えながら無数に折り重なって存在する多元宇宙の存在をほのめかしています。多元宇宙の別世界での私は、今のような家庭を持たず、まったく違った仕事をし、別な環境に暮らしているかも知れないのです。
人生のあのとき、もし右ではなく左を選んでいたら? そうしたらすべてのシナリオは変わったかも知れません。そのすべての可能性が、すべての世界が、あいまいな存在しているのかいないのか分からないようなかたちで漂っている。そのすべてを内包したのが、宇宙というものなのかも知れません。

そう考えると、人間には無限の可能性があり、未来への無限の選択肢があることになります。
これについては、私は肯定的に考えています。
ゆえに、未来は決まっていない。
ならば、努力次第で乗り越えていけるはずです。

が、こと結婚という問題に関しては、自分だけでは事は済みません。
相手がいます。
自分だけで努力しても、相手がこたえてくれないこともあります。
たとえば愛し合って、お互いを尊重し合うことを誓い合って結婚した。そして奥さんは旦那様のために一生懸命、美味しい食事を日常的に作り、気遣いを忘れず、良い奥さんであろうとした。が、旦那さんの方がとんでもない放蕩者で、女遊びばかりする。ギャンブルもする。酒も毎日浴びるほど飲む。そしてトラブルばかりを家庭に持ち込んでくる。こんなケースも現実にあります。
こんな状態がいつまでも続けば、普通の女性は耐えられません。

現実的な観点でいえば、じつは占星術的にダメな場合(ダメという言い方はあまり好きではないのですが、分かりやすいので今はこの表現をとりますが)、ほとんどのケースでやはり結婚そのものがうまくいかないことが多いのです。
「しかし、努力すれば変えられるんだろ?」
はい、それは正しいです。非常に強い離婚相を持ちながら、決意してその未来を変えた男性を私は知っています。放置しておけばそのような結末になった可能性は高かったのですが、彼はその未来を断固として拒否したのです。
そして、そのために必要な行動を取った。
努力すれば、たしかに未来は変わります。ただ、それは多くの場合、一方だけの努力ではなかなか難しいのです。やはり人間ですから、感情があります。気持ちがあります。岩に向かって「愛している」「私の方を見て」と言い続けても、かえってくるものはありません。そんな冷たい岩のような相手だったら、変えることは難しいのです。
この場合、その岩のような人間(つまり離婚の原因を造る側)にこそ、変える努力をしてもらわなければなりません。

現実的には、離婚相を強く持つ夫婦の場合、離婚に至る確率は高いように思えます。
ただ離婚相というのは、詰まるところ別離をもたらす作用のことを言いますから、かならずしも離婚という形を取らないものです。配偶者を事故や病気で比較的早くに亡くす、非常な長期にわたる単身赴任、何か特殊な事情による別居状態なども、起こってくる現象の中にはあります。
一昔前の女性は、この星を持っている人が夫を戦地に送り出し、亡くしているのです。しかし、現代日本では徴兵も戦争もなく、医学も進んでいる(簡単に死なない)ため、離婚という形を取ることがもっとも多くなったと考えられます。
いずれにせよ、占星術はトータルで見たとき、その人について、あるいはその夫婦の関係について、かなりの洞察と予測を立てることができます。
これは動かぬ事実で(少なくとも私にとっては)、もしこの法則性がきわめていい加減なものなら、合理的思考を行う私はとっくの昔に占星術など投げ出しているでしょう。

本来は不確定で、いかようにも変え得るはずの未来をなぜ予測できるのか?

この解答は、二つの側面から申し上げることができます。
一つは、さっきのビリヤードのたとえ話を思い出して下さい。
玉の質量や大きさ、微少ないびつさ、玉相互間の距離、マットの上を玉が走るときの抵抗係数、こうしたものをすべて計算に入れて、一定の力と角度で玉を突けば、どの玉がスポットに落ち、どれが残るか、予測が立ちます。実際、ビリヤードが上手な人はそういう計算を脳の中で高度に行ってプレイしています(ゴルフなんかもそうですね)。

そう。きわめて物質的な領域にはまり込んだ私たちというのは、やはりかなり予測しやすい硬化した存在になっているのです。
物質的になればなるほど予測しやすくなるのです。
私たちは変幻自在に存在を変化させられる、自由で解放された存在とは違っているということなのです。
それゆえ、占星術はある人、ある夫婦の関係や未来についても、星々の相関関係に基づいた神秘な解答をもたらすことができるのです。

そしてもう一つ、別な観点からこの問題についての解答を提示することができます。
それは、これも繰り返しこのブログでは紹介してきた、科学的なアプローチによる「生まれ変わりの研究」とその報告によるものです。
欧米では退行催眠や臨死体験の研究が進んでいます。深い催眠状態に落ちた人は、自分が忘れているような過去の記憶も思い出すことができ、ゼロ才、あるいは胎児の時の記憶も持っている。そしてその前は?というと、みな、前世の記憶を思い出す。
思い込みが作り出す幻想ではない証拠に、「人間はモノであり、死んだら無になる」と信じている人に退行催眠をかけても、やはり前世の記憶を思い出す。
そして、前世と今世があれば、その間(中間生=つまり、あの世)の記憶を思い出すケースもある。
その研究報告によれば、人の魂は中間生で、次に生まれるときのためにエネルギーを蓄えたり、勉強したりしている。そばには指導してくれる光(指導霊のようなもの?)があり、アドバイスもしてくれるのだが、その中間生で魂は「次なる人生も計画を立てる」のだといいます。
「前世ではこんなことを体験し、学んだ。だから次はこんなことをしよう」
「前回の人生でやり残したことがある。どうしても悔いが残る。だから、次の人生では絶対にやり抜こう」
「前回の人生で、あの人との間に大きな溝ができてしまった。憎しみあって別れてしまった。次の人生ではそれを解き、分かり合いたい」
人によって様々な思いがあり(決して一つではない)、それに沿ってプランが練られます。
生まれる環境をはじめ、どんな肉体的な特徴を持ち、どんな性格で生きるか、そういったことを決めているのだそうです。もちろん、親もすべて自分で選んでいる(たとえ、どんなにひどい親でも)。

この生まれる前に、自分の人生の計画書を造るという話は、こうした科学的手法によって行われた研究報告以外にも、これまで洋の東西の神秘家、霊能力者、アカシック・リーダーなどによって指摘され、「ブルー・プリント」などとも呼ばれています。それらの情報が、科学的な手法によって裏付けされたわけです。
この計画の中には、ほとんどの場合、「なにもかもうまく行く人生」は描かれません。
自分に見合ったレベルの、何らかの試練や逆境が用意されています。しかし、それをプランニングするのもすべては計画者である自分ですから、自分の力ではとうていクリアできないほどの課題は、もともとセッティングするはずもありません。
そういう意味では、人は皆、自分の身の丈に合った逆境や苦労を味わうようになっているのです。

このプランニングの中には、当然、出会うべき人、結婚する相手、儲けるべき子供なども含まれています。つまりあの世的には、自分が結婚する相手(や、親族や特別な親友のような人物)というのは、いくらかの幅や複数の候補はあるかも知れませんが、すでに申し合わせがあり、ちゃんと出会うべき時に出会うことになっているのです。
つまり赤い糸は、実在しているわけです。

ただこのプランニングの中には、たとえば今回は生涯を独身で、あえて孤独感と戦いながら、自分を強くするために生きよう、とか考えているケースもあります。
子供がほしくてほしくてしょうがないのに、夫婦仲も良いのに、子宝に恵まれない人生をプランニングし、そのような環境の中でこれまでとは違った人生観や価値観を身につけようとしている魂もあります(子供に縛られず、自分をもっともっと解放できる、自由な生き方をするため。あるいは血縁というものへの執着から、もう少し意識をグローバルに拡大し、血のつながらない子を養子にして、本当の子と同様に愛することを学ぶ人生を生きるため、など)。

ともかく、独りで生きようと決めているのでなければ、誰もが「運命の人」が存在することになります。
ただ、ここで問題なのは、その魂が今回の人生で学ぼうとしていることは、かならずしも「結婚して幸せに暮らしました。めでたしめでたし」というようなおとぎ話的なものではない、ということです。
場合によっては、二つの魂の間で「離婚」という経験を通じて、それぞれに何かを学ぼう、何かレベルアップしようと考えているケースもあるということです。
つまり……。
普通、この世では離婚は失敗、良くないものと考えられています。
しかし、離婚はあの世的にはお互いの合意の上で起きている可能性もあるのです。

離婚のすべてがそうだというわけではありません。
たとえば前世でお互いの無理解が原因で別れたカップルがいて、「今度こそ添い遂げたい」と願って二人とも転生したとしましょう。
彼らの間には当然、前世からのカルマというのか、癖のようなものが持続すると考えられます。
やがて出逢い、結婚しますが、離婚の危機は常にあります。二人とも離婚相を持っているはずです。
なぜなら、今度こそちゃんと添い遂げようというのは努力が必要です。無努力でそれができるのなら、なんの成長もありませんし、もう一回やり直す必要すらありません。
難しいこと(離婚の危険)があるからこそのチャレンジなわけで、そんな二人は離婚相を持ちながら、かろうじて際どいところで思いとどまれるようになっているはずです。

私がこれまで多くの人を鑑定してきて、「離婚相はあるが、あえて絶対にそれを起こす必要はない。何とかやり直せるのではないか。むしろ、やり直すことが求められているのではないか」と感じるような人は、実に多く存在しました。
それでも、そういうケースでの多くの人が、結果的には離婚に至っています。
しかし、それらの中には、本人は自覚はないですが、本質の魂の部分では、
「やっちゃったよ……痛恨。また離婚しちゃった。今度こそちゃんと二人で生き抜こうって約束してたのに……ずーん」
と思っているかも知れないのです。

その場合は、さらにもう一度やり直そうということも起き得るのかも知れません。

しかし、そうでない離婚もあるということです。
「別れ」は人の人生にとって、きわめて重要な要素です。その体験を通じて学べることは多く、そこでしかできない成長もあると考えられます。
離婚を奨励するわけでは決してないですが、占星術的には「もう絶対に別れた方がお互いのため」と思うような組み合わせもあるのです、現に。
そんな二人の場合、離婚はおそらく失敗でも「良くないこと」でもない。

そう。
実は本質的な意味での「失敗」などないのです。

これは私の個人的な考えですが……、
あの世で作成した計画書「ブルー・プリント」、これが現世的に顕れたものがホロスコープ・チャートです。

そのように考えるとき、占星術のホロスコープ・チャートはこれまでとはまったく違った意味を持ちます。それは星や神様が人に与えた強制的運命ではないのです。
本人が望み、計画したことです。
そこに離婚相が現れていたからといって、何だというのでしょう?

私は藤原紀香さん・陣内智則さんが離婚することにも、今の肉体を持ったご本人たちにも窺い知ることのできない深い意味があるのだろうと考えています。
だからこそ、そのような時期に結婚している。
結果、離婚に至る。

そこに何の不都合もない。

ただ、ご当人同士や親しい人々、あるいは彼らの結婚を祝福してきた人々が、この離婚を悲しんだり残念に思ったりするのは、当然あっていいこと。
そういう気持ちを味わうことすら、私たちがこの世に生きていることの理由なのだから。

「占星術的にダメだと、乗り越えていけないものなのでしょうか」
この問いに、もう一応お答えできたと思います。
答えは、実に玉虫色で、ありきたりなものです。

「できる場合もあるし、できない場合もある」

ただ、それは一般に考えられているような意味合いとは異なっている背景があるということです。
離婚が本人たちが選んだ、辛いけれど、貴い選択かも知れないのです。

乗り越えられなくても、チャンスは無限にある。
乗り越えられないことから学べることもある。
乗り越えてこそ、見える未来もある。得られるものがある。
それが転生を繰り返す意味。

否定されるべきものはなにもない。

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pyonchanzさん。
ありがとうございます。
今後も精進致します。