なるようになる |  ZEPHYR

 ZEPHYR

ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

この記事は、ある1人の女性のために書きます。が、他の多くの人にも、きっと参考にして頂けると思います。

世の中には、一般的に「正しいこと」と「間違っていること」があると考えられています。
ある特定の男性とお付き合いすることが正しいのか間違っているのか、たとえばそれが不倫なら? 今の職業に従事し続けることが正しいことなのか間違っているのか、もしそれにうんざりしていたとしても? 自分の好みや願望を曲げても、経済力などを考慮して両親の勧める国公立大学に進学した方がいいのか、それとも自分が経済的な負担を負ってでも自ら選んだ私立大学に進んだ方がいいのか。
常に人は、悩みます。

あきらかに誤りで、あきらかに邪悪なものが歴然としているとき、悩む必要はありません。あえてその邪悪さを志向しないかぎり、人として取るべき道は一つしかないでしょう。
殺したいという衝動があるとき、それを実行に移すのが良いことなのか悪いことなのか――? 問うことさえ愚かでしょう。
しかし、上記のような事柄で、本当の意味での「正しさ」「間違い」を判定することは、きわめて難しいと言わざるを得ません。
たとえば国公立大学と私立大学を選択するとき、様々な条件を考慮して、「親の言うことを聞いた方が正しいのか、私立を選ぶことは間違いなのか」という問いかけに、正確に答えることは、実は誰にもできません。
自分では不本意ながら国公立に進み、しかし、そこで運命的な出逢い(将来結婚する人やかけがえのない友人、また今後の人生を左右する先生や教えとの出逢い)があるかも知れません。自分で選んだ私立大学に通うために、学費を稼ぐためにバイトをしていたら、本来の目的がおろそかになってしまうことだってあります。しかし、もしかするとそのバイト先で、新たな展開が待っているかも知れません。

不倫関係でもそうです。
先日、ホテルに来たお客様の中には、長いこと不倫関係を続けていたが、この度、ようやく正式な婚約に至ったというカップルがいました。今はラブラブです。これまでの不倫時代、彼らの関係は世間的には「いけないこと」「正しくないこと」でした。
しかし、彼らが偽りの前夫婦関係から脱して、本当のパートナーとしての幸福をこれからつかみ取れたなら、誰が彼らの不倫時代を、ただ道徳や倫理だけを持ち出して非難できるでしょうか?
なら、愛情の冷めた前の夫婦関係を、どこまでも続ける方が正しかったのでしょうか?
もちろん、努力次第で冷めた夫婦関係も愛を取り戻すこともあるでしょう。しかし、こういう問題は相手が必ずあります。自分が努力しても、相手が応えてくれないことだってあります。それに、どこまで努力すればいいの? ということにもなってきます。
死ぬまで努力して、連れ合いの最期の瞬間に、「すまなかったね。ありがとう」という言葉を聞ければ、それもまた価値ある人生かも知れません。
それよりも、早期に見切りを付け、お互いにより良きパートナーを求め、あるいは1人になって、これからの創造的な人生を構築していくようにした方がいいということも、当然考えられます。

人は1人では生きられません。現実的にも精神的にも、です。
1人でいろいろな現実と戦っていかねばならないような状況で、自分に力になってくれる存在がいて、その人がすでに既婚者であった――その人は現状の婚姻関係を壊すことなど考えられず、それでも自分のことを愛してくれ、支えになってくれている。
こんな微妙な関係も「悪」と言い切れるか?
無責任な他人が、その烙印を押すことは簡単です。

何が正しくて、何が間違っているのか(いたのか)、本当の意味での答えは、人生の最期の瞬間にしか得られないでしょう。しかも、それを本当の意味で判定できるのは、他人ではなく、自分です。

そして、何が良かったのか、何が間違っていたのかということは、本人でさえ、人生のどの時点でそれを判定するかで、結論は違ってきます。
18才のときに熱烈な恋愛をし、親の反対で結婚できなかった。35才まで、そのことを悔やみ続け、親の勧める結婚をし、うまく行かず離婚。その後は独身で生きてきたとしましょう。彼女にとって、その親の18のときの反対は許し難い出来事で、無理を通せなかった自分の弱さも許し難いかも知れません。その時点まで、彼女にとって人生は「間違った」ものでした。
けれど、36になった頃、魅力的な優しい男性が彼女の前に現れて、「一緒になろう。君こそ、僕の思い描いていた女性だ」と言ってくれ、その後、2人には幸福な人生を開けたとしたならば、「この人に出遭うために、それまでの人生があったのだ」=「正しかったのだ」と思うことも可能になります。

しかし、考え方次第では、最初の18のときの男性とならば、もっと何倍も幸せになれたはずだと、思い込むことも可能です。
二番目の男性との結婚生活に波乱が起きたとき、うまく行かなくなるようなことがあったとき、人はついそのように考えてしまいます。

これで、おわかり頂けると思います。
「正しいこと」「間違っていること」は、人の観念の中にしか存在しないのです。
その観念の中には、社会通念やら常識やら法律やら、そういったその人の価値観を支配する物事がミックスされています。
その上で、どのような判定を下すか、ある出来事にどのような価値を見出すかは、本当にその人にしかできないのです。


よく占いに来られた方の中には、「自分はこの先どうしたらよいのか」「どうするのが正しいことなのか」「これをすることが良いことなのか悪いことなのか」といった質問をされる方がいらっしゃいます。
この答えは、じつは占星術ではうまく出せません。
占星術はその人の基本的な運気を読み取ります。ですから、その人の持つ個性や美質を殺してしまうような選択ならダメだという判定を下すことができます。あるいは時期がふさわしくないとしてアドバイスすることもできます。
タロットは右か左かという具体的な選択のアドバイスも可能にします。しかし、タロットや易などは、その人のたった今のコンディションから導き出される結論です。未来永劫は保証しません。現在のコンディションが維持される、せいぜい2~3年が限度でしょう。
同じ問題でも、そこから占いをやり直せば、別な結論が出てくると考えられます。

タロットカードで、「Aという方法が正しいか」という問いかけをしたら、それに対応した答えは必ず出てきます。
しかも、現コンディションから導き出された「現状の答え」でしかないということです。
なぜなら「正しい」「間違っている」の判定基準を持っているのは、その人自身だからです。ところが、その判定はその人自身でさえ、時の経過と共に変わる可能性すらある。
そしてタロットは、その時点でその人が「正しい」と感じる方法しか示しません。

「Bという目的地に到達したい」「Cという形の成功を手にしたい」「Dという結果を得たい」――というような、はっきりとした命題を設けて占えば、そのために何をしなければならないか、何をするのが良くて何がいけないのか、はっきりとします。
これのない漠然とした判定は、実はどんな占いでもできないはずなのです。

ですから、こういった悩みにあるときには、自分自身に問いかけて下さい。
自分はこの先どうなりたいのか、ということを。

「正しいこと」と「間違っていること」は、その人の考えの中にしか存在しないものです。しかし、人間は生きている以上、自分でそれを決め、選択していかなければなりません。
その判断を思い悩むのは、結果を気にするからです。
今、このときの自分の選択によって生じるであろう結果。それを先に知りたがるからです。

それは多大な消耗をその人にもたらし、不安を呼び起こし、疲れさせます。
どうか、そのようなことに思いまどわされず、この瞬間をしっかりと味わって生きて欲しい。今を大事にして欲しい。

なるようになる。

そう思うことも大事です。