アクセルとブレーキを踏み間違えた結果、車が暴走して事故を引き起こすケースがここのところ増えているとそうです。
じつは先日、私たちが日常的に通行する町の道路でも、同種の事故があり、家族4人を巻き込みました。女の子が死亡、父親が重傷。女の子は完全に車体の下に入ってしまい、警察が駆けつける前に近所の人間で車を持ち上げて、女の子を引っ張り出したという。
悲惨な事故です。
事故車は老人が運転しており、やはりペダル操作を間違えたことが原因。
お子さんを失った親御さんの気持ちを思うと、堪らないものがあるし、事故を起こした老人も、悔やんでも悔やみきれず、やりきれない思いでしょう。
この事故が起きた直後、うちの娘は現場付近を車で通りかかったそうです。物々しい雰囲気で、大変な騒ぎだったらしく、通行もできなかったので迂回したという話ですが、現場ではそのようなことが起きていたのです。
現場には今もたくさんの花が手向けられています。
4月以来の「暴走」の運気は、もうそろそろ終息に向かうはず。これでこんなことは終わってくれたらいいのですが。
一方、ミャンマーのサイクロン被害は、死者が10万人(!)を越える可能性もあるという。
食料などの物資も不足している被災地では、このままでは餓死者が出てさらに死者が増える危険も。
にも関わらず、ミャンマー軍事政権は海外からの援助関係者の入国を拒み、送られた救援物資も足止めさせ、被災地へ行き渡らない状態にしています。
そんな中で10日、国民投票が強行されました。
この5月、もっとも不穏な日として指摘していた日です。
アウン・サン・スー・チー氏の大統領選出の可能性を排除し、軍の権限維持を目的とするエゴイスティックな新憲法案。果たして、どうなるのか? 反対票が過半数を占めたとしても、本当に公正な開票が行われるのか?
10日以降の5月の傾向は、「エゴの強化」。それはミャンマーで顕著に起きたようです。
ミャンマー軍政が支援を拒み続ける理由は、そのようなものに頼ったらプライドに傷が付くから、などという見方もあるようです。実際にそういう側面もあるのかも知れない。
だが、いささか不可解な意固地さに映らなくもありません。
物資はともかく、援助関係者は特に頑なに拒み続けているが、本当は人を入れたくない理由が別にあるのではないか、と疑いたくなります。
今回のサイクロン被害、どの地域にどの程度のものが出ているのか、詳細は定かでありません。南西部、エーヤワディ川の河口、デルタ地帯のラブッタだけでも8万人の死者と言われている。
実際には内陸部でも大変な被害が出ているのではないでしょうか。
とすれば、本当は10万人などというものではない。サイクロン被害としては、最大のものとなるかもしれない。
この災害が発生したときの、ホロスコープには「神意」の発現が示されていました。それに気づいたときから気になっていたのは、ラオス・タイ・ミャンマーの国境地帯、世に「黄金の三角地帯」と呼ばれる地域のことでした。
ここはアヘン・ヘロインを生み出すケシ畑の高原地帯で、世界最大の麻薬地帯なのです。
ここで生産された麻薬が、過去、ミャンマーの軍事政権やカンボジアのポル・ポト派の資金源となっていたことは歴史的事実です。現在、この麻薬生産組織であるマフィアとミャンマー軍事政権の関係がどうなっているのか私は知りませんが、関係は切れていないだろうということは推測できます。
もしそうでないなら、ミャンマー軍事政権はこの麻薬地帯の摘発と撲滅に動くはずだからです。
今回のサイクロン、「ナルギス」の進路を見ると、ミャンマー南部から見事なほどに黄金の三角地帯を目指していることが分かります。直撃コースと言っていい。
そしてこのナルギス、もっとも勢力が発達した時点では、「カテゴリー4」という最大級の勢力に達し、風速100メートルをはるかに超える暴風が、地上の建造物さえ消し飛ばすものだったようです。
おそらく、ですが、黄金の三角地帯は壊滅的なダメージを受けていると思われます。
人的被害も現在報道されているようなものでは決してないと推測されます。
ミャンマー軍事政権が人的な支援を受け入れないのは、そこに外国の救援活動とメディアが入ると、これまでの実態が知られてしまうからではないのか?
麻薬生産を黙認し、マフィアと癒着し、そこから利益を受けていた自分たちの実態が。
マフィアの下で、アヘンを栽培していたのは農民です。
「生活のため」「これしかないから」というような現実はあったのかも知れない。しかし、自分さえよければいいという考えでは、もはやいけないのかも知れません。
そういう時代に入ったのかも知れません。
人間の輪廻転生の科学的研究の中ではすでに、人間がこの世で生きているときには、「人間関係の波及効果」「自業自得の法則」が働いているという報告が成されています。
自分が誰かを傷つけたら、そのダメージが巡り巡って自分に返ってくるという因果応報の法則です。
これは国民にも、国家にも当てはまると考えられます。
自分(自国)さえよければという考えで、他人の生命や尊厳を損なう行いをしていると、そのツケは自分自身に思わぬところからはね返ってくる。
そういう観点で日本を考えると、もう戦後、六十数年、日本は外国のどことも戦争などしていません。少なくとも直接に戦闘参加するということはしていません。
これはこの国が誇るべき歴史です。
人に愛と感謝を捧げましょう。
それは、やがて自分に戻ってくる。
人を愛することは、そのまま自分を愛することです。