日記
少し前まで俺は、花というものに価値観が見出せず、
部屋に飾ろうなんて絶対に思わなかった。
見ていても別に何も感じないし、枯れると醜いゴミになる。
よくあんなものに金まで出して買おうと思う者がいるものだ、
と不思議にも思っていた。
所がここのところ、その花が妙に美しいと感じてしまう。
あの柔らかな生命力を彷彿とさせるような輪郭と、
吸い込まれるような鮮やかな色彩には、何か訴えかけるようなものすら感じる。
見ていて落ち着いてくる。
そして俺は、部屋に花を飾ることがもっと出来なくなってしまった。
枯れていく様を見るのは忍びないし、最後には捨てなければならない。
果たして今の俺にそれが出来るだろうか?
と、考えたとき、あるトラウマが蘇えってきた。
昔俺は、一緒にいて面白くて楽しい人と言う要素が、
生きていく上では絶対必要だと思っていた。
そういう奴は女にはもてるし、友達も多いし、仕事もうまくいく。
だから俺は一生懸命それになろうとした。
そんなある日、複数の友達と遊んでいる時、
俺は自分が面白いと思ったことを自信持って言ったことがあった。
そしたら案の定みんな笑ってくれたのだが、
次にその上をいくもっと面白いことを言った奴がいて、
みんなは俺の時よりもっと笑った。
俺も笑った。
そうすると、途端にみんなの視線はそっちに向いてしまい、
俺の存在が忘れ去られたかのように感じてしまった。
俺はなんだか人間の持つ残虐性というものを垣間見たような気がして、
急に人間が恐ろしく思えてきた。
そしてそのうち自然と人間を避けるようになってしまった。
大概の人間は、
自分の欲を満たすといった利用価値を失ったものには見向きもしなくなる。
花だってそれまでは心を和ましてくれていたのに、枯れるとゴミとする。
人間の持つ美しいという感情なんて所詮そんなものだ。
欲を解消出来ない、あるいはそれが出来なくなってしまったものには
殆ど何も感じなくなってしまう。
人間の醜いエゴが露骨に浮き彫りになって見えるようだけど、
それまで心の支えになっていようが、いらないものがいらないのは当然なことだ。
せめて手厚く葬ってやるくらいか。俺もきっとそうだ。
しかしそれを認めたくないという気持ちもある。
だからその証拠を自分に押し付けるようなことは、なるべく避けたい。
久しぶりにお子様ランチが食べたい気分になった。