宇宙人が逆立ちしたら人宙宇になった
ある奇跡によって宇宙が誕生し、
ある奇跡によって地球が誕生し、
ある奇跡によって生物が誕生し・・・・・・
宇宙のことを考えると、
悩み事や、煩わしい出来事全てが
ちっぽけに感じる。
でもそう感じるのは
宇宙と人間を比較したとき、
そこには比較するにも値しない
消滅しそうな何かがみえたから・・・・・・
人間は宇宙と同じ母胎から生まれた。
いや、存在するもの全てが同じ
奇跡という母胎から生まれた。
悩みや煩わしいこと全て、
それすら奇跡だった。
全てが宇宙誕生に繋がっていた・・・・・・
でも彼はその全てが、只の偶然としか思えなかった
只それだけのこと・・・・・・
日記(最終回)
友達なんかとご飯を食べに行ったりしたとき、
周りの客が気になったりするときがある。
「こっちは話が途切れちゃったけど、
隣は話がまだ続いているから何か話さなきゃ」とか、
周りの笑い声を聞いて「こっちも楽しそうにしなきゃ」とか、
妙に対抗意識が働いて、無理して大げさに笑ってみたり、
話を途切らせまいとして、無い知恵を絞って
その結果何言ってるかわからなくなってしまって、変に思われたり。
また、それらは見栄からきているので、
周りを気にしていない振りもしなければならなくなる。
実は気になっていても対抗意識が働いている為、
こっちの話よりも向こうの話のほうが気になるという事、
それ即ち負けを認めることにつながるし、
一緒に来た相手にも失礼に当たる。
何より自分がつまらない人間だと思われるのが一番怖いことであって、
その恐怖心が焦りを駆り立てる。
何気にそれが結構ストレスだったりする。
あの場は戦場だ、
勝てば本来の目的であるストレスを発散することができる。
負ければ本来ストレスを発散するべき所でストレスを溜めることになり、
仕事でもストレス、遊びでもストレスの悪循環で最後には基地外になる。
ならもうそんな場所には行かなければいい。
見栄の張り合いの戦場なんかで殺し合いをするのは馬鹿げている。
こういった対抗意識は友達4人以上の複数で遊んでいる場合でも働く。
2対2とかに分かれて、どっちが楽しいか、面白いかを
無意識のうちに競い合っている。血のつながった家族でもそれはある。
人間は共存する生き物。
生きている理由は楽しんだり、感動したり、喜んだりする為なので、
単純に考えるとそれらをより多く提供できる者は皆に必要とされ、
より共存するのに有利になる。
みんなその安心感が得たいが為に必死になっているわけだけど、
みんながそうはなれない。
一つの団体の中の一番は一人しか存在しえない。
その一番だって、下がいないと存在しなくなる。
一番にとってそれは大いに困ることなので、
場合によっては一番より下の者のほうが重要にもなりうる。
一番も下が存在しなければ共存も糞も無いのだから。
そう考えると一番とはいえ、
所詮一つの形を作るための一部分に過ぎないように思える。
なにも一番になんかならなくてもいい。
本来ストレスを発散すべき場所で、無理してストレスを感じるくらいなら
そんなものは求めなければいい。
そもそもそんな場で一番なんて存在しない。
そんな漠然とした欲を求めて、自分はストレスを発散したい、
楽しみたい、生きたいという本質を見失うのは本末転倒だ。
人間は本来欲の塊で自己中な生き物。
そこに共存すると言う矛盾が入るのだけど、
そこには共存することでのみ得られる芸術性がある。
その芸術のためなら、人は欲を捨てることが出来る。
つまり死ぬことも出来てしまう。そのことから考えるに、
生きる意味はそこにあったのかもしれない。
周りの客が気になったりするときがある。
「こっちは話が途切れちゃったけど、
隣は話がまだ続いているから何か話さなきゃ」とか、
周りの笑い声を聞いて「こっちも楽しそうにしなきゃ」とか、
妙に対抗意識が働いて、無理して大げさに笑ってみたり、
話を途切らせまいとして、無い知恵を絞って
その結果何言ってるかわからなくなってしまって、変に思われたり。
また、それらは見栄からきているので、
周りを気にしていない振りもしなければならなくなる。
実は気になっていても対抗意識が働いている為、
こっちの話よりも向こうの話のほうが気になるという事、
それ即ち負けを認めることにつながるし、
一緒に来た相手にも失礼に当たる。
何より自分がつまらない人間だと思われるのが一番怖いことであって、
その恐怖心が焦りを駆り立てる。
何気にそれが結構ストレスだったりする。
あの場は戦場だ、
勝てば本来の目的であるストレスを発散することができる。
負ければ本来ストレスを発散するべき所でストレスを溜めることになり、
仕事でもストレス、遊びでもストレスの悪循環で最後には基地外になる。
ならもうそんな場所には行かなければいい。
見栄の張り合いの戦場なんかで殺し合いをするのは馬鹿げている。
こういった対抗意識は友達4人以上の複数で遊んでいる場合でも働く。
2対2とかに分かれて、どっちが楽しいか、面白いかを
無意識のうちに競い合っている。血のつながった家族でもそれはある。
人間は共存する生き物。
生きている理由は楽しんだり、感動したり、喜んだりする為なので、
単純に考えるとそれらをより多く提供できる者は皆に必要とされ、
より共存するのに有利になる。
みんなその安心感が得たいが為に必死になっているわけだけど、
みんながそうはなれない。
一つの団体の中の一番は一人しか存在しえない。
その一番だって、下がいないと存在しなくなる。
一番にとってそれは大いに困ることなので、
場合によっては一番より下の者のほうが重要にもなりうる。
一番も下が存在しなければ共存も糞も無いのだから。
そう考えると一番とはいえ、
所詮一つの形を作るための一部分に過ぎないように思える。
なにも一番になんかならなくてもいい。
本来ストレスを発散すべき場所で、無理してストレスを感じるくらいなら
そんなものは求めなければいい。
そもそもそんな場で一番なんて存在しない。
そんな漠然とした欲を求めて、自分はストレスを発散したい、
楽しみたい、生きたいという本質を見失うのは本末転倒だ。
人間は本来欲の塊で自己中な生き物。
そこに共存すると言う矛盾が入るのだけど、
そこには共存することでのみ得られる芸術性がある。
その芸術のためなら、人は欲を捨てることが出来る。
つまり死ぬことも出来てしまう。そのことから考えるに、
生きる意味はそこにあったのかもしれない。
日記
「すごいね」「面白いね」「頑張ったね」。
俺はそういう類のお菓子が大好き。
それも高級なやつ。
でも求めるときりが無い。
馬鹿だから求めすぎていつも失敗する。
だからもう、そこまで求めるのはやめよう。
「その程度」と言われたって別にいい。
これが俺だ。俺が俺らしく生きられなければ、それは俺じゃない
俺はそういう類のお菓子が大好き。
それも高級なやつ。
でも求めるときりが無い。
馬鹿だから求めすぎていつも失敗する。
だからもう、そこまで求めるのはやめよう。
「その程度」と言われたって別にいい。
これが俺だ。俺が俺らしく生きられなければ、それは俺じゃない