シンクロニシティのバーゲン |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

「あの○○さん?」
「え? ああ! びっくりした! 先生?」

岡山にフタバ図書という県下最大規模の書店ができている。
私は今日、修理に出していた車を取りに岡山に出向いた。帰りに何気なく、そのフタバ図書に行ってみる気になった。
なにせ、本大好き人間である。

膨大な書籍に埋め尽くされた棚の間を歩いていると、ふとある女性が眼に飛び込んできた。
え? まさか……(記憶再生中)……間違いない、よな?
その女性は、昨日の夕方から会って、占いをしたばかりの女性、Jさんだった。
私が目を疑ったのは、昨日の今日、14時間ほど前まで会って話していた女性と、たまたまふらっと立ち寄った書店で遭遇するという、あまりにも信じがたい巡り合わせゆえだった。

声をかけると彼女もまた、その場で飛び上がるくらいに驚いていた(ホントに小さく飛び上がっていた)。
「先生、どうしてこんなところに」
「いや、修理に出していた車を取りに来て、その帰りに……」
「すごい、偶然……」
二人ともこの偶然を、普通の偶然ではないと感じていた。

私はいつもこのブログで書いているように、シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)をよく体験している。このところ異常なほどだ。
これだけ連続すると、もう自分が所属している世界が、普通でなくなっているような錯覚さえ覚える。
なんだか、運命的なもの、目に見えないこの世界の糸にあやなされて、自分がそれに沿って行動しているような感じだ。

「きっと、これはだめ押しですね」
と、彼女は笑った。
そう考えるしかなかった。
Jさんには昨日占いをして、主に二つのことを助言していたのだが、そのうちの一つを解決するために、今日行動を起こしていたのだ。
それもそのわずか30分前に、私たちは再び遭遇してしまったのだ。
だが、彼女自身、まだ定まりきっていない部分、整理しきってない部分があり、心揺れていた。やることはわかっているのだが、それをうまくやるためにはもう少し考えをまとめる必要があったようだ。

一度はその場を離れたが、本を買い込んだとき、開店セールで書店内にある喫茶店のドリンク・チケットをサービスされた。
チケットの使い道は一つしかなかった。

「こんなもん、もらったんですが、少しの間、いっしょにお茶しませんか」
Jさんといっしょに喫茶店に。
そう多くの時間はなかったが、私自身の体験を含め、昨日の続きというか、補強というか、お話しさせてもらった。
彼女もシンクロニシティをやたらと体験することが多いらしく、それに意味を感じ取っているのだが、その解釈の仕方に困っていたようだ。
話の流れで、彼女の求めている答えがわかったので、それはお渡ししておいた。

「あれ? 先生ですよね? わかります?」
話していると、なんとそこには私の講義を取っている学生の姿が。
おいおい、なんなんだ、こりゃ。
偶然にしても、あまりにも……。

「今日、お会いできたのは、ほんとにすごいものを感じました」
「ほんとですね」
「がんばってきます」

Jさんは去っていった。
そして、ふとJさんは自分になにか縁のある女性だと感じた。
「袖すり合うも多生の縁」という言葉がある。
多少ではない。多生というのは、今回の人生だけではない、生命のプロセスの流れの中で生じた縁のことを指す。
Jさんはそういう女性なのだろうと思った。
私の元を訪ねてくる人物の多くは、多生の縁がある人なのかもしれないが。

もっとも人間の出会いが、同じグループばかりでぐるぐる巡っていると感じるのも、ちょっとつまらない。
新しい出会い、まっさらの関係というのも、きっとあるに違いない。
そうやって、多生の縁はどんどん大きく膨らんで行くのであろう。

波乱に満ちた人生を選択しているJさん。
がんばれ!