祈り |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

占い師として時に判断に迷う占いにぶつかることがある。

たとえばあまりにも明瞭なある未来がその人に関して見えたとき、それが良くないものであったとき、さすがに伝えることがためらわれることがある。


基本的にはこう思っている。

その人が自分の前に現れたのは、それが良いものであろうと悪いものであろうと、メッセージを受け取るために現れたのであろう、と。

しかし、その人のおかれている状況、意思、そしてその人自身の運勢など考慮に入れたとき、どうしても伝えきれない場合もある。

苦渋の選択である。


これは辛い。

本来、未来はどのようにも変え得る。

どのようなことも起こり得る。

しかし、あまりにも差し迫った現実の場合、もはや車は急に止まれない状態になっていて、変更がきかないケースもある(もちろん絶対に不可能というのではない。本人の意思と選択によって変えることは可能なのだが、スケジュールが決まっているような出来事の場合、よほどの強い決断と努力が必要になってくる)。


それにその予知できた出来事が、本人の運勢の中にがっちり組み込まれているような場合、それが起きる(現実化する)というプロセスが意味を持つということも見逃せない。もし、そのプロセスを抜きにした場合、その人の人生はどうなるのだろう?


私は全能の神のように全てを見通せるわけではない。

その人にとって何が最善の道なのか?

伝えることがその人を成長させるか、それとも?


その瞬間瞬間で、私が判断を誤ることがないよう祈りたい。

何に?

うん、やはりここは神にだろう。

占星術もタロットも偉大なシンクロニシティの産物だから。

そしてシンクロニシティの源こそが、宇宙を満たしているフォース、気、神といったものであろうから。