晴れていれば一気に走っちゃうけど雨と強風のため四国縦断までで諦めて瀬戸大橋渡って倉敷泊です。
明日は雨止むかな。
足摺からは、雨中やや回り道してもジョン万次郎ロード走って正解、良い道です(^-^)
雨に煙る岬の海岸線はなかなか。
四万十川源流も良い所。
瀬戸大橋は強風で直線もバンク走行。
橋が見渡せるよい安宿です(^-^)

足摺岬、大雨です。
ここから東京まで千数百キロ、前向きに行きましょう(^-^)

四万十川に居ます。
携帯はほとんど圏外でコレも届くかどうか。
メールは少し受信できたけど、メールセンターにまだ溜まってるみたい。
レスなしすません。
Webも扉ページだけでタイムアウトみたいです。
安宿の廊下を位牌のように携帯かざして歩くゾンビと化してカナリ怪しまれてるので限界かも(笑)

これから四万十川の源流まで行きます(^-^)

受信できた話が一本化できなくて、いまいち判断つかないんだけど、粛清は止めにした、という事なのかな???
四国からだとどう思えばいいのかわかんないよ(泣)

ホンダのスポーツカー「S-2000」がどうにもほしい。
2.2リッターのオープン・スポーツカーなんだけど、マツダのロードスターと違ってこちらはかなりクルクルパーなクルマだ。
ある意味GT-Rよりよっぽどクルクルパー。
速いけど難しいクルマなのだ。
でもこれがいいのだ、ほしいのだ。
これで峠じゃなくてサーキットを走る。
峠はもう楽しめない。
去年CBで捕まったからじゃない(箱根ターンパイク)
スピードレンジが高いとか、エンジンがクルクルパーとか(バイク並みに高回転)コンプライアンスとか安全とか理由はいろいろ。
多分「ツインリンクもてぎ」のプログラムからやらないと乗りこなせない。

で、何がしたいかと言えば、筑波での試乗テストでの平均的なタイム1分7秒台をコンスタントに出せるようになって、(ここまで長いだろな)その状態からモディファイしてタイムを詰める。(そこから先は大きいこと言えぬ)
(追記:改めて見てみるとノーマルタイムは8秒台のケースが多いみたい。いずれにしても素人にはキツイタイムだがこのタイムが出せなきゃ意味がない!)
とにかく踏んでノーズがインに向くクルマでやりたいんだよ、テールが出るんじゃなくて、頭がスッと入ってほしいんだよ。
ああワナワナする。
NSXもとっくに生産終了で次はGTぽくなるらしいし、このS2000もクルクルパーすぎてちっとも売れないから次回モデルチェンジからマツダっぽくなるらしい。
それもいいけど今、こんなバカなクルマが新車で売ってるのは奇跡だ!どうにも好き。
スタイルがそんなにいいわけじゃないし、鈴鹿のラップタイムでは最新のCIVIC-TYPE-Rにやや負けたし(最新vs9年前の設計)値段高いし。
でも好きなものはしょうがない。
飾っとくんじゃなくて走りたい、タイヤはやっぱRE01だけど、湯水のごとく消費してどんどん交換だな。
オーリンズのフルアジャスタブル車高調、パットとダクトやって。ロムと触媒。
吸気ダクト、アッパーアーム補強。これだけでいいや。
あとはホイルをもう1セット。
幌は降ろしてハードトップ固定も必要だな。

込みで500万円はかかるな。  そんな金は全く無い。

むかしヤマハのTZ125でSUGOサーキットを走ってた時、最後は地方選手権出られるくらいのタイムは出たが、その時点で銀行の残高が本当に「0」になった。
もうどうにもならずに諦めた。
やり残し感あるよな。
(125と言ってもレース用だから1300より速いよ)

でも走りたいんだよS-2000で。ああワナワナする。。

主張しておかなければならない事を何とか「自分の事として」書こうとして何パターンも書いてアップまでしてみたが、解るように書くとどうしても相手のやった事にも触れなければならなくなる。
何かの批判をしたいのではなくて自分の事、とりわけでたらめ言われてる事を正そうと思って慎重に書いても、相手の事に触れるとそちらが主に見えちゃう。
どうソフィスケートしても批判に見えてしまうのでは?・・と思えて結局アップしてすぐに消してしまった。

思いつくまま書くしかないかな。

どう思われてもいいやと諦めるのと、悪意の数名(!)の所行を放置するのか否かは悩む。
でも僕はホーチミン並みにしつこいよ。何とか主義者じゃないけど。

いぢわる古ダヌキにネタ提供した事は誰をも幸せにしなかった。これは同意だよな?歴史だ。

広げちまった結果見えたもの、それは魔女狩りで犬になるタイプと、まずは魔女の存在そのものを確かめようとするタイプ、その初動の明解な差だった。
尊敬できる人はいる。

満身創痍のフラフラでも「考え」は変わらなかった。瀕死ボロボロで黄色い花畑見えても変わらない。
黒いものを白いとは言えない。

医者は再開していたパキシルの使用を慌てて止め、残量を回収した。
「しないよっ!」と突っ込んでおいたが若い女医さんとは核心ハズしの漫才会話になった。
するかよ!

「自分の中で昇華したからもういいのだ」という驚異の論理が通用する国は地上に存在しないだろう。(驚異の言い分だったよ)
でも「そういう性分なんだよ」と相方が言うなら「しょうがねえな」と納得したかもな。
しかし、用済みの案件が課題を残していても放置。ケアする必要はないのだ、という論理が通用する国は地上に存在しないだろう。
でも「そういう性分なんだよ」と相方が言うなら「しょうがねえな」と納得したかもな、ローカルルールなら。

伝えるタイミングとか感情を抑えるとか表現を吟味するとか「こうすれば良かった」はいっぱいあるけど、問題の本質に向き合ってきたか? 表層のコロモを取り除いても主張を差し替えずにいられるか?
と問われれば、僕は当時から主張も姿勢も何も変えていない。

週末は江ノ島・横須賀へ。
朝方は雨だったけど天気も回復しラッキーだった。
雲が激しく動いて隙間から光のカーテンが降りて幻想的な場面が次々現れて・・すごいタイミング!
国道脇ではみーんなカメラを取り出して南西を撮ってたっけ(^-^)
シラス丼最高!
真ん中のタマゴにポン酢または醤油を入れてかき混ぜてシラスにかけるのが正しい食べ方とか。
この食べ方もおいしかったけど、僕は味が付かないくらいに少量の醤油だけで食べるのがすきだな。
欲を言えばご飯とは別盛りにして、酢めしではなくて、温かいご飯で食べたいな。
塩だけで!(^-^)
でもそういうメニューは残念ながら無いのだ~。

僕の第二の故郷横須賀も変わらぬ表情で迎えてくれた。
戦艦三笠も猿島もドブ板通りもみんな優しくて。
こんな気持ちはほんとに暫らくぶりだった。
ありがたや。
ありがとう江ノ島、ぱっつん、生シラス!
三笠、横須賀、海軍カレー!あんがとね!(^-^)

約一週間経って用件済んだのでヘンな記事は消去します。

180°反対側から見た景色もあるという事を示せば後はどう思われてもいいです。
ご指摘感謝!でも考慮範疇、リトマス試験紙&ブービートラップで心配いりません、結果で分かると思います。
急に色変えてるし(笑)

分からないだろう・・ってやった微細な事も時間の経過とともにいやでもこちらに判ってしまうもんだという事もよく解りました。判ると暗くなるけど。

書けない事もいっぱいありますが、重い物を抱え込むならドロドロでもきっちり付き合います この理由なら。
霧が取り除かれた時スタンス変えずにいられるならコレも無視できるはず。


ということで雨の中、ギロチンをしばし眺める。
この時点ではあんなドミノ倒しみたいな動きをするとは思ってなかったのでモーター室とか無いのかな?などと考えた。
水位が高い時間だったからか干潟は水没していた。
カメラを出せず写真は無し。
人工の構造物は好きだが背景を考えるとヤなモノに見えた。
また体が冷えてきたのでもっと見たかったが宿へ行くことにした。

この後どうやって宿に着いたか覚えてない。
ユースだったと思う。
80年代中盤以降のユースは昔のような強制ミーティングとかは無く普通に使える。
でも昔ながらにスタッフとしてヘルパーさんがいる。
ヘルパーさんのスタンスもいろいろで、休みの日にそこの生活を楽しむ人もいればニートすれすれに会社勤めがイヤで、ずっと続ける人もいる。
食と住が賄われるので給料は小遣い程度と聞くが、それで十分なのだという。
みんな楽しんでいる。
非常にボランティア的なのだが、この場合個人の生き様なので災害支援とは趣が全く違う。
彼らの生き方のスタンスはやはり十人十色で話しを聞くのは面白い。
秋田県男鹿半島でもそんな話しをした記憶が甦る。
やはり末期のヒッピー達のような行き詰まりを感じる事もあるが、自力でどうにかしようとしているケースがほとんどで、大体は「この人は大丈夫だな」と思うことがほとんどだ。
ただ同じ無給労働でも、災害支援の緊張感と同列に考えることは出来ない。
「今これを運ばなきゃ特定地域で食べられない人が出てしまう。」
・・というタイミングで「自分は何故、誰のためにコレをやるのか」と考える暇はなく、みんな考えて無いと思う。
地震が来て被害を知りポンコツのミニバイクを直し荷台を改造し車に積み込む・・・。
・・知人の無事を知って気持ちに余裕が出来た後も「情けは人のためならず」の本来の意味や「やれる時にはやっておけ」、こういう組み立てだったと思う。
最初の「とにかく行かなきゃ」の衝動の延長だと思う。
そして一息ついた頃に「自分は何故、誰のためにコレをやるのか」みたいなことを考えたりもするのだろうが、そこから先はそれぞれの価値観によって枝葉に分かれていく。
そしてそれにはそれぞれに価値がある。
でも僕は最初の「衝動とその継続」の時間帯が好きだな。
支援食料を大型トレーラーから小型トラックに積み替えて、荷台のアオリをバタンと閉め、交通規制ギリギリの時間に送り出す・・。
こうしてたまに思い出す時も、本当に懐かしいのはその「衝動の記憶」なのかもしれない。

たしか翌朝は晴れたと思う。
順番は忘れたが、以後、阿蘇・やまなみハイウェイとかを走り回ったはず。
でも本場の長浜ラーメンは食べ忘れた!




このツーリングにおける主な行き先設定は雲仙普賢岳と諫早湾だが、今の記憶では真っ先に雲仙に向かったと思っていたのだが、関門海峡から上陸したはずなのでルート上、先に諫早に行ったかもしれない。
何ともルートの記憶が薄れている。
確かに関門トンネルを抜けて九州自動車道を走っていると、前方にスコール的な雲が見えて「やだなー」と思う間もなく土砂降りエリアに突入した、というのは確かだ。
以下土砂降りの中、走って走ってやっと諫早駅に辿り着いた所から記憶は始まる。

もう午後もいい時間になっていたと思う。
土砂降りで地図が出せず案内をたよりに取りあえず駅を目指した。
ずぶ濡れではファミレスやドライブインへは入れないし、何よりそれらはあまり無い。
あっても防水パッキングから財布を出すのも大変。
コンビニも無く飲まず食わずで到着。
5月のはずだが気温は低く、雨で体温は奪われ冷え切って衰弱してしまう。
駅舎の屋根のある所にバイクごと乗り入れて乾いた地べたにへたり込んで休むが、寒さでしばし動けなくなってしまう。
商店も無いので持っていたカロリーメイトを食べたと思う。
かじかむ手で地図を広げるが、パッキングから注意深く取り出しても見るためにかがむと濡れたカッパの襟から滴がバタバタッと落ちて地図を濡らしてしまう。
いつもそうだ。
駅と湾の場所を確認してタンクバックの地図スペースにパッキングの上から透けて見えるようにしまうが、メッシュ式の地図は角の必要部分が2ページまたがってしまい全部は見られないので駅周辺の方を必死に暗記して、マグライトをパッキングから出してポケットに入れておく。
急がないと日が落ちてしまう。
急いでヘルメットのシールドの撥水処理と曇り止めをする。
動くと襟足から染みこんだ雨水が冷たくて不快だがエイヤッ!と動き出す。





「諫早湾干拓事業」とは干潟、あの有明海のムツゴロウがいる干潟の一部を「開閉式塩受け堤防」で閉め切って干拓し、土地を有効利用しようという公共事業である。
やると決まったのは随分昔らしいが、住民、漁民、識者の反対に合い何度も方針の見直しを迫られてきた。
時代が進むと土地利用の必要性、有用性が疑問視され「誰がそれを求めているのか?」の説明が出来なくなっていった。
しかし、やると決まったら環境破壊されようが住民が泣こうが「やる」のが公共事業である。
理由を「治水」に変えて「同じ事をやる」方針を打ち出してきた。
洪水を避けるため・・とのこと。
これは「ダム問題」もそうだけど、それなら堤防を、の議論にいくはずだが、その後、このままごり押しされてしまう。
ここで注意しなければならないのはこの問題が一部漁民の利権と公共事業の有用性とで争われているかのように報道される事が多く、国側も漁業環境には影響が無いという説明を繰り返してきたが、これは明らかにおかしい。
漁業環境はあくまで懸念される問題の中の一つなのであって重要なのは、、湾を閉じれば閉じられた湾の中に居るムツゴロウは死ぬということだ。
天然の浄化機能を持つ干潟が死ぬのだ。
しかし何故か双方の利権確保ばかりが争点となり、声の小さい「環境」視点の声が軽視されてる感じがして常に憤りを感じていた。
そして翌97年4月、テレビでも放送された悪名高い「ギロチン堤防」により湾は閉じられてしまう。




・・・やっと動き出して駅を出発。NK-1レース仕様に改造した旧ホンダCB-1000-SFのエンジンはFCRキャブレターのファンネルから雨水を吸い込みボウボウと機嫌が悪いが幸い小降りになったので何とかなだめながら雨の中を進む。
ギロチンの場所は地図には出てないので見当をつけて探すしかない。
だんだん暗くなってきて不安でみじめになってくる。
農地が広がっていて遠くに見える湾の周りのコンクリートの護岸になかなか近づけない。
やっとの思いで通れる農道を見つけ護岸まで行く。
晴れていれば夕日が出ているであろう方角は護岸堤防の向こう側で、空はまだ明るさを保っているものの高くて向こうは見えない。
途中までよじ登って最後の壁、身長よりやや高い壁に手を掛けて、背中に雨水が流れ込むのも構わずエイッと上半身を乗り出すと、、、! すぐ近い位置に、湾をぶった切るように・・閉じる前の「ギロチン堤防」の姿が連なる墓標のように続いていた。





阪神大震災後、ボランティア活動のため休職する制度が有るとか無いとかという話を聞きかじり、ためしに会社に相談してみたが、やはり全く受け入れられなかった。
確かにやりかけの仕事を放り出して行くのはどうか・・というのがあるので当然なのだが、諦めきれずに週末単発でテント持ってバイクで行ってみた。
その時期の西宮の現場では週末の単発では長期の登録はできず、正直取り立てて書くほどの活躍はできなかった。(意地でやったけど)
でも現場で会った人たちとの交流はやはり得難い経験だったと思う。
ボランティアのありかたについては色んな意見が入り交じり、議論が飛び交い聞き応えがあって面白かった。
ここで会った人々はその後、僕の行けなかった「ナホトカ号海難事故救援」にも参加し、後に何度か再会することになる。
結局ここでは効率的に参加できないまま、個人的にその後数回訪れるくらいになってしまった。

その後災害時の行動や対策などに興味が出て、また報道と現場の違いも体験し、自分の目で見たいという欲求が増していった。
でも間違えるとただの野次馬になってしまうから、そこのところは考えた。
時期の記憶がかなり怪しくなってるが、逆算すると96年の春だったと思う。
ロング・ツーリングの計画を立てるにあたり、過去の災害現場とその対策に触れてみようというテーマを立てた。

それは噴火が89年頃から始まり91年頃にピークを迎え、95年あたりまで延々と続いて大きな被害をもたらした「雲仙普賢岳」と、災害ではないが、環境問題として「諫早湾干拓事業」の現場を選んだ。(^-^)
場所は共に九州である。
雲仙は被害規模がピークだったのは91年とのことだから僕が行った時は一応の終結後でボランティアについて直に現場を見る時期ではなかったが、当時地元で整わない救助環境の中で民間と行政の間に立ち、調整に奔走したガソリンスタンド経営者と従業員の方に会って話しを聞く段取りを事前に得た。
かなり生々しい話もあり聞き応えあったが、やはり印象深かったのは被害の大きかった住民と軽微だった住民との軋轢や、復興に向けての被災地を観光資源として利用するか否か・・これら住民たちの心の動きや衝突、葛藤や苦悩・・。
復興していく過程においての苦労話は実に興味深かった。
噴火期間が何年も続いたことも心労を大きくしたという。
島原、水無川は火砕流が起きた時にそれを海に流すためのルート。
本当に水の無い川が通っている。
側面のコンクリートは抉られていて凄いエネルギーを感じる。
写真はかなり撮ったが、デジカメ持ってない時期だったから写真はすべてアナログ写真で、どこかにしまい忘れてしまった。

このツーリングではこの後諫早湾に向かい、別の機会に下北半島六ヶ所村・もんじゅ・再処理施設・JTO(?)とか、また時期を前後して薬害エイズ訴訟各現場とか餘部鉄橋転落事故など各地を動き回る事になる。
写真を見れば色々と思い出すと思うんだけど、人間て自分のやった事けっこう忘れちゃうんだな、と思い、忘れないためにも少しずつ書いていこうと思う。