ちょっと前に、霊能力というものは本当にあるか、というような記事を、江原バッシングに関連して書いたことがあります。
私は過去に、世間的には霊能力者と呼ばれる人たちと、複数出会っています。
しかし、そういう呼ばれ方をする人でなくとも、いわゆる霊能力、超能力というものは発揮することができるし、そのような時期、コンディションがあると思っています。
そのように思うようになった出来事について、お話ししましょう。
それは今から十数年前。
娘がまだ3~4才の頃の話です。
ある日、私は娘を連れて、住民票か何か、必要な書類を取るため、倉敷市役所の児島支所へ出向きました。
支所の玄関を入ると、その正面奥の方で何かの写真パネルをたくさん展示しているのが目に入りました。
昭和20年8月6日、広島に原子爆弾が投下されました。
その惨状の写真の数々でした。
私は作家ですから、興味を抱くもの、知っておきたいものなら、どのようなものであろうと見る機会があれば見ようとします。
私はごく自然に、そっちの方へ行こうとしました。
そのとき――。
「パパ! 行っちゃダメ!」
ロビー中に響き渡るような声で、娘が叫びました。
彼女は玄関を入ったところで固まっていました。
「行かないで! 戻ってきて! お化けがいっぱいいるの!」
正直、ぞおっとしました。
私は写真パネルが展示されている方を振り返りましたが、ごく普通の中年の男性がいるくらいで、そこには何もいません。
なるほど。娘は違うものを見ている。
しかし、私はそのようなものに自分は害されないという確信がありましたので、パネルをぐるっと見て回りました。
娘はその場を決して動こうとはしませんでした。
うちの子供たちは小さい頃、特にパパっ子で、べったりでした。その子が、私のそばに寄ってこない。異常な出来事です。
私が戻ると、ようやく安心したようで、手をつないで用事を済ませました。
彼女は何を見たのでしょうか?
科学合理主義では、この説明はできません。
いろいろ理屈はつけられると思います。
たとえば彼女はとても視力が良くて、遠目に原爆の惨状の写真を見て、怖くなったのだろう、とか。
とても頭のよい子で、「原爆写真展示」とかいう表示を見て、怖くなったのだとか。
あるいはその場にいた他の人が、本当にお化けみたいに怖く思えたのだろう、とか。
嘘をついたのではないか。
しかし、これらには無理があります。
まずどんなに視力が良くても、当時の写真です。
白黒です。
まして建物はぐしゃぐしゃに破壊され、人体などは炭のように黒こげになっている写真なのです。よほど近づかないと、何が写っているのか分かりません。
どんなに視力が良くても、それがなんであるか、3~4才の子供に認識できるはずがないのです。
それに視力が良いといっても、限度があります。娘と展示場の間には、おそらく十メートル程度の距離があり、いかに大きめに引き延ばされたパネルとはいえ、何が写っているのか、細かいところまで見えたはずがないのです。
パネルの多くは衝立の両面にかけられ、それは支所の玄関から見て垂直に立てられていたので、その場に行かなければその面を見ることもできません。
彼女が自分の視力で、写真の中身について何かを言っていたとは、どうしても考えられないのです。
また娘は小学校にも上がっていない、幼稚園にも行っていない年です。「原爆写真」とか、そんな漢字や意味が分かるはずもありません。
他の人間がお化けのように見えたという説も、あり得ないと思います。他にはたぶん一人か二人くらいしか人間はいなかったと、私は記憶しています。娘が叫んで、すぐにそこを振り返って確認しましたから。
しかし、子供に怖いと感じさせるようなおかしな人間はいませんでした。
嘘。
3~4才のお父さんに甘えたいばかりの純粋な子供が、大好きなその大人の手を放してまでつかねばならない嘘でしょうか?
彼女はたしかに、そこに何かを見たのです。
それは現代の科学合理主義では説明できない何かです。
娘が見た「お化け」がその写真に起因していることは間違いないでしょう。
こうした話は、よく聞きます。
写真に何かが写っている。
持っていると祟るような写真がある。
しかし、娘が見たのが原爆被害者の不成仏霊なら、その写真が焼き増しされたら、それだけ不成仏霊もコピーされるのでしょうか?
それは、なんとなくおかしな話です。
だとしたら、この世の中は大変なことになっているはずです。
それともある写真の中の霊が浄化され、成仏したら、他の焼き増しの中のそれも同時に浄化されるのでしょうか?
この辺はどう解釈したらいいのか……。
私自身に霊能力がないので、わかりません。
が、どんな計測器にも反応しない、普通は目にも見えない何かを見る力が、人間にはある。
それは間違いないし、私は娘の見たものを疑いません。
もともと人間は可視光線の領域しか見ていません。
聴覚で聞き取れる範囲も限定されていますが、人間に聞き取れない周波数で交信する昆虫もいます。
見えない、聞けないからといって、それらがそこに存在しないわけではない。
むしろ人間が見て、聞いている世界は、全世界のごく一部なのだと知れば、そういったものがないと考える方が非科学的なのではという気持ちにもなってきます。
2009/07/18 改稿