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昨日は娘と息子と一緒に、初詣をしたzephyrです。
妻は仕事で同行できず。それ以前は私が仕事でへろへろなので、できませんでした。
まあ、旧正月や節分頃に改めて行ってもいいし。
おみくじは「末吉」でした。
息子はなぜか毎回かならず「大吉」を引きます。
この能力というのか、運の強さというのかたいしたものだと思います。
娘は「小吉」。
帰りの車の中で、おみくじの吉凶のランクはいったいどのようになっているのかという話になりました。
調べてみると、「大吉・吉・中吉・小吉・末吉・凶」という順序のものと「大吉・中吉・小吉・吉・末吉・凶」という順序のものがあるとか。
ありゃ、末吉は凶の手前ですか。
まあ、おみくじの真意は書かれている内容にあるそうですから。
私の場合、「願事」は「他人(ひと)と共にして吉。我が儘にせねば諸事叶(かなう)」でした。
こりゃ、私が主宰している小説創作集団ZEPHYRの活動のことですな。そういえば、昨年も同じようなことが……。
「待人」は「来る。驚く事あり」。
なんだろ。楽しみですな。
私の場合、おみくじにはタロットと同じようなシンクロニシティ効果があると考えているので、決して馬鹿にはしていません。でも、私が本当に引きたい「神教おみくじ」というのが、昨年から地元の神社になくなってしまった。
また妻と一緒に行くとき、どこか別な神社で引きたいと思います。
さて、正月休みも終わりましたね。
世間様は日常。
私は昨日ようやくの休みだったわけですが、久々に家でゆっくり過ごしました。
今日はもうすでに大学の講義があります。
本日のお題は、「松本清張・点と線」。
私などが語るには偉大すぎるお方です。
しかし、氏の業績に触れないと、日本の推理小説史は語れないのもまた事実。
以前、このブログでも清張氏のホロスコープ解読を行ったことがありますが(<松本清張氏を占星術的に読み解く>を参照下さい)、ハードアスペクト(占星術上の凶角)だらけの人物でも社会的に成功できないわけではなく、むしろそのエネルギーを逆転して大成功を収めることができる可能性を、私たちに示してくれています。
もちろんそれには大変な努力が必要なのですが。
氏の水星(小説を司る星)は輝いておられます。
そして星は使えば使うほど、輝きを増すものなのですね。
おみくじやその年の運気が少々悪くても、人は意志の力で輝くことができます。
なにか衰運を示すような予兆が、星や世の中の出来事に暗示されているとしても、断固、それを拒絶してしまうことが人間にはできます。
人の心は、無限のマジック。
不運をハードアスペクトやおみくじ、その他の出来事の因果ばかりのせいにしてしまってはいけません。
そんなふうに思えば、それは現実となります。
しかし、意志と選択、そして良き思いが人生を創造するのだと信じれば、その良き思いも実現します。
今日は、すでに故人となられた清張氏に敬意を表しつつ、教壇に立ちたいと思います。
今年度の講義も今日を入れて、残すところは3回。
気合いを入れて行って参ります。
良き思いが良き未来を創造すると、知っているから。
注・今朝の記事を、加筆修正しました。