雨の日に歩くのもいいもの |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

昨日は1月に亡くなった親戚のおばあちゃんの四十九日で、四国へ渡ってきました。
そして息子の中学校の卒業式でもありました。
家内は卒業式へ。
その関係で、中学校までは私は車に乗せてもらい、そこからバスで最寄りの駅まで向かうことに。
ところがバス停に立ってみると、次のバスが来るまでになんと20分もある。
私はぼけっと待つのはあまり好きでないので、しばらく歩くことにしました。
歩きながらものを考えるのが好きなたちで、しかも普段の仕事柄、歩くことはまったく苦にならない。
バス代の節約にもなるかと思い、てくてく普段は車で通過する町の旧道を歩いていると、いろんなものが目に飛び込んでくる。

学生時代、時々寄ることがあった本屋が、今もひっそりと続けられていること。
いつの間にかなくなっている建物。
普通の商店の軒先に、「探偵社」の看板がいっしょにかかげられていたり。
これにはびっくり。
こんな田舎町で探偵社なんかやっても、客は来ないだろうに。
いやいや、浮気調査くらいならあるかも……。
いや、それでもこんな狭い町だ。どこかで人間関係がつながっていることが多く、相談に来るには非常に勇気がいるだろう。
私の占いだって、なまじ面識のある人は内容が深刻な場合は、勇気を振り絞ってくるもの。やはり知られたくないようなことが相談内容であることが多いからだ。
もちろん私も相談者の秘密は守る。
相談を受けた内容を、他人にぺらぺら喋ったことは一度もない。
探偵にしても依頼者の秘密はかならず守るだろうが、それでも相談に行くのは大変な勇気がいる。
占い以上に大きな決断が必要とされるだろう。

そんなことを考えながら歩いていると、パラパラと雨が。
だんだんひどくなってきた。
やれやれ。傘も持っていないのに。
晴れ女の家内がいっしょでないと、こんなものだ。

何度か申しましたように、私は「雷雨男」です。
私が出かけたとき、何事か始めるときは、よく雨が降ります。
しかもそれが普通の降り方ではなかったりします。

ZEPHYRスタッフの薫葉君は、雨が降るのを縁起が悪いと考えているようですが、私の場合はむしろ逆の取り方をします。
自分はたぶん系統的に龍神寄りで、丹後の元伊勢に行ったときも、ものすごい雷雨の出迎えを受け、その後、劇的な虹を見せられたことがありますし、去年の九州取材でも阿蘇で激しい稲光と雨に迎えられ、旅行中に二度も虹を見ました。
大好評だった大阪でのイベントも、取材の日はずっと雨。
大学の初講義の日も土砂降りでした。

私はそれを歓迎の意と受け取っています。
実際、そうした成り行きの果てに、事態は良いように転がっていくことが多い。
これは個人の感じ方の問題で、薫葉君の場合は雨降りが縁起が悪いと思っているのですから、それはそれで良いのでしょう。それに沿った出来事が起こってくる。
私の場合はそうではないというだけのこと(そういえば、縁起担ぎの薫葉君に渡すものがありますから、近いうちにお会いしましょう)。

ともかく、雨宿りのできるバス停までたどり着き、そこからバスに乗って駅へ。
無事、四国へ渡り、お勤めを果たしてきました。