BGM考 |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

まだ風邪の後遺症、咳に悩まされている。

空気が乾燥する場所にいると、喉が張り付いたようになってしまう。

職場がまさにそういう環境なので、厳しい。咳が止まらなくなったりする。

今年の風邪はどうもしつこいらしい。


ところで今、BGMでコブクロを聴いている。

最近、音楽を聴くのもパソコンを使うようになってしまった。

理由はいくつかある。パソコンとそれ以外のオーディオ・システムを動かす手間、二つの機械をいじる必要がない。ヘッドフォンで聴くと、デジタルの音楽はあまり差異がない。

それともう一つ。

パソコンなどの機械は、人体に有害な電磁波を出すことで知られている。だからその防護シートみたいなものも売られている。

しかし、その有害な電磁波を出す機械も、良い音楽などを流すと、波長が変化する。

事実である。

だからパソコン自体から良い波長のものを発信させると良いのではないか? などと想像を巡らしている。


モーツァルトとか、クラシックの名曲や、ヒーリング・ミュージックなど、間違いなくお勧めだが、要はその人が好むものでいいわけだ。

人間の身体は良くできていて、その時食べたいものは身体が欲しているものであることが往々にしてある。つまり健康のために身体が欲しているわけだ。


音楽も似たようなものではないかと思う。

人によって喜びと感じる音楽は違う。

私の場合、ほとんどの場合、女性ヴォーカルである。

コブクロは久々の例外で、一番好きなのはたぶんZARDだろうと思う。しかし、あまりこだわりはない。倖田來未とか中島美嘉とか、ヒッキーとか、そうそう、名探偵コナンのベストなんかよく聴いている。喜多郎のシルクロードとか、Tスクエアとか、クラシックとか、とりあえずポシリーはない。

好き嫌いがあるだけだ。


たぶん自分の肌に合うもの、小説を書くときとかに邪魔しないものを無意識に選んでいるのだろうと思う。

しかし、自分の場合に良いものが他の人にも適応できるとは思っていない。

普遍的によいものはあると思うが、絶対という断言は常に押しつけにつながる。


ところが人間は、割と簡単に自分にとって良いものが他人にとっても良いのだと誤解することがある。

ロックが好きな人間はそれでいいし、ヘヴィメタが好きな人はヘヴィメタが好きでいいのだが、その価値観を他人に強要するのは明らかに間違っていると誰にでもわかる。押しつけられて、好きでもない演歌を聴かされるクラシック歌手には、苦痛以外の何者でもないだろう。

演歌が好きな人が氷川きよしに浸っている横でロックバンドが演奏を始めれば、嬉しくないのは当然。


みなさん、他人の価値観を認めましょう。


そうしたら、きっとこの世からテロや戦争はなくなります。