抑鬱亭日乗

抑鬱亭日乗

複数の精神疾患を抱える者の独言を忌憚なく収録する
傾いた視線からこの世はどのように見えるのか

 職場で電話がかかってきたため、電話に出た。

 質の悪い自動音声が流れ始める。

 通常はすぐに電話を切るが、音声に従ってみることにした。

 しばらく聞いていると「1」を押せという指示が出たため、「1」を押した。

 

 「ルールールー・・・」という慣れない呼び出し音が聞こえてきた。

 電話番号を見ずに電話に出たが、相手は通信先は海外であるようだ。

 詐欺電話であろう。余計な好奇心が湧いてきた。

 

 若い男が電話に出てきた。

 相手は松山税関支署の職員という設定らしい。

 電話の主導権を握るため、「声が小さいから何も聞こえない、最初から言ってくれ」と大きな声で言ってみる。

 おそらく、このような問いに対するマニュアルがないのだろう。数秒間、相手は沈黙する。

 先方は再び、松山税関支署の職員であり、自分は管理係の人間である旨を言う。

 

 用件は何か、端的に言うように命じてみる。

 小生に重要な荷物が届いているが、荷物に覚えはあるかと問うてくる。

 自分宛てに税関に用のある荷物は一切ない。

 そこで、どこから、誰が送り主なのか、どのような荷物がいつ到着したのか詳細を聞いてみた。

 それから独り言で「あの時に注文した荷物かな、まだ来てないあの荷物かな」等、適当なことを言ってみる。

 

 この問いにはマニュアルがあるのだろう。

 重要な荷物であるため、詳細は答えられないという。

 荷物の確認のため、小生の名前、住所等を答えよという。

 答えるつもりはないため、「その荷物の送り主、荷物の重量等を詳しく教えてくれ、そうしないと答えようがない」と相手の意図を無視する返事をする。

 

 このようなやりとりをしていると、相手はこちらから情報をつかめないと気が付いたらしい。

 「荷物について、詳しく調べてからまた電話する。名前だけでも教えてくれ」という。

 「この電話に出るのは自分だけなので、かけてくれたら小生がが出る」と答える。

 「荷物について調べたら、また電話してください。よろしくお願いいたします。待ってます」と言い、電話を切った。

 

 あの電話の主は小生すら騙せないので、おそらく詐欺師には向いていないだろう。

 詐欺電話などせず、奴にはまっとうに生きてもらいたい。

 

 

 

 

 先日は8週に一度の通院日。

 医者が変わってから3度目の診察である。

 今の精神状態を点数で答えさせる愚かな質問はしなくなった。

 「今の心の状態の10点の定義」を明確にしないと、点数はつけられないと応答したことが原因か。

 

 長期にわたり、精神状態は安定している。

 投薬量も10年程、変化していない。

 10年前に運転中に前を走行している自動車が過度の眠気で3重に見えたり、センターラインを何度か超えかけた。

 それを当時の医者に申告すると、ジプレキサを止めて様子をみることとなった。

 医者の提案に従ってみると、眠気はなくなった。

 だが、トフラニールを減らすことに大きな不安があったため、これ以上の減薬はしなかった。

 

 あれからおよそ10年の月日が経った。

 医者は「長期間精神が安定しているのなら、少し投薬量を減らしてはどうか」という提案をしてきた。

 小生はトフラニールを減らすことに大きな不安を抱えている。

 トフラニールを150mgから200mgに一度に増やしてから中途覚醒が止まったからである。

 減薬により中途覚醒が再発することが恐ろしい。

 過去に小生に関与した数名の医者も減薬を提案するが、減薬の提案は全て断っていた。

 

 一度、減薬してみようか。

 今、仕事は忙しくない。

 再び中途覚醒が始まったら、薬を以前の量に戻せばよい。

 実験するなら今がちょうどよい機会である。

 

 小生は減薬の提案を受け入れた。

 トフラニールを200mgから190mgへと減らす。

 現在、中途覚醒は再発していない。

 時の流れなのか、忘却されたのか、事情を知らないのか、自然の摂理なのか。

 

 近所の墓地に戦没者の墓がある。

 その墓地の中では最も大きいため、階級の高い軍人の墓であると推測する。

 その墓はいつもピカピカで光を放つほど、手入れされていた。

 だが、最近、その様子が変わってきた。

 

 いつも光っていた墓石に黒い汚れが付着し、汚れが目立ち始めた。

 墓の手入れがされなくなったように思われる。

 

 おそらく、その軍人の墓は配偶者か兄弟、もしくはその子供が管理されていたのだろう。

 小生の祖父母は生きていれば今年、100歳を迎えていた。

 祖父は戦争に行っていたようだが、戦死せず生きて帰ってきた。

 祖母は度重なる空襲から逃れ、何とか生き延びた。近所には空襲で焼け死んだ御仁が少なくなかったという。

 二人とも、20歳で終戦を迎えた。

 

 あの戦没者の墓の手入れをしていたのが、配偶者であるとしたら、高齢で墓の掃除ができなくなったのかもしれない。

 兄弟が墓守をしていても、90代か100歳を超える。

 その戦没者に子供がいたと仮定すると、その人物も80代くらいと推測できる。

 いずれにしてもその故人を知る御仁は鬼籍に入っているか、間もなく入る年齢である。

 戦没者の墓を手入れしていた御仁も高齢となり、手入れが行き届かなくなってきた。

 

 遠からず、戦没者の墓も苔むすようになるのだろう。

 数年ぶりに映画館へ行った。

 COVID19が地球を蔓延する前から訪れていない。

 最後に映画館で映画を鑑賞したのはいつなのか記憶にない。

 

 映画が上映さえる前に複数の作品予告が放映される。

 かつてこれを参考にして映画を観に行っていた。

 予告を観ていたかったら、その存在を知ることはなかった作品も多い。

 

 しばらく映画館へ行っていない間に映像技術や音響技術が大きな発達を遂げていたことに驚いた。

 かつて映画館で映画を鑑賞していた頃とは隔世の感がある。

 

 映画を鑑賞するにあたり、自分では解決できない大きな問題点がある。

 他の観客の民度の問題である。

 大きな問題点は映画が始まる前から世間話や噂話で盛り上がる御仁が後ろに座っていることである。

 上映時間前に噂話で盛り上がるのはその御仁の自由である。

 だが、シアターが暗くなり、予告が始まっても会話は止まらない。

 

 あまりにも賑やかなので、前に座っている御仁と隣に座っている御仁がその方向をチラチラとみる。

 おそらく大きなノイズを発する御仁への警告であるのだろう。

 しかし、オバハンは会話を止めようとはしない。

 小生も後ろから聞こえる大きな会話に怒りを禁じえなかったのでオバハンに言った。

 

 「黙って観られへんのんか」と他の観客にも聞こえるように。

 

 残念なことに、小生の警告は何の役にも立たなかった。

 他の映画の予告であっても、次に鑑賞する作品の参考になることが多い。

 それ故、映画の予告も小生は静かに鑑賞したい。

 

 本編の上映が始まってからはオバハンは黙り、作品を静かに鑑賞することができた。

 

 後になり、映画の予告はCMのようなものなので会話をするくらいなら何の問題もないのかもしれないという見方に気が付いた。そう考えると、小生の警告が他人の自由を侵害するのかもしれない。

 

 実らぬ努力ほど空虚なものはない。

 必死で実現させようと努めるが、うまくはいかぬ。

 打ちひしがれた小生の精神は、湖に沈殿した泥のよう。

 このような状態になるのは久方ぶりである。

 

 自分は何のために努力をしているのか。

 何のために生きているのか。

 わからない。

 

 このような精神状態で盆を過ごしている。