津軽 赤倉霊場:青森県弘前市大字百沢東岩木山


霊場とはいっても伝統宗教の枠組みからみると、かなりヘンな場所である。足を踏み入れたあとも、いまだどう理解してよいのかよくわからない。「聖」と「俗」を鍋の中に入れ、ごった煮にしたようなものといえばイメージできるだろうか。しかもその味は圧倒的に「俗」が勝っている。神仏混淆などという生易しいものではない。赤倉大神、岩木大神はともかくとして、龍神、鬼、天孫降臨を先導した猿田彦、観世音菩薩、地蔵尊、不動明王、征夷大将軍 坂野上田村麿、当地を訪れたとされる弘法大師に加え、後に触れる生き神 太田永助、工藤むらはじめ近現代の民間巫者に至るまで、ありとあらゆる信仰対象が詰め込まれているのだ。茶化すわけではないが「みうらじゅん」的にはきわめて面白いところではないだろうか。


この風景は、同じく津軽の川倉賽の河原地蔵尊や、恐山の賽の河原にどこか通じるものがある。寂寞とした東北の風景の中にどぎつい原色が点在し、祭日はそこに大勢の婆たちが蝟集する。飲み食いし、歌い踊り、大笑いし、口寄せに涙を流す。岡本太郎、内藤正敏、芳賀日出夫といった人たちがモノクロームの写真に残したあの風景だ。赤倉霊場は元々岩木山信仰に伴う修験の行場で、明治時代から行者小屋もいくつかあったようだ。営林署が国有地を貸与していたこともあって、戦後には堂舎が立ち並ぶようになり、昭和四十年代にはカミサマの専門店街といわれるまで賑わいをみせたが、いまは祭りの日でなければ人影はほとんど見当たらない。一部の堂舎にはまだ世話をする人が通うようだが、ところどころ荒廃しており、朽ち果てた堂舎も散見される。それがこの場の異様さを一層際立てている。


赤倉霊場への入り口は、前回の投稿でとりあげた大石神社だ。鳥居の手前には赤倉霊場の堂舎が記された案内板が立つ。その数28。すでに名前を消されたものもあった。

二の鳥居の脇を車で入っていく。ほどなく右手に開けた場所があり、鳥居の向こう側に宿舎と思しき建物。案内図には菊乃道神道教社とある。創設者の須藤芳信なる人物の石碑が立っている。かつて霊場のシンボルだった宝泉院の三重塔を建造したらしい。この堂舎は大きく、真ん中あたりの部屋はまだ使われているようだが、右側に建て増しされた二階の数部屋の障子は破れていた。夏草も伸び放題だ。碑文に創設者は平成元年に没したとある。信者が減ったのか近年ではここを使う人も減り、思うに任せないのだろうか。
菊乃道神道教社

先を行くと開けた一角に出る。車ではこれ以上中に入れなさそうだ。手前に車を停めてあたりを一瞥する。数々の鳥居、石碑、堂舎、宿舎、小屋が雑然と立ち並んでいる。一般に社寺はその設えは決まっているものだが、規則性や決まりのようなものが微塵も伺えない。どこも共通して赤倉大神を祀っているようだが、多種多様な佇まいでどこから参拝してよいのやら迷う。それはまるで縁日の屋台のようで、あちこちの神様に「おいで、おいで」と手招きされているような妙な感覚に陥る。

まずは右手前の繁田むすび講社(津軽赤倉山神社奥宮)の鳥居をくぐってみる。ここはさきほどの菊乃道神道教社に比べると境内の手入れが行き届いている。宿舎は窓が少なくてちょっとサティアンのようにも見えるが荒れた様子はなく、境内の三十三観音霊場も慎ましやかで微笑ましい。

繁田むすび講社

拝殿の中を覗くと奉納された草鞋がたくさんぶら下がっていた。これは少し奥にある鼻和堂(瑞穂教赤倉山神社)も同じで、どちらもいまだ信者が訪れ、岩木山を登拝しているということなのだろう。

鼻和堂

鼻和堂の右手には工藤むらの石像が立つ。彼女は当地でカミサマ(注*1)と呼ばれる霊能者であり、女人禁制であった赤倉沢に初めて入ったとされる。この霊場の中興の祖であり、先に訪れた繁田むすび講社も彼女の下に通っていた弟子が独立し、むらの助けで堂舎の建立に至ったというのだが、このあたりの経緯を追っていくときりがないのでやめておく。一つひとつの堂舎や創建者の来歴は、文末の参考文献や赤倉霊場崇敬会のホームページに詳しい。関心がある方は参照してほしい。


鼻和堂の左手で道は二手に別れる。分かれ目にある森の中に何かありそうだ。入ってみると神仏の石像が立ち並んでいた。特筆すべきは赤倉大権現だろう。目をひん剥いた忿怒の表情、金棒を携えたこの姿はまさしく鬼である。近くの相馬堂奥之院の堂舎正面にも愛嬌のある鬼の面が懸けてあった。


赤倉大神は、はたして「鬼」なのだろうか。当地の信仰の中核をなす神は信者から「赤倉様」と称されているがそれが鬼神を指しているのか、或いは冒頭に触れた太田永助のことを指しているのかは、信者においても明確ではないという。


左手の道を行くと、やはり堂舎が点在している。比較的広い一角は、現在平川市にある真言寺院、金剛寺が興った場所で、七十年前に建てられた一代堂がある。六月の山開きの大祭には多くの行者と信者が集い、火性三昧(注*2)が行われる。僕が訪れたのは八月半ばだが、その痕跡はまだ残っていた。

他にもいくつかの堂舎があるが、今回の目的地は生き神 太田永助が祀られた種市堂だ。大石川に架けられた橋を渡り、緩い山道をしばらく進む。


ここで太田永助の略伝を紹介しておこう。太田永助は実在した人物である。津軽の三奇人の一人といわれているが、その言動はカミサマというだけあり、荒唐無稽ともいえるものだ。その生涯は口伝を記した太田家の覚書に残る。太田永助は、嘉永四(1851)年十月三日に、弘前市種市の農家の次男として生まれた。生まれた時から霊能力が備わり、その言行から変人扱いされていたが、一方で数々の奇跡を起こしたことからカミサマと呼ばれるようになったと伝わる。三十二歳の時、稲刈りの最中に空を飛んで岩木山へと消えていった(出奔したまま行方知れずとなり、村人が岩木山に向かって空を飛んでいくのを見たとの話もある)とされ、現在の種市堂の付近に着物だけ残っていたという。そこに堂舎を建てたのである。死亡は確認されておらず、戸籍謄本では生誕百年に当たる昭和二十六年十二月六日に除籍されているとのことだ。

永助の実家はいまも残り、里の赤倉山神社として大勢の信者が集まる。その実家には永助が頭を突っ込んだ囲炉裏や、家の外から飛んできた祠がいまも残る。行方不明となったあとも旱魃の時に水が湧き出て農民を救った、或いは赤倉山神社で信者がいただく水は色や匂いが変化して吉凶を知らせるなど、奇瑞や不思議な話には事欠かない。そしてそれらは現在も信者たちの間で生き続けているのである。

橋をわたってほどなく、種市堂の鳥居が見えてくる。「赤倉山大山永野神社 種市村中 明治三十九年旧八月十日」と刻まれた石塔が立つ。一帯ではもっとも古い堂舎だ。だがその佇まいや祭壇などは他の堂舎とさして変わりはない。つくりは山小屋風であり、お山開きの時などはいまもここに信者らが寝泊まりするのだろうか。

鳥居の右手前に「永助様」の石像が立つ。怒髪で仙人のような髭をたくわえ、眉根を逆立ててかっと目を見開いている。モーゼのような着物を纏い、右手に斧を掴み、背中にはなんと羽まであるという出で立ちだ。永助の写真は残っていないので、本人に近い像容なのか見当もつかないが、威風堂々とした姿だ。赤倉大権現の像に雰囲気は似ており、鬼や山の神を思わせるが、天狗のようでもある。あらゆる神仏の姿を寄せ集めたような趣きで、このあたりがいかにも赤倉らしい。この一大霊場の開祖は紛れもなく太田永助であり、この石像はシンボリックな意味を持つといえよう。

それにしても、なぜ太田永助や赤倉霊場を中心とした新宗教が興らなかったのだろうか。大本など新宗教が勃興した幕末から明治の中頃であれば、津軽、いや北東北全域に教勢を誇る一代教団となった可能性もあったのではないか。だが、種市の赤倉山神社はいくら信者が多いといっても、たかだか数百人と知れたものなのである。これは僕の仮定に過ぎないが、その理由は「カミサマ」に世襲はなく、その霊能が一代限りであることと無関係ではないと思われる。すべて特定個人に帰属する信仰なのである。赤倉霊場の堂舎は立地こそ群れているものの、そのじつ赤倉山神を除けば異なる神仏をめいめいが祀り、シャーマンとしての出自も祈祷のありようもまた様々なのだ。沖縄の民間巫者、ユタも同じで、霊能者という存在はいわば個人商店であり、オーガナイズされにくい構造があるのかもしれない。

種市堂の鳥居の左手には大きな木の切り株があり、苔生した断面にはひこばえが芽吹いていた。コロナの渦中の盆の青森には当初行くことすら憚られたのだが、これを見つけた時、たとえ我が身が朽ちようとも未来というものはあるのだという当たり前のことに気づいた。


太田永助は、この世が混乱に陥るときに、再び舞い戻って赤倉大神を信仰する人を救済するとの予言を残したという。


(2020年8月15日)


注)

*1 カミサマ

東北における民間祈祷者。さまざまな神霊や死者を身にのりうつらせて語る、という機能に着目すれば、民間巫者(または、民間巫女)といったよび方もできる。オガミヤ、ゴミソ、行者などというよび方もある。(出典:下記「津軽のカミサマ」による)


参考)

「津軽のカミサマ -救いの構造をたずねて-」池上良正著 どうぶつ社 1987年

「民族宗教と救い -津軽・沖縄の民間巫者-」池上良正著 淡交社 1992年

「巫者のいる日常 -津軽のカミサマから都心のスピリチュアルセラピストまで」村上昌著 春風社 2017年

「カミサマをたずねて -津軽赤倉霊場の永助様」根深誠著 中央公論新社 2018年

「岩木山信仰史」小館衷三著 北方新社 1975年

卍赤倉霊場崇敬会  https://akakurayama.amebaownd.com/

「異界との境界」津軽 大石神社(拙稿)  https://ameblo.jp/zentayaima/entry-12623870844.html