光を灯す人となれ |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

ぐっすり眠って、ようやく回復したzephyrです。
まだ、ちょっと不安ですが。
このところの世界的な「気」にあてられたのかも知れませんし、自分自身で悩みすぎてしまったのかも知れません。

世界中で、悲惨が渦巻いている。
そんな「気配」を感じます。一方で、なにか「光」も強まっているような印象を受けます。
日差しが強くなれば、影もより色濃く出るように、出来事や人間にも二極化が起こっている?

たとえば人間でいえば、善良でやさしい人や他人の生命のために尽くすことのできる人と、利己的で貪欲、自分の内的な「負」を周囲にまき散らす人間とに分かれてきているような気がします。
このような分類の仕方は、かなり乱暴で、とことん突き詰めたら差別につながりかねないので気をつけなければなりません。
しかし、接客業をしていると、最近、目の当たりにするお客様の姿から、それを実感することがあります。
日常生活の中、たとえばスーパーで買い物をしている親子、レンタルショップで話をしている親子などにも、明瞭にそれを見出すことがあります。
そう、とくに親子の関係で、感じることが多いようです。
人として当たり前のことをしている親と、子供に向かって「それでもあんたは親なのか」と言いたくなるような仕打ちをしている親。

ミャンマーではサイクロン被害での死者は77000人を超え、まだ増え続けていて、最終的には10万に達するのではないかと言われています。にもかかわらず、ろくに外国からの救援を受け入れない軍政は、まるで子供に満足な食事も与えず、暴力をふるうDV親のようです。
インドやスリランカではテロが相次ぎ、また地震があるのではないかと危惧していた15日には、ナイジェリアで石油のパイプラインが爆発する事故があり、少なくとも100人以上が死亡したというニュースも(これも本来ならトップニュースに近い)。
四川省大地震で、すでに28000人を超える死者が確認され、なお生き埋めとなっている人が1万人以上いる中、懸命な捜索作業を行っている人たちと救助された人たちの報道が伝えられると、苦難の中でこそ強い光を放つ何かを感じさせてもくれます。

その流れは、まだ加速するのかも知れません。
占星術でも、苦難の星が頭上にあるときにこそ、希望を失わず、未来を信じて生きることが、次なる時に大きな幸福をつかむことにつながるという事が古来言われてきました(この場合、苦難の星とは土星なのですが、実際、昨年から今年の前半期、火星と土星が非常に強力に世界情勢に働きかけるということは、前々から述べているとおりです。今まさに土星が我々の世界を覆っているのです)。
私たちも、苦難の中でこそ、より輝くことができます。
苦難の中で、その苦難を与えた神や社会、あるいは特定の誰かを呪うのか。
それとも希望を最期まで捨てず、光を灯す何かを行うことができるのか。

今後の世界と、あなたの人生の分かれ目は、そんなところにあります。
どうか、光を灯す人となって下さい。