(初回投稿 3/12 19:42:38)
「太田永厳」とは、「太田永賢(=資家)」(太田資正のおじいさん)なんじゃないの?
という「太田永厳について」はこちら
そんな中、
「太田永厳」が「太田永賢(=資家)」であることが、伊東潤氏の小説に書いてあるらしい。
という「情報」が寄せられました。
本当でしょうか。
載っている本はこれ↓「黎明に起つ」です。
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黎明に起つ (講談社文庫)
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確認しました。(購入させていただきました…。)
……。
文庫本のP372
「ちなみに道灌の死後、太田家は二つの系統に分かれていた。
道灌を殺されたことで、扇谷上杉家から離反した嫡男資康の太田家と、道灌の死によって太田家の名跡を継いだ永厳の太田家の二系統である。
宗家は後者となり、後に前者は江戸太田家、後者は岩付太田家となっていく。」
と。
…!!
なんか、「太田永厳=太田永賢」を「新発見」のように書いていた自分が、少し恥ずかしくなりました。
(しかし、Wikipedia様にはまだ、永厳を「第三の家系」と書いてあります。)
けれども、とっても嬉しいです。さすがはわれらの「伊東潤」ですね!
(教えてくださった方、ありがとうございました。)
〇追記:
もしかするとこれから伊東潤氏や他の研究者から「太田永賢」=「太田永厳」説についての詳しい考察などが出される予定(あるいはすでに出されている?)のかもしれませんが、このブログの記述に関しては、それらを妨げるものではないということをお知らせします。
っていうか普通に考えて、やはり「嫡子」がいるなら「養子」を取る必要はないし、さらにもう一人別の養子を取る必要は全然ないですよね。
そして、伊東潤氏の代表作(このブログでは)「城をひとつ」でも
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↑かつて「城をひとつ」については厳しい突っ込みを入れてしまった私でした。それはこちらとこちらです。
「使者は太田惣領家の当主・永厳である。
同じ扇谷上杉家中にありながら、資高の太田家と永厳の太田家という二つの系統に、太田家は分かれていた」
とあって、ここでも「江戸太田でも岩付太田でもない第3の家系である太田永厳」は用いられていないのです。
※※※
ちなみに、伊勢新九郎を素浪人とした旧説も、かつて関東の主だった北条家を貶めようとする江戸幕府草創期の情報操作から来ているのだと思います。どうでしょうか。