「城をひとつ」は全然読み終わらないのです。私にとっては、読むのが苦しい小説です。
「東国は今戦乱じゃ。旧勢力の争いに付け入り、わが身を立てるチャンス」
浪人(とされていた)伊勢新九郎は、ずっとそういう姿で描かれてきたような気がします。
しかし、最近の研究で実は伊勢新九郎の本家が室町幕府の役人だったということが分かったそうです。
だからなのでしょう「城をひとつ」(伊東潤著)で幕府の高官のように描かれる伊勢新九郎盛時は、大藤信基に話します。
「民のための楽土を築きたい」と。
「正しき法の下で、万民が平等に暮らせる国家を築きたいのです」と。
そうですね。それは、すごくいいことです。しかし。
「都には魔が棲んでおります。それを退治するには命がいくらあっても足りませぬ。それならば、いまだ魔の少ない地方を楽土にし、それを天下にまで広げていく方が早道かと」
そうでしょうか。ここが疑問です。そして、その「魔の少ない地方」とは
「東国です」と。
ここが。どうかなあ。と思うのです。
そんなことを言われても、って思いませんか。
もともと東国だって、「正しき法の下」でやってきたんじゃないんですか。だから「魔」が少ないのでは?
関係ない人が勝手に西からきて「楽土にする」って言われても「はい、そうですか」って言えませんよね。どうですか。
そして結局楽しいのは、小田原北条一門やご由緒家とかその郎等だけで元からいた民は旧勢力との戦いに新たに巻き込まれていっただけじゃないのですか。
そして、太田氏資は見殺しにするし、騎西城・菖蒲城は援けに来ないじゃないですか。当時は、兵士と農民は区別されていませんよ。これが「祿壽應穏」(ろくじゅおうおん)の実態だったのではないですか。それを民衆は見抜いていなかったでしょうか。つっぱる氏資がいけないのでしょうか。
「他国の兇徒」と忌み嫌われていたのは、小田原北条のその精神性だったのではないでしょうか。
そして鎌倉執権家の「北条」と改名するなんて、姑息でしょう。そんな一面があって、そこが滅びの始まりなのに「正義の北条」から出発していて、それしかないから、24年間が書けなかったのではないでしょうか。
(これからは書けるかもしれませんが)
(そして、書く人が現れるかもしれませんが)
そして、この小説では主人公はそんな戦前の軍国主義みたいな伊勢新九郎の話を真に受けてしまうのです。
結局、新九郎一代では「楽土建設」は不十分でした。主人公大藤信基はその息子「北条氏綱」のもとに赴きます。そして、なぜか謀略を一手に引き受けてあげるのです。
自ら泥をかぶることもなく、手を汚すこともない。ここでの北条家はそんなリーダーです。
そして、また「西」から来た勢力に滅ぼされてしまうのです。
それなら、二人は都にとどまり「魔性」と真っ向から戦ってもよかったのではないですかね。小説だというのなら。そういう「伊勢五代」と「大藤一族」だったらよかったのに。(そんな小説だったら、マイナー武将は登場しませんけれども)
でも、それなら、伊勢幕府が誕生していたのかもしれないのですから。
裸一貫、身を立てようと西から来た北条早雲が懐かしい。その姿は、さわやかでした。
全部読んでもいなく、いい加減な自分を顧みもせずにしかも匿名で批判めいたことを書くことに躊躇しています。
とりあえず半分まで読んだ感想です。