こんにちはー。


先日休日の日に安土城跡に行って参りました。


広島からだと山陽道から名神に入ってだいたい4時間弱で到着でございます。


いやー、交通インフラって凄いですよね。


戦国時代に安芸国から近江国の安土城を見てまいろうぞって気軽に出来ませんて。


世界がドンドン小さくなっているのであります。


美濃から山城に抜けるには琵琶湖の南の中山道を通ると言うのは地図の中の知識であった訳ですけれども、実際に目にしてみるとせせこましい中国地方の平野と比べるとなんと広大な平地なんでしょう。

しかも琵琶湖の水運の利もある。

近江八幡市のあたりが要所であることがよくわかります。




んで、博物館で有料講習(?)を受けていざ城址に到着です。

うわー、見事な石垣に感動。

早く天守跡まで登りたいと思ったら入場料が700円ですって。


そうか、そうよね。タダって事は無いよね。うん。







入場すると延々と続く石の階段です。

この先左に曲がってもまだまだ続きます。


当時の人達はこれを日常的に登り降りしてたの?

まじで?


姫路城を見た時は全てにおいて戦闘を意識した緻密さに感動致しましたが、今回はこんな無茶な作りのお城を築いてよく利用したもんだなと。

秀吉さんとか「信長様も面倒な城作っちゃってさ、通勤がしんどいんですけど?」なんて言ってたんじゃないかとか、変な感心が先に立ちまして、ゼーゼーハーハー終いには、いや、こんな途方もない数の石を人力に近い形で運んで作り上げた庶民の方達の「なんでこんな所に城作るかなー、しかも石段にする必要あんの?」と言う怨嗟の声まで聞こえて来るような、とても信長様の気持ちになれない小市民のわたくしでございます。


でなんとか天守跡に到着致しました。












琵琶湖側を望む展望です。

天守閣は32㍍あったと言いますからこの展望よりも更に見晴らしは良かったでしょう。

確かにかなり遠方の行軍も確認出来ますねぇ。


なんだか太ももパンパンのせいか、信長様をディスってたせいか、感慨もイマイチでありまして、



やや!見事な老木だワイ、これは当時からあったのではなかろうか?など全く関係ない所に関心を抱きながら見終えたのでありまする。












でもって帰路についたのですが、行きとルートが違っておりまして、仁王門と三重塔が現れてまいりました。


当時の建造物は全て消失したものと思っておりましたのでびっくりです。

やはり建造物を見ると当時の人々の営みに思いを馳せ易くなりますね。どんな生活をここでしていたのだろうかとしばし見入っておりまして、出来ることならこの先も健在で遺っていて欲しいなと思いました。


そんなこんなの安土城跡見学でした。


1576年に築城し79年に完成、その後わずか3年にして本能寺の変が起きて城主信長様は亡くなり、安土城も謎の放火で焼失となります。

秀吉さんは再建も考えていたようですが3年後に廃城を決定して八幡山城の築城に入ります。


まあ、わかりませんよ?

安土城の運命がこうなった理由は。


でも、ぶっちゃけ秀吉さん、こんな面倒くさい城使いたく無かったんじゃね?って思ったり。


謎の放火って言うのも、

信長様死んじゃったらしいよ?あの城に仕事に行くのもー限界!って思ってたんだよ!今ならもう信長様いなくなったし、次の殿様来たらまた面倒だからさ、燃やしちゃわない?って思う人達もいたんじゃね?って思ったり。


んー、歴史探訪の筈だったんですがあらぬ感想文になってしまいました。