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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

ブログネタ:死ぬまでにしたいこと

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本文はここから


今日は大学は休講にして、本来は依頼されている某市民文学賞の応募作の原稿読みに時間を費やす予定だった。
が、先週の内に突然、祖母の七回忌を今年中に行おうという話が持ち上がり、たまたま家内も休みになっていた今日、それを行った。
祖母が亡くなったのは、2002年の2月だから、七回忌は正確には来年になる。
が、うちは子供たち二人が受験生で、2月にそれを行うのは無理がある。
12月1月は鐘を叩かないという風習もあるので、なら今月中にやってしまえというような話の流れだった。

祖母は数えで米寿を越えて亡くなった。
五黄の寅の生まれで、気性は根がきつい部分もあったようだが、私は同じ寅年生まれだからというのではなく、好きなおばあちゃんだった。
晩年は惚けが進んだし、寝たきりに近くなってしまったために家族の手を煩わせたが、中にはおかしな行動や言動に走るお年寄りもいることを考えたら、ずいぶんと穏やかな最期だったと思う。

その頃、祖母の死が近いことは皆が予期していたし、私は必死になって「レガリア」を書き上げた。入魂の一作だった。
そしてミステリーの師匠であるMという人物に原稿を渡し、その評価が来るのを待っていた。
結局、師匠から「これならいける」と高い評価をもらった「レガリア」ではあったが、出版は実現しなかった。
私の新作を心待ちにしていた祖母の死に間に合わせることが出来なかったのが、私にとっては痛恨だった。

88年という生涯の中で、祖母は何を体験したのだろう。
何を見たのだろう。
そして何を望んでいたのだろう。

このところ連続して自分の死期に関する記事を書いていたので、やはりこの「死ぬまでにしたいこと」についても触れておきたい。
占星術師としての予測が正しければ、私は96歳まで生きる。
とすれば、まだ人生の半分にも達していないことになる(もうすぐ45)。
しかし、本当にそこまで生きるのか、神様が保証して下さっているわけでもない。

それに年を寄せてからは、できることもだんだんに限定されてくる。
やりたいことがあれば、今の内だろうし、生活面でも余裕が出てきて、プライベートに時間を費やせるのは、やはり60代になってからかもしれない。
個人的には人生の黄金期は、これからの25年ほどかなという気もしている。

逆に、作家としての私の活動は年齢に制限されることはない。
惚けたりしないかぎり、続けることが出来るだろう。

というような状況の中で、私が考える「死ぬまでにしたいこと」は、いくつもある。
だが、中でも筆頭にあげるのは、作家として完全復活を遂げ、それなりの業績を残すことだ。
少なくとも今、頭の中にある5~6本のアイディアは、できるだけ早期に完成させ、出版にこぎ着けたいと思っている。出したい―これがまず1番目。

「したいこと」と「ありたいこと」は違っていると思う。
死ぬまで家内と幸せな関係でいたいと願うのは、「したいこと」ではないだろう。
なので、これは除外。

したいことは、その家内とまだ行っていない場所へ旅行することだ。
国内では、北海道と沖縄。
海外ではヨーロッパ。
とくに南フランスへは、是非、行きたい。
そういえばこの間したコチコミネタの「天国からのメッセージ」では、私は再来年にはイタリアのミラノに行くことになっていたはずだが…。

したいことの3番目。
それは「死ぬまでに」ではなく、「死ぬまで」占星術の研究と研鑽を積みたいということだ。
死ぬまで勉強。
我が身は未熟。
そして宇宙は深遠。その真理のかけらを、一つでも二つでも多く知りたい。

したいことの4番目。
これが結構、すごい(我ながら)。

悟りを開きたい。

かなりマジです。
といっても、お釈迦様やイエス・キリストのようになりたいのではなく、宇宙との関係の中で、個である人として、生命の一体感を感じながら生きてゆけるようになりたいというか、そういった願望だ。

したいことの5番目。
これはおまけ。
防衛省が今、冗談か本気か知りませんが、リアル・ガンダムを作ろうという計画を進めているとか。
それに搭乗したい。
でも、できたら百式とかサザビーがいいんだけど。