エゴ=堕落?
俺は小さい頃兄が嫌いでたまらなかった。
勿論それにはいくつか理由はある。
そのうちでも分かりやすい理由をあげると、
それは月一回のお小遣いの日だとか、
お年玉だとかいった金銭の収入のあるイベントの日に必ず訪れる、
今思えば自然災害とも思えるような出来事だった。
兄は金遣いが荒く、
貰ったお小遣い等はすぐに使い果たしてしまうというタイプだった。
その反面俺は割りとお小遣い等は貯めておくタイプで、
貯まっていく喜びというものも感じられたので、
その功績を周りに認めてもらいたいという願望もなくもなかった。
それを嗅ぎつけたのか兄はこう言うのである
「お前の持っている金を〇〇に使おう」と、
俺としては意味不明であった。これは俺が必死に貯めたお金で、
その使用権は俺以外に認められないにも関わらず、
その苦労には全く関与していない兄が
その使い道を勝手に決めてしまおうというのである。
しかもその使い道というのが、俺の全くいらないもので、
兄が欲しがるようなものばかりだった。
兄は自分の持ち金を全部使ってしまい、
欲しいものがあるのに買えないからそうしたのだろう。
俺は当然その要求を拒むのだが、その度に
「ケチ」だとか「金は使うものだから俺が使ってやるんだ」だとか、
理不尽な怒りをぶつけられていた。
まるでどこかのガキ大将のような理屈である。
こうなる度に母親が仲裁に入って助けてくれるのだが、
なんだかとても胸糞悪いし、何も出来ない自分が情けなく思えた。
「これは自分勝手なエゴだ」当時の俺はそう考えていた。
しかし、今振り返ってみるとどうだろう、
その当時の俺としては目上の存在である兄が人の嫌がること、
それも自分の弟の嫌がることをその弟以上には理解しているであろう
という先入観があったので、確信犯であると捉えていた。
しかし、これがもし確信犯でないとしたらどうだろう。
兄はどうして弟が拒むのかが理解できていなかったとしたら・・・・・・
例えば生まれたばかりの赤ん坊が
夜泣きで大人を困らせるのは赤ん坊のエゴというだろうか?
赤ん坊にその認知は無い。
あるいは家の床を突き破って木が生えてきたというのはどうだろう?
これもとんでもなく迷惑な話だが、木のエゴといえるだろうか?
木はそのように生えるしかできない。
もうそれしかできない、そうするしかなくて、
そこには悪意や後ろめたさといったものはありえない。
木は自然の赴くまま生命力の赴くまま育っていく、いわゆる自然現象。
赤ん坊の場合もこれと似ているが、
これから色々覚えていくという前提条件を考慮すると、
赤ん坊のそれは「無知」といったほうが正確だろう。
エゴというものは「考えることの出来る人間」が、
欲を解消しようと行動する際、
ある対象に利害関係が発生した場合に
その対象の意思とは関係なく自分の欲のままに強行することで、
つまり、自分の欲求を満たす為には
その対象がどうなろうと関係ないという考えである。
これを細かく見ていくと、
まず欲が発生して、その次に行動に移る訳だけど、
そこである対象に利害関係が発生する。
ここで利害関係が発生したことを認識できないのが「無知」
認識したうえで見ない振りをするのがエゴ。
つまり欲求を満たす過程において生じる
利害関係等の問題定義に対しての倦怠、堕落の類がエゴだと俺は思う。
そう考えると、今までエゴに対して抱いていた嫌悪感が納得できる。
はたしてあの時の兄は無知だったのだろうか?エゴだったのだろうか?
それはもうその当時の兄に直接聞く他分かる術は無い。
俺は嫌いで話すことすら避けていたから・・・・・・
まあ無知だったと考えるほうが救いはある。
無視してるようで、そこには絶対的な無私が?
宇宙すら自分だとするなら、
この自分はなんだろう?
この自分である必要なんて有るのか?と、
少し損得勘定で捉えてみたら、
なぜか悲しいような切ないような感情が湧いてきた。
それは「あらいぐまラスカル」の最終回の、
主人公とラスカルの最後の別れのシーンを見たときに
俺が受けた感情にそっくりだった。
主人公はラスカルを自然に帰すと
さよならを言ってその場から離れる。
愛しい対象であるラスカルを背にし、
その方向を一切振り向かず、
悲しみを堪えて泣きながらその場から全力で去る・・・・・・
俺はそのシーンの主人公を頭の中で自分に置き換えることによって
さっき湧いた感情を確認しようとした。
主人公になった俺は、
背にした愛しい対象をあっさり振り返って見てしまった。
その瞬間ラスカルのシーンは終わってしまった。
何故なら主人公は振り返らないし、
何より振り返った先にみたものが、
俺だったから・・・・・・
俺は自分を愛していたのか?
無私の愛を自分自身に向けていたのか??
初めての感覚だった。
客観的に自分を捉えたのではなく
離れようとして受けた感覚だった。
長年連れ添ってきた愛着だろうか?
いや、生まれたときからずっとそう思っていたのかもしれない。
これが確かなら、いつか俺が死にたいと思ったあれは、
この愛おしい存在に対して死ねと言っていたことになる。
只一人の一番の理解者に死ねと言われた。
俺が死にたいと思ったときに湧いてきた悲しみの感情の根源が
ここにあったのか?・・・・・・
ふと子を持つ親の感情が分かった気がして、
その感情が今までの自分を勝手に振り返った。
俺はこの子(自分)を甘やかした。
この子の本当の幸せが分かってなかった。
只可愛かった・・・・・・
そこにはモンスターペアレントよりも酷いエゴが見えた。
可愛くて仕方なくて甘やかして育てて、
その結果生きていくのが困難になり
死ぬことによってその苦しみから逃れようとした。
殺すことによってその苦しみから解放してやろうとした。
愚か・・・・・・
「殺さないで殺さないで」と泣いた。
もっと生きたいもっと笑いたいもっと喜びたいもっと・・・・・・
自分自身に「ごめんなさい」を言ったら、泣きそうになった。
孤独に行き着く・・・・・・
昨日寝る前に、ふとある疑問が頭をよぎり
その瞬間自分が他人のように感じられた。
なぜ俺は俺なんだろう?
全てが奇跡で形成されていて
宇宙も
地球も
自分も
物も
観念も
全てが同じ母胎から生まれた兄弟
いや、全ては自分???
じゃあ何故自分はこいつ(自分)なんだろう?
こいつの視野で物を見たり
感じたり、考えたり、食べたり
聞いたり、しゃべったり・・・・・・
べつに隣の部屋で寝ているであろう
兄の視野で物を見たりしてもいいじゃないか?
なんでこいつに限定されるんだ?
「なんでどうしてなにが?」
といった疑問に脳を殆ど支配されて、
その間、物質であるところの自分が
ずっと疎かになっているようだった。
そのうち、自分の匂いが他人の匂いのように感じられた。
だんだん動悸がはげしくなってきて吐き気もしてきた。
体温も上昇したようになり、脂汗のようなものが滲んできた。
その自分も自分あれも自分地球も宇宙も全部自分・・・・・・・
頭がおかしくなりそうだったから考えるのをやめた。
そうしたらいつもの頼りない自分に戻った気がした。
でも存在するもの全てが自分ということを
もっと考えてみたいと思った。
