日記
女と言う生き物は恐ろしい。
個人差はあるけど、あの男を惹きつける魅力は異常だ。
潤いのある美しい髪質と、体の割に小さめの頭。
整った目鼻立ちに透き通るような白い肌。
そこにうっすらと現れる生命力を象徴するかのような薄ピンク。
鈴蘭水仙の萼のように、その存在意義を主張する弱々しく柔らかな印象の首
控えめな肩幅からスラッと伸びた腕。
妖艶の美を醸し出す体の曲線美。
体を支える足は支える為だけに在らず。
美しいチェロの演奏のように、太すぎず細すぎず
絶妙なバランスを保ったまま伸びていく。
最も逞しくあるイメージとは裏腹に、むしろ柔らかさすら髣髴とさせ、
上に行くほど眩い光を放つようになっていき、その探究心を擽られる。
優しく、包容力のある、それでいてどこか守ってあげたくなるような
か弱さを帯びた声は、棘のある感情を少しずつ丸くする。
女の魅力はそれだけに納まらず、何か目に見えない何かを感じさせる。
甘い何かが脳を浸食していく感じ。
一種のフェロモンといわれるものかもしれない。
目に見えないのでなんとも言えないけど、
それも女の魅力を引き立てるひとつの材料として思われる。
俺の表現出来ない部分も沢山あるかもしれないけど、
とにかくそれらがまとまってその全てが引き立て合い、
神々しい光を放ち、眼がくらむような錯覚に囚われる。
あれは一種の洗脳と言っても過言ではない、
あの光に囚われた人間は、
全ての答えがYESになってしまうという恐ろしい洗脳術だ。
しかし、先に言った通り、これには個人差があるようで、
幸いなことに俺はまだそこまで強力な術を持ち合わせている恐ろしい女は、
見たことはあるけど関わったことはないので、
なんとか変な契約書にはサインをせずに済んでいる。
前々から運はいい方だが、
こんなところで運を使っているから、宝くじが当たらないのだろう。
それでもやはり女には魅力はあるもので、
俺も過去に付き合った女は何人かいたけど、
付き合う前と付き合った当初にはそれなりに魅力を感じたし、
必死に喜ばそうとしたこともあった。
しかし時間の経過と共に、不思議とそんな感情は薄れていくもので、
だんだんと口数も減り、喜ばそうなんて微塵も思わなくなる。
こうなった付近で大体別れたけど、その先まだ続くようなら、
そのうち触れることすらしなくなり、
世にはびこる腐った夫婦の末路を歩んだかもしれない。
このことから考察するに(あくまでも俺なりに・・・)
外面よりも内面を重要視しなければならない。
人間(俺)は、美しいという感情を抱くその対象よりも、
時間と共に段々と自分のエゴを優先にするようになる。
美しいを勝る憎悪を抱いたとき、
あっさりと憎悪に支配される。
ゆえに、美しさだけに囚われて一緒になったその末路には悲劇が待っている。
一緒になった人間は、お互いを良く知る必要がある。
人間を支配しているのは外面ではなく、あくまで内面。
外面に囚われることなく、お互いの内面を分かり合い、
その上で、お互いを支え合うということが出来なければ、到底長続きはしない。
信頼関係。そこには、お互いがお互いを分かり合いたいと心から思い、
確実に一歩一歩共に歩んでいく必要がある。
それが出来ない人間とは、いくら美しくても一緒にはなれないと思う。
日記
人間とは不完全な生き物だ。
ある物語の一場面で、酒に溺れて体調がおかしくなっても
まだ飲む事をやめられないと言うアル中がいて、
別の登場人物が心配して諭そうとしたけど、
アル中は「飲みたいものを飲んで体に悪いわけない」と言って、
飲むことを止めようとしなかった。
話はそこまでで、その先アル中がどうなったかはわからないけど、
これはもう欲が体を支配したという状態にあるのだろうと思った。
体調がおかしくなっているにも関わらずまだ飲むと言うことは、
体を壊すと言うリスクより
酒を飲みたいと言う欲がそれに勝っていると言うことになるので、
それは欲に体が支配されたと言っても過言ではないだろう。
例えば、
人間は正しい知識が無い内に蚊に刺されたら痒いからと言って掻く。
そうしてもっと酷い事になったり、
他の人に注意されたりして初めて掻いてはならない事がわかる。
それでも痒いとついつい掻いてしまったりする事があるけど、
これも皮膚を傷つける、患部を悪化させる等のリスクよりも
掻いて気持ち良くなりたいと言う欲が勝った結果なのだろう。
欲から来る衝動とは不確かなものだ。。。。
欲に駆られて取る行動が必ずしも自分にとって良い事ではない。
人間とは不完全な生き物だ。
完全な生き物だったら病院なんてこんなに流行らないだろう。
人間、欲が無いと生きていけないけど、
欲だけで行動するのも怖いものだと思った。
日記
欲を満たそうとすると、なにかとストレスがついてまわる。
食欲を満たすには食べるということをすればいいわけだけど、
これは満腹になるまでストレスを伴うことがない。
満腹まで食って、尚食うとなればそこで初めてストレスが発生する。
それでも物を食うには、顎の筋肉や腕や指を使うことになるので、
その分のストレスは発生しているはず。
欲がそれに伴って発生するストレスを上回ったというのだろうか?
シーソーの右を欲で、左をストレスだとすると、
右に一杯に傾いている状態が空腹の状態。
食べるごとにどんどん逆に傾いていって、
均等の位置になったときが満腹の状態。
それ以上になるとストレスを感じるようになる。
そう考えると、金銭欲はどうだろう。
満たすには働くというストレスを伴うことになる。
食欲を満たす時の食べる動作がそれに当たるわけだけど、
食べる動作のときは欲を満たすまでは苦痛に思わないのに、
働く動作のときは欲を満たしてないのに苦痛だ。
これは単純に欲が満たされるまでの時間と、運動量の違いと、
それに伴って発生するストレスが
欲を上回っているからということが考えられる。
それなら、もっと金に貪欲になって、
日給にして、運動量を減らすということが出来れば、
仕事をするのが苦痛ではなくなるのか。
いや、仕事をするにあたって伴うストレスはそれだけではない。
劣等感や、やらされてる感、
時間に追われる、仕事量に対する不安など、
精神的な面のストレスもある。
大きくまとめると、自由に出来ない
ということがストレスにつながっているということになる。
自分の思い通りにいかないことがストレスになる。
そうすると、全てが思い通りにいって、
それが金になるというのが一番理想になる。
確かにそんな仕事が存在するなら、いくらでも仕事がしたくなる。
金銭欲ならいくら満たしても際限が無いので、
シーソーの例は成立しなくなると考えられそうだけど、
俺はここでもシーソーは当てはまると思う。
欲を求め続けると、いつしか欲に支配される。
自分が欲を操らねばならないのに、
逆に欲に自分が操られることになる。
自分を冷静な目でみられなくなる。
人に不快を与えている自分に気づかない。
共存することが困難になってくる。
それはもう破滅に向かっているといってもいいのではないか。
そしてこれは病気ではなかろうか?過食症ならず過欲症だ。
だから、その冷静に自分をみられなくなる、欲に支配される手前が、
そのときの自分が得ることのできる欲の限界だと思う。
逆のストレスの場合でも同じで、
ある程度まで溜まると少しのことで頭に来るようになって、
頭の中が真っ白になって思わぬことを口にしてしまったりすることがある。
これももう自分自身をコントロール
できなくなってしまった状態にあるということだろう。
話の流れからストレスの逆が欲ということになるわけだけど、
そうすると仕事をすることにおいて発生する
精神面のストレスの逆も欲と言うことになり、
仕事をすることによって満たされる欲が
金銭欲だけではないことになる。
一言で金銭欲というけど、
もともと貨幣というものが存在していない時代に
金銭欲は存在しえないので、
その時代では貨幣の代わりに物々交換だったことから、
単に物欲だったのだろう。
ただ、それだと物を沢山持っている人が偉いというわけではなく、
先を見据えて価値の出そうなもの、
価値のあるものをいかに多く持つか、
交換する時期をいつにするか。と言うことがポイントになる。
今で言う株に似ている。
大昔の人が本当にそんなことを考えていたかどうかは定かではない。
勝手に作ってしまった。
しかし物であるということから来る価値の曖昧さは拭い去れず、
そこから不平不満が発生することによって、
その価値を図る正確な物差しが必要になり、
その物差しが貨幣と言う形になった。
そして、あるところまでの欲を満たす為に貨幣が必要になり、
その貨幣に対する欲が金銭欲になった。
なので、貨幣によって満たすことのできるさまざまな欲が
金銭欲という言葉で一括りになっているようだけど、
本当は貨幣に興味があるのではなく、
その先に満たされるそのさまざまな欲に人は興味がある。
仕事の話に戻ると、満たされる欲が金銭欲だけではなく、
目に見えない精神的な面での欲も満たされると言った。
この、仕事をすることにおいて満たされる欲を一括りにして
仕事欲と言うのだろう。
俗に言うやりがいだとか達成感という類のものだろうけど、
これも度を過ぎると過度なストレスに繋がることになる。
小さな子供が漫画に出てくる巨大な肉が美味しそうだからといって、
本当にそんな量を食うことは不可能である事を知るように。
身の程を知る必要がある。
理想を追う。つまり欲は、生きていく原動力にはなるけど、
それには常に自分を冷静な目で見るということが大切になるということ。
仕事欲に貪欲になり、それでいて常に自分を見失わないようにする。
これが一番理想の形だと思った。