演劇工舎「ゆめ」の舞台を見に行った。
「法王庁の避妊法」という篠田達明さん原作の、実話を元にした物語である。
現在ではよく知られている避妊法「オギノ式」。
女性の排卵はいつ行われるのか?
これは長く謎であった。
この排卵の謎を究明した荻野久作(と、妻のとめ)のストーリーである。
荻野は妻となる女性、とめに月経と交合の日を記録するカレンダーをつけるよう頼み込んで結婚する。
とめも荻野の熱意に打たれ、協力する。
子宝を授かりたくても授かれない女性、生活苦となってもさらに八人目の子供まで受胎してしまう女性。
彼女らの存在に取り巻かれながら、荻野の研究は進み、またあるときは袋小路へ。
そして女性の排卵は、次回の月経の前12~16日の間に行われることを突き止めた荻野と、彼の妻、とめの間に立ち現れてくる問題。
それは現代の医学が備えるに至っている諸問題にも通じるテーマである。
人はどこまで自然の(神の)摂理に踏みいることができるか、またそれを良しとするか否か。
誕生のコントロール。
それは今、胎児の遺伝子診断などの問題で、より切実な課題を人類に突きつけてきている。
障害を持つ胎児を生むか生まないか。
技術的にはその取捨選択ができる時代になってきており、その是非を普遍的に問わなければならないようだ。もちろんこの問題についての個々人の結論はさまざまだろう。
だから、私はここでその論考を行うつもりはない。
※このへんのことについては柄刀一さんの傑作ミステリー「ifの迷宮」などにも詳しく述べられている。
ただ、荻野の妻、とめが生命のコントロールに踏み入っていく人類の(女性の)、最初の一人になったことは、このお芝居の中で強く実感させられたし、そこから個人個人でちがった結論を引き出すことも可能なように思える。
とまあ、あれこれ書いてみましたが、単純に「法王庁の避妊法」は面白かった。
「では、いつ◯◯すればよいのですか?」
「今日です」
「きょ、きょう??」
荻野ととめのユーモラスな掛け合いは、おかしいのだが、そこに限りなく現実に近いリアリティが感じられた。
オギノ式はやがてローマ法王庁にも認められる避妊法となるのだが(自然の摂理に逆らわない避妊法として)、こんな大きな歴史の流れも、小さな個人の思い、情熱などが作り上げていて、そこにとめのような女性が見事なパズルのピースとしてはめ込まれていて……やはりこの世は完璧なのだと思ったりもした。