大学の講義で、「ノックスの十戒」について話したzephyrです。
ロナルド・A・ノックスは1888年、イングランド国教会マンチェスター主教の家に生まれました。名門、オックスフォード大学では生徒会長を務め、やがては聖職者でありながら、推理作家にもなった人物です。
すでにコナン・ドイルのシャーロック・ホームズは世に出ており、推理小説(探偵小説)は黎明期から発展期に入ろうとしていました。
ノックスは推理作家の心得たる「十戒」を明文化しています。それは推理作家が、それまで無意識的に、あるいは意識的に使いこなしてきた技術や創作姿勢を分析したものです。以下、当時の彼の文章のまま掲載します。
1.犯人は、物語の初期の段階から登場している人物であらねばならぬ。しかしまた、その心の動きが読者に読み取られていた者であってはならぬ。
2.言うまでもないことだが、推理小説には超自然的な魔力を導入すべきではない。
3.秘密の部屋や秘密の通路は、せいぜい一つにとどめておかねばならぬ。
4.現時点までに発見されてない毒物、あるいは、科学上の長々しい説明を必要とする装置などを使用するべきではない。
5.中国人を主要な登場人物にすべきではない。
6.探偵が偶然に助けられるとか、根拠不明の直感が正しかったと判断する、などは避けるべきである。
7.推理小説にあっては、探偵自身が犯行を犯すべきではない。
8.探偵が手がかりを発見した時は、ただちにこれを読者の検討に付さねばならない。
9.探偵の愚鈍な友人、つまりワトソン役の男は、その心に浮かんだ考えを読者に隠してはならぬ。そして彼の知能は、一般読者のそれよりもほんの少し(ほんの少しである)下回っているべきである。
10.双生児その他、瓜二つといえるほどに酷似した人間を登場させるのは、損存在が読者に予知可能な場合を除いて、避けるべきである。
このうち「5」については今時、きわめて人種偏見的な意見で、もはや時代錯誤も甚だしい表現です。
ノックスは上流階級の人物でした。まして、大英帝国がインドを植民地化し、中国にアヘンを持ち込んで骨抜きにしたという時代背景があります。彼の言う「中国人」というのは、彼の視野に存在した、社会の主役にはなれていない中国人のことで、召使いとか料理人とか、彼の感覚では「下々の人間」を指してのことだと推察されます。
どっちにせよ、今は真面目に取り扱うべき項目ではありません。
しかし、ノックスが他に挙げている心得は、実に合理的なものです。
「1」について考えれば、たとえば犯人が物語の後半になって突如現れた人物だとしたら、これは読者を納得させるだけの説得力を物語に持たせるのは、きわめて難しいといえるでしょう。
「2」の超自然的な魔力ですが、現代においては多少この辺は緩和されてきていると思われます。たとえば斎藤栄さんの「タロット日美子」とか、あるいは霊能力そのものを持った探偵が最近は登場してきています。が、やはり基本的に推理小説の解決は「論理」であり、本格であればあるほど、こういった要素を謎解きそのものに導入するのは避けなければなりません。透視や読心で犯人を言い当てても、なんにもならないのです。
「3」の秘密の小部屋や通路は、これがたくさんあると、読者の興味、知的な刺激は薄れていきます。密室殺人現場に抜け穴があったなどというオチは、確実に読者の期待を裏切ります。
「4」については、これもまた現代においては多少、基準がゆるんできているようです。要は読者が知り得ない情報を解決に使うな、ということなのですが、ノックスの生きていた19世紀後半から20世紀半ばまでと異なり、読者は様々な情報を入手しやすい環境が整ってきています。
「6」は偶然や奇跡が事件を解決したりするものではあってはならないということです。やはり探偵自身の知力や様々な能力をもって解決しなければならない。
「7」はすでに過去においても、時折、犯されることのあった禁忌です。探偵自身、あるいは刑事が犯人。しかし、これはその1人の作家が数十という創作を行った中で、希に存在する一つのイレギュラーとしてなら許されるということで、いつもいつもこんなものを書いていたら、読者は「また同じ手か」とうんざりしてきます。
「8」は推理小説にとって重要な要素で、探偵が入手したものに限らず、読者にはできうるかぎりの情報提供をしなければなりません。これが不十分だと、読者は最後の謎解きの段になって、自分の知らないことが解決の材料に使われたと知り、がっかりすると同時に憤るでしょう。
「9」のワトソンについても、納得するところが多いでしょう。彼の知能がなぜ読者よりも少し下回っているほうがいいのかというと、彼の言葉を読んだ読者が、彼よりも少し先を考えやすくなり、先を読み進めやすくなるのです。あまりワトソンの知能が高いと、彼の考えはすべて披露しているわけですから、読者はその先にある名探偵による真の解決にまで行きついてしまう可能性があります。
「10」の双生児や瓜二つの人物ですが、そんな人間が物語の中に無原則に登場したら、その同じ顔の人間の証言やアリバイなど、何の意味も成さなくなります。
こういうことを考えていくと、ノックスの十戒は確かに良くできた心得だということはいえます。
この十戒の本質は、二点に絞ることができます。
一つは「作者と読者がフェア」であること。
もう一つは「読者の興味をなくさせない」ということ。
この十戒(意味のあるのは九戒だけですが)に書かれていることを犯せば、かならずフェアな精神を傷つけるか、読者の興味をそいでしまう結果になります。
このノックスの基本的な精神は、今のところミステリーの世界で生き続けているようです。謎解きを主眼とする本格ものであればあるほど。