読者の方々は「日本最北西端」と聞いてどこを思い浮かべるだろうか。本稿で紹介する対馬の天神多久頭魂 (アマノタクズタマ) 神社は、日本最北西端の碑がある地から2kmと少し入った対馬の佐護湊にある。式内社の天神多久頭多麻命神社に比定されるこの古社は、古来より社殿を持たず、背後の天神山を神体としてきた。八合目に神籬を立てた禁足地があると云い、山麓に設けた祭場が当社である。もっとも古いカミの祀り方を今に残す。
秋のよく晴れた日、対馬空港から和多都美神社、木坂の海神神社を経て、佐護に向かった。山間の道はすれ違う車もほとんどなく、ドライブは快適だ。やがて蛇行する佐護川沿いに田畑が見られるようになり、海に向かって視界が広がると、左手に低い山が見えてくる。佐護湊はもうすぐだ。
神社の手前に広場があり、車を停める。対馬は半島に至近で、当日も韓国からの団体観光客で賑わっていたが、さすがに島の涯てまで来ると韓国人どころか人影すらない。佐護湾に面した周辺はとても穏やかな情景で、空の青と山の緑のコントラストが美しく、絵筆でもとりたくなる。無限のおおらかさを感じさせる素晴らしい空間だ。聖地と称される場所には数多く足を運んでいるが、そのおおらかさにおいて他のどんな場所とも異なる。日本ではない、どこか遠く離れた異国にいるような錯覚を起こす。
で触れた通り、この塔は「ヤクマの塔」に同じく天道信仰の象徴である。木坂、青海で旧暦六月初午の日に行われるヤクマ祭りでも成年男子が浜に赴き、石を積んで二基の石塔をつくると云う。(*1)
対馬の天道信仰は、日光感精神話を原型とし、太陽によって孕んだ子供を天神として奉斎する。山麓に母神を祀り、山上に御子神を祀るとされるが、ここ佐護では山麓の母神は佐護川を望む森の中にある神御魂(カミムスビ)神社に祀られていると云う。よって、当地は背後の天道山の遥拝所であり、古くから露天祭祀を行った祭場との見方が出来よう。本州の山宮、里宮と同じ構図だ。
境内の奥まった場所、森の入り口に向かって石段が続き、その奥の石板には注連縄が掛けられ、その下に鏡が見える。樹木で覆われているため、仄暗い。山頂の御子神が降る場なのだろうか。瑞垣で結界が張られており、手前には石造りの祭壇が設えてある。磐境とも言えるのだが、僕はいつものことながら沖縄のウタキを想う。
余談になるが、周辺を散策していて拝所のようなものを見つけた。同じく佐護川に面し、道を隔てて脇に並んでいるのだが、天神多久頭魂神社に気を取られていると見落とすかもしれない。こちらは沖縄の離島でよく見掛けるささやかな"それ”なのだ。何が祀られているのかはまったく窺い知れない。日常の祈りの場がひっそりとそこにある。ただ、それだけなのだ。
対馬には、胡禄神社と胡禄御子神社、島大国魂神社と島大国魂御子神社、銀山上神社と銀山神社、表八丁郭と裏八丁郭など、対になった聖地がある。多久頭魂神社も同様で、ひとつはここ上県郡佐護の天神多久頭魂神社、もうひとつは下県郡豆酘(ツツ)の多久頭魂神社だ。二社はそれぞれ対馬の北と南に位置する。さらに、佐護の天神多久頭神社の対岸には神御魂神社、豆酘の多久頭神社の境内並びには高御魂神社が坐す。前述の通り、天道法師の母神を祀ると云うが、母子は一体とされている。
天神多久頭多麻命の母君が祀られている場所はどんなところかと、佐護川の対岸を歩いてみた。川の周辺を歩き回ると、田圃の向こう側に白っぽい鳥居が見え隠れする森があった。森へ近づくにはビニールハウスの横の私道を入っていかねばならない。しかし、断りを入れようにも人っ子ひとりいない。「ごめんください」とひとり呟きながら農道を入っていく。
たしかにその森の中には鳥居があり、懸額には神御魂神社とあった。境内というより草叢の中に、簡素なログハウスのような小屋が所在無さげに立つ。社殿なのだろうか。夏の名残りと思しき雑草が生い茂り、丸石と平石が雑多に積まれた境内を囲む石垣は、その形を保つのが精一杯のように見えた。
(2015年10月10日)
*1 文化資産オンライン 文化庁
「木坂・青海のヤクマ」無形民俗文化財
保護団体名:木坂区、青海区
備考:公開日:毎年旧暦6月初午の日
http://www.pref.nagasaki.jp/bunkadb/index.php/view/574
参考
「対馬国志 第一巻 原始・古代編 ヤマトとカラの狭間で 」永留久恵著 対馬国志刊行委員会 2009年 交隣舎出版企画 2014年再版