日記
はっきり言って俺は政治の事とかさっぱりなんだけど、
そもそも判ろうとしていない。
というのは、あんな「優秀」で「賢い」政治家の人たちが
束になって頑張っても解決しない問題があるのに、
普通に仕事している一般庶民がちょっとTVや新聞を見たぐらいで
理解できるとは到底思えないから。
政治家のお偉いさんたちはあれが仕事なのだ。
それを普通に仕事している一般庶民が理解すると言うことは、
2つの仕事を両立しているようなもので、
そんな片手間で簡単に理解されたんじゃあ政治家の立場が無い。
そんなんだったら
その片手間なんかで理解出来てしまう人が政治家をしたほうがいい。
一般庶民はせいぜい結果だけ見て負け犬の遠吠えのように騒ぎ立てるだけ。
俺は基本的に政治関係のメディアは信用して無いので、
その結果が捏造された形だけのもので、
単に踊らされてるだけかもしれない等と考えてしまい、
見たって時間の無駄だろうと思ってしまう。
もう彼らの位置までたどり着けない人たちは、彼らの言いなりになるしかない。
権力と言う土俵の上では圧倒的に負けたのだから。
口論で言い負かされた後になって、「これ言っとけばよかった」とかいう
負け組の発想のようなもので、はじめからその位置を目指さなかった、
目指す発想にならなかったというのがもう負けといってもいいだろう。
勝負がついてからあーだこーだ言うのは見苦しい。
もっともそんな土俵があればの話だけど。
そんな土俵が見えない人にはそんな土俵は存在していないのだろう。
別の土俵があるかもしれない。
そもそも人間が生きる理由は、喜んだり楽しんだり感動したりする為。
喜んだり楽しんだり感動したりするというのは欲からきている。
つまり欲を満たすために生きている。
欲は生命力からきている。
喜んだりするなと言われるのは、
生命力を上から押さえつけられているようなものなので、
その結果生きる意味が判らなくなって死にたくなるというのは自然な流れだろう。
つまり人間は生きるために生きている。
苦労したらその分少しのことで楽しい気分になれるし、
苦労しなかったらその分ちょっとやそっとじゃ楽しい気分にはなれない。
そう考えると、立場とか権力とか関係なしでみんな案外平等だなと思えた。
日記
愚かなほどストレスを溜め込み、
醜い産業廃棄物を廃棄処分するかのようにそれを発散する迷惑な奴。
破裂するほど溜め込んで、
どこか故障したロボットのような行動を取ってしまう基地外殺人鬼。
溜まったゴミを分別できず、何処に捨てていいのかわからなくなって、
最後には自分の存在を消すことによってそこから逃れようとする不器用。
太陽と地球の位置関係が生んだ偶然が人間だとすると、
人間の生きる意味は生命力のみになり、
死ぬ直前の感情は恐怖のみに支配される。
しかし、それに留まらないのは、自分たちの存在を偶然ではなく必然と考え、
さらに言葉の存在がその必然性を高め、
そのことによって確認された感動や幸福といったものが
人間の生きる理由として、十分成り立つから。
死んでしまうと、感動や幸福はもう得られない。
また、それらは人間の延命に拍車をかけた。
しかし人間はそれらを得る為には手段を選ばず、
その為には他の人間を殺すこともした。
これは、人間が欲の象徴で、エゴの塊だという現実が生み出した悲劇であり、
欲得のみに脳を支配された人間の浅はかさ。
芸術を見失った。
人間と人間が共存することにおいてのみ感じることができる芸術性は、
欲得に支配された麻痺した脳では感じることはできなかった。
芸術は美しい。それが全てであり、それ以上の理由は要らない。
自分たちの存在は、偶然でも必然でもなく、奇跡でありチャンスであると考える。
せっかくのチャンスを棒に振るのは勿体ない。これは欲であり、エゴである。
自分たちはエゴの塊だ。
共存することにおいてのみ感じることができる芸術性を見出すことによって、
共存するということを克服した。
日記
少し前まで俺は、花というものに価値観が見出せず、
部屋に飾ろうなんて絶対に思わなかった。
見ていても別に何も感じないし、枯れると醜いゴミになる。
よくあんなものに金まで出して買おうと思う者がいるものだ、
と不思議にも思っていた。
所がここのところ、その花が妙に美しいと感じてしまう。
あの柔らかな生命力を彷彿とさせるような輪郭と、
吸い込まれるような鮮やかな色彩には、何か訴えかけるようなものすら感じる。
見ていて落ち着いてくる。
そして俺は、部屋に花を飾ることがもっと出来なくなってしまった。
枯れていく様を見るのは忍びないし、最後には捨てなければならない。
果たして今の俺にそれが出来るだろうか?
と、考えたとき、あるトラウマが蘇えってきた。
昔俺は、一緒にいて面白くて楽しい人と言う要素が、
生きていく上では絶対必要だと思っていた。
そういう奴は女にはもてるし、友達も多いし、仕事もうまくいく。
だから俺は一生懸命それになろうとした。
そんなある日、複数の友達と遊んでいる時、
俺は自分が面白いと思ったことを自信持って言ったことがあった。
そしたら案の定みんな笑ってくれたのだが、
次にその上をいくもっと面白いことを言った奴がいて、
みんなは俺の時よりもっと笑った。
俺も笑った。
そうすると、途端にみんなの視線はそっちに向いてしまい、
俺の存在が忘れ去られたかのように感じてしまった。
俺はなんだか人間の持つ残虐性というものを垣間見たような気がして、
急に人間が恐ろしく思えてきた。
そしてそのうち自然と人間を避けるようになってしまった。
大概の人間は、
自分の欲を満たすといった利用価値を失ったものには見向きもしなくなる。
花だってそれまでは心を和ましてくれていたのに、枯れるとゴミとする。
人間の持つ美しいという感情なんて所詮そんなものだ。
欲を解消出来ない、あるいはそれが出来なくなってしまったものには
殆ど何も感じなくなってしまう。
人間の醜いエゴが露骨に浮き彫りになって見えるようだけど、
それまで心の支えになっていようが、いらないものがいらないのは当然なことだ。
せめて手厚く葬ってやるくらいか。俺もきっとそうだ。
しかしそれを認めたくないという気持ちもある。
だからその証拠を自分に押し付けるようなことは、なるべく避けたい。
久しぶりにお子様ランチが食べたい気分になった。