☆彡 ボツ原稿になってしまったので、こことNOTEでご披露します☆彡
「この子らを世の光に」という糸賀一雄の言葉を思い返していた。
支援教育のパイオニアである糸賀は、自らが担当する重い知的障害を持つ子供たちの中に「だれととりかえることもできない個性的な自己実現」を見た。
そして「その自己実現こそが創造であり、生産である。」と述べたのである。(『福祉の思想』(NHKブックス、1960年)P177、178)
糸賀の言葉は、知的障害児を哀れみ「世の光を」乞うのではなく、子供の生きる生命そのものの光を世の中に当てよという思い、願いであった。
そして現在、目指すべき世界水準の教育の在り方は「インクルージョン」(包摂)であり、もはや「この子ら」という区別さえない。
すべての人間に光があり、生きることそのものが生産なのである。
尊重され、幸せに生きる権利が誰にも保障されている。
そして、私たちには、人権の中の人権とよばれる「学習権」がある。
学習することなしに私たちは本当の意味での豊かで幸せな人生を生きることはできない。
1985年の第4回ユネスコ国際成人教育会議では「学習権宣言」が採択された。
それは「読み・書く権利であり、質問し分析する権利であり、想像し、創造する権利であり、自分自身の世界を読み取り、歴史をつづる権利であり、教育の手立てを得る権利であり、個人及び集団の力量を発達させる権利」(日本教育法学会『コンメンタール教育基本法』(学陽書房、2021年)訳は谷口聡氏による)である。
今、AIが人間の知能を凌駕しつつある社会において、糸賀一雄氏の言葉が「真実」として、私たち一人ひとりに迫ってきている。
しかし、平気で参考文献を偽るAIに人間の神性を「光」と見る哲学はない。
どんなに解析力があり、どんなにそつなくコミニュケーションできたとしても、AIには人間のような哲学、そして倫理観を持つことはできないだろう。
それはなぜか。
AIには生命がないからである。
「生きる」ことなしに哲学を獲得することはできないのである。
