占い師として思うところ |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

私には60日に一度の厄日というのがある。

これは昔からの統計というか、経験ではっきりしている。

警察の交通取り締まりにあって、切符を切られる。パチンコで大負けする(今はやっていないが学生の頃はよくしていた)。名刺入れをトイレの便器に落とす(汚いね、どうも)。やることなすこと上手く進まず、邪魔が入る。


もちろんこの日が何の日なのか、ここでは公表できません。私の弱点ですから。


ただ、このことを強く意識するようになってから、その日にはっきりと厄日というほど悪い出来事には遭遇しなくなった。

これは運勢を知ることが、未来の改変に繋がる好例だと思う。


私の愛読書の一つ、『神との対話②』にも未来を知ること、あるいは未来を人に見てもらう(占い師や予知能力を持つ人に)ことは、好ましい未来を生きる能力を高めることで、決して低下させることではないと述べられている。

もっとも、これには条件がついていると思う。

それは本人が意識的に知ったことを役立てようとした場合に限られる。

ただ聞いただけではダメなのだ。


当然である。

事が起きるのには原因があるので、たとえばその厄日に他人に暴言を吐いたり、うっかり悪口など言ったりしていたら、もちろん喧嘩になる。

意識してその原因を取り除かないといけない。


それに占い師に予言された未来を真に受けて、暗示にかかってしまう人(本当に悪いことがおきるんだと信じ込む)。こういう人もいるので、占い師は気をつけないといけない。

未来が変更可能であることをきちんと伝える義務がある。

未来が変更不可能なら、そもそも占い師の存在そのものが無意味である。

なのに、自分の予言した未来が絶対であるかのように言う占い師が結構多い。


自己矛盾しているのだが、気付かない。


このあたりは皆さん、十分注意してください。

人に恐怖感を与え、信じ込ませようとするタイプの占い師は良い占い師ではありません。

良い占い師は常に希望を与えます。