かくれんぼ・毒の園 他五篇(岩波文庫):フョードル・ソログープ | 夜の旅と朝の夢

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【ロシア文学の深みを覗く】
第31回:『かくれんぼ』『毒の園』他5篇
かくれんぼ・毒の園 他五篇 (岩波文庫)/岩波書店

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日本文学では、社会的・政治的な問題はどちらかといえば嫌厭されているように思えますが、ロシア文学では、社会的・政治的な問題(と、その解決策としての人道主義)に対する強い関心が通底しています。

社会的・政治的な問題を扱うことが文学にとって重要なことかどうかは、ここでは問いませんが、社会的・政治的な文学が栄えれば、それに反動するものが出てくるのは必然でしょう。

ロシアでは、その反動は、ヨーロッパの象徴主義の影響の下、18世紀後半から1910年頃まで興隆したロシア象徴主義として現れます。前衛的で伝統を否定したモダニズムの始まりをロシアに告げる鐘でもありました。

今回紹介する本は、そんなロシア象徴主義を担う芸術家の一人、ソログープ(1863-1927)の短篇集『かくれんぼ・毒の園 他五篇』です。

ソログープの特徴は厭世主義と言われていますが、本書を読む限り、単純に人生を否定しているわけではなさそうです。ソログープが嫌悪しているのは、おそらく単調な生活とそれに甘んじる人々であって、それらを打ち壊し、時には死をもたらすこともある「美」には絶対的な愛着を持っています。

「ダラダラと生きるくらいなら、美しく散ったほうがいい」と、まあ簡単に言えばそんな感じなのですが、この「美」が何たるかが重要。「美しく散る」ことは、決してかっこよくもないし、人から賞賛されることもない。グロテスクでありながら、人を惹きつけて圧倒する(岡本太郎がいうような意味での)美なのです。

さて本書には、短篇小説が6篇、戯曲が1篇収録されています。

【かくれんぼ】
冷たい夫に愛想を尽かしているアレクサンドロヴナとその溺愛を受ける幼女レチカの物語。

母娘は毎日のように二人でかくれんぼをして遊ぶのだが、かくれんぼにまつわる迷信を聞かされたアレクサンドロヴナは、極度の不安に襲われ、それに答えるようにレチカは病に倒れる。迷信とレチカの病とに関連性がないことは明らかであるのに関わらず、アレクサンドロヴナも読者も、それを切っても切り離せないものとして受け止める。下らない迷信がアレクサンドロヴナとレチカの心地よい生活にひびを入れ、グロテスクで美しい人生が現れる。

【白い母】
継母に虐げられている子供に出会った人嫌いのサクサウロフは、その子供に昔愛した女性の面影を見て・・・。本書の中で唯一明るい基調。

【光と影】
影絵にとりつかれた少年とその母親の物語。実人生の残滓である影が光そのものであるはずの実人生を覆い尽くす倒錯した美の世界が圧巻。

【小羊】
子供の無知と残虐さにスポットを当てた掌篇。物語自体はややありきたりな感じを受けなくもないが、語り口にはソログープらしさが光る。

【白い犬】
白い犬への変身譚。変身するのは狼ではないが狼女もの一種であろう。この変身も単調な生活からの脱却としてとらえることができると思う。

【毒の園】
アパートで暮らす学生は、窓から植物園を眺めると、そこに美しい女性を見つける。アパートの管理人の老婆から彼女に関わった人々は謎の死を遂げているため、関わりを持たないように忠告されるが、それを無視して彼女に会うと・・・。

どこかで読んだ話だなと思いながら読んでいたのだが、読了直前にホーソーンの「ラパチーニの娘」(以前、紹介した『怪奇小説傑作集3』に収録)とほとんど一緒と気づく。ソログープは「ラパチーニの娘」を借用していると思われるが、ラストがちょっと違うようだ。

【悲劇 死の勝利】
戯曲。簡単に言えば、王女とその腰元の取り替え話ですね。王女の代わりに愛される腰元であったが、結局、本当の王女でないことを暴露してしまう。そのとき王がとった行動とは?

なぜ死の「勝利」なのかを考えると、僕が勝手に考えるソログープのテーマ「ダラダラと生きるくらいなら、美しく散ったほうがいい」が見えてくる(と思う)。

と、そんな7篇を収録。いずれもソログープの強烈な個性が光る素晴らしい作品ですね。ということで本書はかなりおすすめです。

次回もソログープを紹介する予定です。