18日と20日が危険ということを追加予測として申し上げておりましたが、じつは18日と20日のそれはまったく同じ星の作用が強く働くポイントが二つ確認できていたのです。
ですから、このどちらで起きてもおかしくはなかった。
両日に分かれて発生する場合は、マグニチュードが比較的低くなり、M6台でおさまるのではないか、しかし、もしどちらかだけだったらM7台になるのではないかと、ひそかに推測しておりましたが、やはり実際には20日に偏って発生したため、M7.6もの規模になったと考えられます。
被害情報が伝わってきていないのが幸いです。
昨日遅く、沖縄本島近海でもM4.9とかなり大きめの地震が発生しております。22日前後はかねてから指摘していたとおりです。
しかし、22よりも18、20のほうが大きなものが来るというのが、今回はっきりと事前予測できたことは大きな収穫でした。
私がやっている手法に間違いないなさそうだというのが、これで見えてきました。
そのうち、「地震占星学の基礎理論」なんてものをこのブログ上で書こうと思ったりしています。
そう思うようになったのも、地震が占星学的に引き起こされるメカニズムというのが、これまでになくはっきりと見えてきたからです。
前に書いた、バイキンマンとドキンチャン。これらの正体が、はっきりしてきたのです(笑)。
ほかにもいろいろと世の中では動きが。
21日にはチベットで暴動が、イタリアでは反マフィアのデモが大規模に行われました。
こうした大群衆が動くような事件も、無関係の地で連動したように発生するものです。
また火災についても、あちこちで大きな被害がまだ持続しています。
22日、米モンタナ州で航空機が墜落、17人が死亡。
そして今朝、成田でも貨物機が着陸に失敗、炎上しています。
これらの出来事の解析は、また後日に譲りたいと思います。
さて。
前記事は非常に長くなったので、切りの良いところで一度脱稿しました。
続きを、と思っていたところ、pyonchanzさんから非常に良いところに目をつけられたコメントが。
>前世からのカルマというのか、癖のようなものの持続がなければ....つまり、カルマの浄化、心癖を治す行為が多ければ多いほど、運命的呪縛から自由になる可能性が高いということでしょうか。ならば、聖人、宗教家は占星術が当てはまらないケースが多いと推測されます。
恐れ入りました。前記事からそこまで読み取られましたか。
実はそれが今日の記事で書こうと思っていたことなのです。
「カルマ」というのは仏教的には宿業とか呼ばれ、悪い癖のように思われています。そのような側面もあると思います。
ただ、「人間が輪廻転生するというその目的はなんだ?」という観点に立てば、前記事を詳読して頂ければ分かるように、否定的なものとも言えないのではないかと考えられます。
たとえば前世で憎しみ合って別れた二人が、今生で和解と理解へ踏み出して行くには、やはり今生でも無理解や反撥が前提としてなければ、「分かり合う」というプロセスも達成できないことになります。
つまり必要なものとして、最初から用意されているということです。
こうして考えると、人間関係のカルマのほとんどは、愛や思いやりで解消できることになります。
根本的には「赦す」ことが大事なのでしょう。
相手だけでなく、相手に憎しみや反撥を持った自分をも(憎んでいる自分に許可を与え、いいことにしてしまい、憎しみ続けるというのとは違いますよ、念のため)。
こうした人間関係の問題も、ホロスコープ・チャートにはだいたい表れているのが普通です。
「あなたは人間関係で悩み、苦しみます」
「友人の中に非常に悪い関係が見られます」
「親子関係がうまく行っていないのでは?」
「子供が大きな障害や問題となります」
こういったことは基礎的な運気として読み取ることが可能です。
では、これらの星々のサインは、生涯その人に与えられた業罰なのでしょうか?
違いますよねー(笑)。
そんなはずはない。
だって、生まれ変わりの研究によれば、私たちは自分で自分の人生を計画しているんですから。
罰を自分で自分に与える? マゾですかっ?!
って話です。
チャートに示されている問題点は、私たちが解消していくべき問題点を示しているに過ぎません。
それが解消しきらず、何度も繰り返し同じような出来事が襲ってくるとしたら、大きな学びをしなければならないところを、何度もスルーしてきている可能性があります。
解消さえされれば、問題となっているハードアスペクトは、逆にその人の力となります。
同じだけの強さで、今度はプラスに働くと考えられます。
つまり、人間は愛によって生きればいい。
じつはただそれだけで良いのです。
占星術など、愛によって生きる人には必要ないのです。
ちぃさんから、「何らかのキッカケで結婚を考える二人が、普通は占星術で離婚相だの確かめたりしませんよね?」というコメントがありましたが、その通りです。
私のような者は、それを予知もし、アドバイスもできますが、普通の人はいちいちそんなことを気にしません。仮に離婚相があったからといって、それで結婚をやめる人もそうそういません。普通に「好きだから結婚する」で、それでOKなのです。
「だったらどうして、極めて離婚率が高い二人が結ばれたりするんだろう」という疑問は、じつは答えは簡単で、離婚相を強く持つ人ほど、普通の人よりも「結婚」をしたがるという現実があります。
なぜなら、離婚という現実は結婚という前段階がなければ発生しないからです。
離婚相を持つ多くのカップルは、じつは「自分と同じように離婚相を持つ相手をわざわざ(無意識に)選んで結婚している」のです。
しかし、だからといって離婚相を持つ二人が確実に離婚するわけではないことは、前記事でも申し上げました。
ただ愛をもって生きる。相手を尊重して生きる。
そうしたことが互いに実現できれば、この離婚相はたちどころに解消されます。
難しいのは自分だけではなく、相手があることだ、というのはすでに申し上げました。
したがって、占星術師としての私のスタンスは、離婚をすでに経験した人については、
「それは仕方がありませんよね。そこからあなたが何かを学んで成長するためのプロセスとして必要だった出来事と受け止めましょう。そして新しい可能性を求めましょう」
まだ離婚が現実化していない二人には、
「はっきり申し上げて離婚相が強いですが、それは二人が愛と思いやりを持って解消できる、その試練として用意されているものです。愛する人を大事に思い、生涯を共にしたいのなら、相手を尊重し、愛することを忘れないで下さい」
という、きわめて単純明快なものです。
離婚という現実は、あるカルマのようなものを次に引き継がせるかも知れません(次の人生に)。
しかし、離婚した相手とでも、今生の中でこじれた関係を解消させることもできます。
一つ一つの出来事の根を引っこ抜いて、きれいに洗って食べてしまって消化する。
もし、こういったものすべてをクリアした人がいたなら、この人は占星術的な呪縛からは解放されているはずです。
聖人や宗教家は、運命的な呪縛は適応されないのでは? という指摘は、まさに的を射ています。
といっても、宗教法人の代表、教祖がすべてそうですとは、とても言えない現実ですが、まあ、真の意味で宗教的な生き方をしている人という意味ですね。
私はイエスやブッダは、こうした運命的な縛りは、超越していると思います。
ただ、その時代に生きて、その人の運勢を観測しないと、正確なところは何とも言えないのですが、少なくとも法則的にはそう言えると思います。
先ほどから申し上げているように、カルマの多くは愛や思いやりで解消されます。
なぜならこの世に生きて起こってくる問題の大半が、他の人間たちとの間で起きてくる問題だからです。
敵対関係も男女の問題も、ほとんどすべてが。
イエスやブッダは、愛や慈悲によって生きています。
これが可能になった人間が、占星術的な鎖から解き放たれた、自由で解放された魂だと言えます。
また前記事の中で、「硬化した存在」となっている人間の運命こそ予測しやすいということを書きました。
硬化した存在とはどういうことか?
それは日常の中で、もう機械のように固まってしまっている人間のことです。
たとえば日常的に博打をし、次の日もまた次の日も、負けても負けても博打に行く人間。この未来を予測することは、占星術師でなくても簡単です。
行く先は借金地獄や破産です。
これはまさしく「硬化」です。
物質的な側面で硬化すると、人間は日常の中で、ただ昨日を同じ事を繰り返すだけの存在になってしまいます。
人間関係でも「硬化」はあります。
たとえば私の周辺に、私が非常に嫌いな人間がいるとしましょう。
なぜ私はその人のことが嫌いなのでしょうか?
それは私の中に、その人の過去の言動のデータが蓄積されているからです。
私は朝、その人に会うと、まずその人の過去のデータから言葉や出方を予測してしまいます。
「嫌なことを言うんじゃないか」とか、そういう心理的な動きが生じます。
すると、少なくとももう素直で愛情に満ちた言動は、こちらからは返しにくくなってしまいます。
しかし、そうしたものから解き放たれて、ただこの瞬間の相手のことを見ることができたなら、彼が今どのように感じ、なにを思っているか、もしかしたら何かに悩んでいるかも知れないことも洞察できるかも知れません。
それが「自由な精神」「解き放たれる意識」だと私は考えます。
前記事の最後にリンクを貼っておいた過去記事に登場しているある女性ですが、この人はすべてのカルマからは解放されてはいませんが、私が占星術的に推測できる「性格的な問題点」をほとんど自身の中に持っていませんでした。
あっけらかんとした、楽天的な女性でした。
人生を明るく捉え、何事かあっても、飄々としてそれをやり過ごす。
そんな雰囲気を身にまとっていました。
99.99%の人は、運命的な呪縛を受けているということを書きましたが、その女性は性格的な部分に関しては例外中の例外でした。
99.99%というのは、私のだいたいの憶測に過ぎません。
実際にはもう少し多くの運命の超越者がいるかも知れません。
ただ、それはイエスやブッダのような有名人でもなく、ただの市井の人かも知れないのです。
あなたの隣にいる、ただいつもにこにこしている、爽やかな雰囲気を持つ人かも知れません。
人知れず、ただ安らぎと癒しのみを振りまく路傍の花のように。
