彼岸なので、墓参りをした。
畦道に咲き乱れる彼岸花が美しい。
収穫を迎えた稲の色が黄色いためか、赤が強調されている。
寺へ行くと、こちらを向いて満面の笑みを浮かべている老人がいる。
小生は知らないが、両親は知っていた。
親しげに世間話と噂話をしている。
この人物は見合い結婚をした両親の仲人である。
この御仁が別の家へ縁談を持ち込んでいると、小生はこの世に存在していない。
小生をこの世に送り出す一つの重要な要素である。
目の前にいる老人が小生をこの世に送り出したといっても過言ではない。
その後、御先祖様の墓へ参る。
近年、家が絶えたのか、野ざらしの墓が目立つ。
同じ苗字の墓なので、どこかで繋がりのある御仁が眠っているのだろう。
マスコミ諸君と商売人は「墓じまい」と騒ぎ、墓をカネに変えている。
脈々と受け継がれてきた生命の痕跡が商売の対象となっている。
「墓」の一つの転換期を迎えているのだろう。