脱走兵の娘たち |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

以下の記事は、ご本人の了承の元にUPさせて頂きます。


生命は神秘そのもの。
魂がどのような目的を持ってこの世に生を受け、どのようなプロセスを経て、何を体験しようとしているのか、人知で推し量ることは難しいものです。時に悲しみの淵で、時に絶望の底で、人は運命や神を呪います。なぜ自分だけがこのような目に遭うのか、と。
しかし、その推し量ることが難しい領域のことに、占星術はある解答や示唆を与えてくれます。

某日、私はある方の占いに赴きました。
依頼者の方はまだ若い、とてもきれいなお嬢さんでした。仮にAさんとしましょう。Aさんのお顔を拝見した瞬間、すぐに思い出す別な女性、Bさんの顔がありました。
並べたら、まったく別人の顔です。しかし、顔の造作、各パーツの印象が似ているというのか、直感的に「ああ、2人はきっと同じ上昇星座だ」と思いました。

生年月日、それに出生時間を聞いてみたら、やはり。Bさんと同じ水瓶座の上昇星座でした。
前にも記事にしたことがあるので、ご存知の方もいらっしゃるでしょう。上昇星座というのは、その人が生まれたときに東の地平線にあった星座のことです(太陽が位置する、いわゆる12星座とは異なります)。上昇星座は、その人の第一印象や、容姿を左右すると言われ、人生全般にも大きな影響を与えます。
上昇星座のうち、東の地平線のことを、とくにアセンダント(ASC)といい、このASCもポイントとしては重視します。

Aさんの鑑定を進めていく過程で、様々なことが分かりました。また運気上の裏付けも多々あったようで、ご本人も納得されておられました。
とくに心配されているのは、今後の恋愛・結婚のことでした。
占星術で見ても、タロットで見ても、はっきりと表れているのは、束縛を受けて邪魔される運気にあるということです。過去にも、そのようなことでの失恋があったようです。
Aさんの場合、親御さんがとくに彼女に対して過干渉、過保護なところがあり、そこに問題の本質があるようでした。

親御さんにしてみれば、可愛い娘さん。
私も娘を持つ父親として理解はできます。しかし、子供は親の所有物ではありません。独立した人格を持っています。
ましてや水瓶座のASCを持つとなれば、水瓶座の特質である独自性、独立心というものが、本来の星座に加味されていきます。
反撥もするでしょう。

その時点では、できうるすべてのアドバイスを行い、帰宅しました(私は占いを商売のためにやっているのではないので、そのときはあれ、次のときはこれみたいな出し惜しみはしません)。
しかし、帰宅後、Aさんと容姿の似ているBさんのホロスコープを開いてみて、ぎょっとしました。

なんと、上昇星座が同じだけじゃない。度数も同じだったのです。
2人はまったく同じ水瓶座2度のASCなのです(一つの星座は各30度)。
「なあんだ、それくらい」と思わないで下さい。ASCは4分に1度ずつ移動します。
そして一日で12星座を一周します。つまり毎日、水瓶座2度の人は世界のどこかで多数生まれている計算になります。
しかし、逆に同じ水瓶座2度のASCの人間は、一日の中でたった4分の中にしか生まれ得ないという言い方もできます。

容姿や印象を司るASC。それが同じ度数。
Aさんに会ったときから、私がBさんのことを思い出していたという符合だけでも、まったくすごいことなのです。
2人は年齢も誕生日も、まったく違います。
しかし、ASCだけは一致している。
道理で似ているわけです。
そして、私は気づいてしまいました。

似ているのは顔だけではないということに。

サビアンシンボルというものがあることを、このブログでも何度も取り上げています。
12星座の1度ずつにそれぞれ象徴的な意味を持たせた前衛的な占星術手法です。たとえば牡羊座の11度は「国家の支配者」というサビアンシンボルですが、これを重要なポイントに持つ人間は、やはりその組織内でかなり高圧的な態度に出ることが多く、他人を認めなかったり、意見を聞き入れなかったりする傾向があります(非常にわかりやすい例ですが。良い意味で指導性を発揮する人もいます)。

AさんとBさん。水瓶座の2度の、サビアンシンボルは――
「海軍からの脱走兵」
このサビアンシンボルは、自分を拘束し、縛り付けるものから自由になろうとする行動、意欲を現します。海軍という象徴は、往々にして自分の生まれ育った家であったり、また辞めたいのになかなか辞められない職場であったりします。
ASCはその人が、この世で生きていく上での意欲や姿勢、状況などに深く関わるので、AさんとBさんのお2人は、何かから自由になろうとするプロセスが、自分の人生と深く関わっていることになります。

これに気づいたとき、Bさんのこれまでのことが、私の脳裏に蘇りました。
Bさんは最初、家に反撥し、結婚しました。そして、旦那さんに問題が多く、結局離婚。しかし、子供もいますし、その元旦那さんとの縁は切ろうとしてもなかなか切れないものがあります。どこまでもしつこく、ねばっこくからみついて来続けて、その言動にいまだに悩まされています。
自由になりたい。
これはおそらくBさんの心の叫びです。あるときはそれは家であったのですが、それが今は元旦那さんになっている。

「海軍からの脱走兵」
この同じサビアンシンボルを持つAさんもまた、何かから「自由になりたい」という願いを強く持つ人生を歩むかも知れません。
その時々で、何かに縛られ、そのつながりに苦しめられるかも知れません。
しかし、彼女たちの人生のシナリオの中には、その束縛からの解放というものが秘められていることになります。
自由を得る。
それは大きな喜びです。しかし、その大きな喜びは、その前提条件として「自由を阻まれる」ことがなければ成立しません。
闇がなければ、光を光として感じることができないのと同じです。
産みの苦しみの果てに、嬰児を抱く喜びがあるのと同じです。

そして、それは具体的に嫌な相手から縁を切るとかいうことも含まれるのかも知れませんが、本当の意味での自己解放は心の中にこそあるのだという示唆でもあります。

人は心の中では、真の意味で自由です。そしてその領域は、決して何者にも傷つけられません。
それに目覚めたとき、人は完全に自由に生きることができます。いかに身の回りにしがらみや束縛があろうとも、精神だけはその影響を超越しています。

時には勇気を持って、それまでのつながりを断つことも重要です。
そして、それ以上に、いつでも人は自由になることができるのだと知ることが、さらに重要です。

願わくは、彼女たちにその喜びの遠からんことを。