県立さきたま史跡の博物館に行くと 入場券には誇らしげに鉄剣の「獲加多支鹵大王」の文字の写真が入っているのですが ここは「乎獲居臣」を入れるべきなんじゃないかな とずっと思っていました
この「獲加多支鹵」を「ワカタケル」と読み「雄略天皇」を当てはめているのですが
実際に 埼玉にいなかった近畿の天皇よりも 埼玉にいて「吾左治天下」と黄金でつづった「乎獲居臣」の方が入場券に乗せるにふさわしいと思うのです
「百錬」の剣に黄金で自分の「奉事根源」を記した「乎獲居臣」は 心底「獲加多支鹵大王」に忠心を抱いていたと思います おばちゃんは ここが素晴らしいと思うのです
でも にも関わらず ワカタケル雄略天皇側は「乎獲居臣」のことに何も触れていません 完全にシカトです
「倭」とか「東夷」とか言って蔑んでいる中国でさえ 「倭王」の事を記録しているのに…
ちょっと ひどくないですか 大王にしては
そのせいか 県立博物館の人は (身分が低いと思われていた?)「杖刀人」の頭目程度の分際で「天下を補佐した」とはおこがましい と思っているのかもしれませんが
でも そこにちょっと卑屈さを感じるんですよね
「安東大将軍」倭王武だって 「杖刀人」=武人の頭目ですよ
鉄剣もそうですが 鉄剣があった稲荷山古墳は すごい技術でつくられているのですから もっと自信をもって!
倭王武は「乎獲居」だ! くらい言ったっていいんですよ 状況証拠で
そして乎獲居臣の 「上祖」「意富比垝」は古代皇族の「大彦」「大毘古命」であるとされ これも「箔をつけるための乎獲居のカタリ」のように言う学者もいます
そこにも ちょっと意地の悪さを感じますが 「意富比垝」が「大彦」だとしても 「オオヒコ」なんて名前は「タロウ」みたいなもので そんなに珍しいものではなく あの古代皇族を指していない可能性もあるのではないでしょうか
それにあの古代皇族の「大彦」も本当に古代皇族なのでしょうか 実は地方の実力者なのではないでしょうか
なんて読むのかはわかりません 証拠もありませんが この「獲加多支鹵大王」は「稲荷山古墳」の粘土郭に「乎獲居臣」とともに眠っていた人なのではないでしょうか