すべてが良くなるように |  ZEPHYR

 ZEPHYR

ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

はっちさん。
そして、メールを送って下さったKKさん。
ありがとうございます。励まさなければならない立場なのに、励まされてしまった……。
いけませんね。こーゆーことでは。

でも、幸せになって欲しい人に苦難が訪れたとき、自分にもっと力があればと、どうしても思ってしまいます。
なんで、こうなんだ。もういいじゃないか。いい加減、その人を幸せにしてあげてくれよと、運命の女神たちに文句を言いたくなります。
でも、本当は分かってはいるのです。
どんな苦難も、その人(の本質)の了承なしに起こっているわけではないのだと。
世界は完璧なのだと。

しかし、やはり感情は別です。私だって人間なんですから。

By the way,(ところで)
私は毎日、日課にしていることがあります。
何事も三日坊主的なところがある私が、もう何年もほぼ365日やっていることがあります。
それは毎朝、神棚にお供えするご飯と、仏壇のご飯とお茶を用意することです。
そして、神棚に毎朝、祈っていることがあります。

「すべてが良くなりますように」

この言葉の意味は、実際はちと深いです。
なにもかも自分の都合の良いように、自分の利益になるように、自分が辛い思いをしないように、というような意味合いで願っているわけではないのです。
自分が一人の男として、この人生で経験できるであろう、すべての経験が十全に得られ、その中で自分が十全に成長できるようにという、そんな祈りなのです。

つまりその経験の中には、当然、辛いこと苦しいことも含まれているのです。

「負」を回避することが、かならずしも「良い人生」を意味しないであろうと、私は思います。だから私は、自分の人生に起こった「負」は、常に積極的に受け止めるよう、心がけています。
みな、一見、こんなにも不完全な世の中に生まれて来ています。しかし、この世に存在するもので無意味なものなど何もないのです。この世に生まれること自体、とても重要な意味があるはず。

私の好きな飯田史彦先生の著書の中に紹介されている言葉があります。
「人生に雑用はない」
どんなに無意味そうで、不利益で、辛いことでも、真の意味で無意味なことはない。
私の人生も、そしてあなたの人生も、決して雑用などはない。一つもない。一つ一つが本当はダイヤモンドなんだってこと。
得難い、たった一つのかけがえのない人生。

だから今日も願います。
「愛する人たち、すべてが良くなりますように」