四条烏丸周辺は、
オフィスビルとホテルだらけで、
趣もなにもあったもんじゃない、
と思いきや、
そこは京都。
大政所御旅所
四条烏丸を下がると左手にある。
ビルの谷間にあるので、
まぁ大体の人は通り過ぎる。
説明を以下に転記。・・・・・・
大政所御旅所
ここはかつて、祇園祭(八坂神社の祭礼)の神輿渡御のとき、三基の神輿のうち、大政所(素戔鳴尊) 神輿と八王子(八柱御子神) 神輿の二基が安置される場所であった。
残る少将井(櫛稲田姫命) 神輿は烏丸竹屋町にあった少将井御旅所に渡御していたが、天正十 九年(一五九一)に豊臣秀吉により、これら二つの御旅所が四条寺町に移築・統合されて、現在の御旅所となった。 天延二年(九七四)に、この地に住んでいた秦助正が、夢の中で八坂大神の神託を受け、また自宅の庭から八坂神社まで蜘蛛が糸を引いているのを見て、朝廷にこのことを奏上した結果、助正の家が御旅所となったという。 天文五年(一五三六)に騒乱のため焼失したが、その後に町の人々が小祠を建て、八坂大神を奉祀し、大政所町鎮護の社として毎年七月十六日を 例祭日と定めたという。今でも神輿還御の時には神輿が立ち寄り、神職が拝礼する。
そして、四条東洞院を下がった右手
セブンイレブンの脇にある
悪王寺社
ここが祇園祭の起源だった!!
解説を下記に転記。・・・・・
悪王子社と祇園祭
悪王子社は素盞鳴尊を祀る八坂神社の摂社で、天延二年(九七四) 東洞院四条下る西側に建立されました。古事記や日本書紀に出雲国肥河の 川上で八岐大蛇を退治した素盞鳴尊を讃え、悪王子の称号を賜り、運命を切り開く若き勇猛心の御魂を荒御魂と申しお祀りしています。当時は、第六十四代円融天皇の御代で、平将門の乱(九三五) 藤原純友の乱(九三九) 等地方の国々が乱れ、その犠牲者の祟りで疫病や災害が起ると考えられました。その怨霊を鎮めるため祇園御霊会が行われ、東洞院四条の辻で四方に斎竹を立て注連縄を曳き渡しこの辻より巡行の列を作ったと祇園会起源にあり、これが祇園祭の始まりです。それが豊臣秀吉の命で烏丸五条に移され、この地を元悪王子町、移転地を悪王子町と呼ばれるようになりました。 悪王子社は明治十年より現在の八坂神社境内に鎮座されていますが、当町内にあるのが本当で、土地所有者の御好意で平成十年 四月悪王子社の分霊を頂きここにお祀りすることができました。
この辺歩いていると悪王子、元悪王子、
確かにあるなぁと。
ともかく、秀吉が京の町をあれこれ整理整頓したお陰。
松原通りが本来の五条通りと知った時も驚いたけど。
京都市の解説駒札には、大抵
「豊臣秀吉の命でこの地に…」とあるね。