流通 | 抑鬱亭日乗

抑鬱亭日乗

複数の精神疾患を抱える者の独言を忌憚なく収録する
傾いた視線からこの世はどのように見えるのか

 今、手元に100円硬貨が二つある。

 一つは昭和47年と刻まれている。

 もう一方は平成29年と刻印されている。

 

 昭和47年の100円硬貨は、硬貨のふちが摩耗している。

 通常は100円硬貨のふちは突起しているが、この硬貨にはそれがない。

 つるつるとした突起のない円状の硬貨である。

 45年も流通しているので、摩耗するのは当然である。

 

 この100円硬貨を観ていると、無数の想念がわいてきた。

 

 この硬貨は、どれ程の人の手元にいたのだろう。

 延べ人数にすると、数億人の人のもとにいたのだろう。

 誰かの初めての小遣いだったのかもしれない。

 ある時は、路上に放置されていたかもしれない。

 賽銭箱に放り込まれたこともあっただろう。

 

 この100円硬貨は何度、自動販売機や券売機に投入されたのだろう。

 自動販売機に投入すると、音がするので僅かではあるが、硬貨は砕けるように思う。

 それが無数に繰り返され、ふちの突起が無くなったのではないだろうか。

 

 買い物の支払いの時には財布を開けて硬貨を探す。

 ということは、この硬貨延べ数億人の顔をみただろう。

 小生はその数億分の一である。

 

 この硬貨の総移動距離は地球を何周するのだろう。

 狭い日本ではあるが、45年間も流通しているので、天文学的な移動距離であるかもしれない。

 今現在は、京都にいる。

 小生が買い物でこの硬貨を支払うと、再び硬貨の旅が始まる。

 

 やがてその役目を終え、日本銀行に回収されるだろう。

 昭和30年代の硬貨を見かけないが、お役御免となったのだろうか。