昨夜はまだ体調が優れなかったので、できれば早めに仕事を上がらせて欲しいと要望していたのですが、そういうときに限ってお客さんが結構来たり、手のかかるお客さんが粘ったりという状況が発生するものです。
こりゃダメだと判断した段階で、モードを切り替えて、ラストまで頑張り抜きました。
今朝起きてみると、結構回復していることが分かりました。
昨夜、帰宅後に家内がお好み焼きを作ってくれ、熱々のそれを食べているとぶわーっと汗が出てきたのが良かったのかも知れない。
うちの奥さんは、たいてい私の帰宅を待っています。
カレーみたいな温めればいいだけのものでも、ほとんどの場合、家内が温めて出してくれます(自分でするから先に寝てくれと言っているのに)。
お好み焼きなんかでも作ってラップをかけておいて、帰宅後にチンでいいはず。
それをわざわざ目の前で焼いてくれる。
でも、汗が噴き出すほどあったまるお好み焼きは、やはり電子レンジで温めたものでは無理があるだろうなと思います。
家内の愛に感謝です。
ふと先日、ある男性と会話したときのことを思い出しました。
その男性は30代で、自宅に車が一台しかなく、職場まで普通は奥さんは車で送り迎えしてくれている。
「良い奥さんだね、いつもいつも送り迎えしてくれて」と、私。
「まあ、でも、それは当たり前じゃない」
「なんで?」
「だって、オレ、その分頑張ってるもん。頑張って働いてるもん」
「…………」
「なに? なにか言いたいの?」私の沈黙に、彼は何か気づいた様子。「それは自分で言っちゃいけないってこと?」
勘の良い人なので、分かったようだ。
「そう。それは奥さんに言ってもらうこと」
「でも、言ってくれないもん。だから、自分で言うしかないじゃない」
まあ、人それぞれだし、他人の夫婦関係のことまであれこれ相談もされないのに口出しする性格ではないでの、議論は引っ込めました。
私は奥さんにいつも言ってもらっている。
「いつも、頑張ってくれてありがとう」と。
私も、いつもご飯を作ってくれる奥さんに感謝している。
この二つのことが「当たり前」になってしまったら、もうその夫婦はヤバイのではないだろうか。
いや、それなりにやってはいくだろうけれど、心の密接なつながりは失われつつあるように思える。
二つのことだけではない。
生活の様々な断片で、私たちは相手に感謝すべき局面に遭遇しているのですが、ついそれは見過ごされがちになります。
では、日頃奥さんに感謝されていない(ことはないかもしれないけれど、少なくとも言葉や態度では表明されていないと感じている)前述の彼が、どうすればいいのか?
簡単なことなのです。
彼の方から奥さんの日常的な行いに感謝すればいいのです。
職場に送ってくれること、夜遅くなっても迎えてくれること、食事を作ってくれること、掃除や洗濯をしてくれること。
彼の方からそれを表明するようにすれば、奥さんもそれを返してくれるようになります(普通なら)。
幸せというのは、そういうありがたいことに感謝する気持ちの積み重ねの上にあるのかも知れませんね。