今日、司凍季さんの「地獄蛍」を読了しました。
このブログは書評などもカバーしているのですが(本来)、じつは他人の小説の評論を載せたことはありません。正直なところ、人の作品にある一定の評価を下すという行為自体が自分でするとしたら好きでない。プロの評論の方がするのは、それはもちろん敬意を覚えますが。
尊敬する評論家の方もいます。
人の作品にある評価を下すのは、自分で検察官・弁護人・裁判官のすべてを公正にやれる自信があって可能になると、自分では思っているので、そんな僭越な行為は極力控えさせていただきたいというのが本音。
ただこの「地獄蛍」は別だ。
私はブログなどネット上で人やその人の創作物について、あれこれラベルを貼る行為が好きでないが、この作品に関してはちょっと皆さんにお知らせしておきたい。
以下、私の個人的な感想であるけれど、UPします。
「地獄蛍」
この凄いタイトルの作品を読み終えた今、私は久々に凄い読み応えのある作品だったなという、一種の衝撃の余韻を覚えている。
この物語は太平洋戦争を物語の中心に据え、フィリピンのミンダナオ島に移民した日本人家族の命運をほぼ史実のごときものとして語っている。作者である司さんの家族の物語だという。
冒頭、やや物語の進行にスローで興を掻き立てにくい部分があるが、それを通過儀礼とすれば、その後は登場人物たちの配役の位置などが見えてくるにつれ、雪だるま式に興が乗ってくる。
当時の移民たちの生活ぶり、生命力などが生き生きと描かれ、時空を越えて私たちの胸に語りかけてくる。これこそが小説の持つ力であり、同時にそれを伝えるだけの力量を持った作家の仕事であろう。
そこには悲喜こもごも、苦難や悲劇もあれば、おおらかな楽しみもある。
そして物語の後半、戦争の勃発に伴って、移民たちが辿った過酷な運命。
とりわけ終盤は「地獄」である。
人の死、それも様々な形の死がたんたんと描かれていく凄みに圧倒された。真実だけが持つ重みだろう。
戦争はいけない、戦争反対。
そんなスローガンを100回叫ぶより、この本を一読することをお勧めする。
戦争とは何かということを、これまでとはまったく違った視点で教えてくれる。たとえば戦艦大和の映画などとは、まったく違った視点だ。
ただ私はこの小説を戦争の悲惨さをただ伝えるためだけに書かれたものとは、思っていない。というよりも、感じていない。作者の意図がどこに本当にあるのかは、作者に聞かないとわからないことだと思う。
しかし、私が今、一番強く感じているのは、過酷な運命を乗り越えてきた命たちの輝きである。
物語の中に、ジャングルの中にそびえる「ホタルの木」が登場する。
その巨樹に群がるホタルの光。
「地獄蛍」というタイトルにあるがごとく、物語の後半はまさに地獄絵図である。
そんな中で、人間という(宇宙に比べればあまりにも小さく、世界的な動きという大きな力の前にはちっぽけな)淡く短い命を携えた存在が、自らの生の中で放ち続けた光。
それを強く印象づけられた。
それははかない光かもしれないが、一人の人間の心には救済となりうることもある。
累々たる死。だからこそという言い方は悪いかもしれないが、生き残った光には強さがある。
そんなことを考えた。
「地獄蛍」。もし興味がおありの方は、こちら へ。