私のヒーロー(zephyrの場合) |  ZEPHYR

 ZEPHYR

ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

怪人二十面相(石井)です。

薫葉君から提案があったのですが、時々はテーマを決めて、ライターで記事作成を回したらどうかと。
で、今回、私の方から勝手ながら、「私のヒーロー」というテーマで記事を回してみようかと、これを書いておりまする。ヒーロー、もしくはヒロインでも結構ですし、アニメや漫画、映画の登場人物、あるいは実在の人物でも可、という括りでやってみようかと思います。

では、以下、「私のヒーロー」です。

少年時代、大好きだったのは「ウルトラマン」のシリーズだった。
ウルトラマン、ウルトラセブンなどは、たぶん再放送で見たのだと思う。
しかし、はっきりとした記憶はない。
「ウルトラマン」と「仮面ライダー」は、現在でも新作が作り続けられる人気のヒーローだ。
この二つには、愛好家の生息域に区分けがあるように思える。

たとえばあなたは猫が好き? 犬が好き? みたいな問いに対する答えのように。
ウルトラ派とライダー派。
自分の場合は、ウルトラは幼少期から慣れ親しんできたが、じつはライダーについて知ったのは、かなり後だった。
家が大家族制度で、チャンネル権などほとんどなかったせいもあるだろう。

ウルトラマンはヒーローには違いない。しかし、まるで神様のように物語の終盤で出現し、光線を放って飛び立っていく姿には(だったら、最初からスペシュウム光線撃てよ)、なんとなく感情移入できなかった。
しかし、仮面ライダーにはそれよりもさらに、ずっと後で出遭うわけである。

私のヒーローは? 最初のヒーローはなんだったのだろう?

つらつらと記憶を辿っていくと、まだ小学校に上がる前、一冊の漫画に出遭っていたことを思い出す。
サイボーグ009」である。
石ノ森章太郎のこの漫画、私はたしか単行本で読んだ。
そして、少年の心に焼き付いた。

じつはこのサイボーグ009、仮面ライダーとほとんど似通った設定を持っている(仮面ライダーも石ノ森章太郎原作)。
悪の組織によって、心ならずも身体を改造されてしまう。
しかし、人間としての心を失わず、人類との味方となって、悪から与えられた力を使って悪を滅ぼすべく戦う。
これは後の永井豪の「デビルマン」などにも影響を与えていると考えられる。

身体は人間でなくなってしまった、しかし、人の心を持つ悲劇的なヒーロー像。
その苦悩。悲しみ。
しかし、やはり人であろうとする決意。
それらは少年の心を打った

サイボーグ009は、悪の組織「ブラック・ゴースト」によって作られた00ナンバー・サイボーグである。
00ナンバーとは、試作品であることを指す。
これも初期の仮面ライダーと同じである。
仮面ライダー1号、本郷猛は後に出現する強敵怪人には苦戦を強いられ(ゲバコンドルなど、初期1号を凌駕していた)、後には再改造を施した状態で戦線復帰する。
009も同じで、彼らの後に作られた0010(ゼロゼロ・テン)や0013(ゼロゼロ・サーティ)などは、あきらかに009以上の能力を持っていた(ちなみに、本来なら0010ではなく、010なのではないかと思うのは当然なのですが、とにかく原作はそうなっています)。

不完全な、能力的にも劣勢である、悲しみを秘めたヒーロー。
どうやら、私の原初のヒーロー像は、009であるらしい。
なにしろ、幼稚園児時代に焼き付けられたものであるから。

しかし、どうしてこの009の本を、自分が読めたのか、よくわからない。
漫画とはいえ、当時の自分にはまったくわからない漢字も多かったはずなのだ。

初期の009のクライマックスが、「ヨミ編」である。
ブラック・ゴーストのボスと009の直接対決。
それは、やはりショッカーの首領と仮面ライダーが対峙するシーンに似ている。
なにしろ、ブラック・ゴーストの首領たちは、三つの脳なのだから(ショッカーの首領も、脳が強調された化け物だった)。

そして、009に対し、悪の首領は告げるのだ。
「ブラック・ゴーストは滅びない。なぜなら人の心に潜む悪こそがブラック・ゴーストなのだから」と。

この啓示と、それでもなお悪に立ちむかっていこうとする、009、島村ジョーの姿は、子供心にかなり強烈な世界観を植え付けてくれたようだ。

こうして考えると、私のヒーローは、スーパーマンやウルトラマンのような、光に所属するだけの存在ではなく、どうやらダークな一面を持っているらしいことがわかる。
道理で。
私はホームズより、ルパンのほうが好きなのだ。