ということで雨の中、ギロチンをしばし眺める。
この時点ではあんなドミノ倒しみたいな動きをするとは思ってなかったのでモーター室とか無いのかな?などと考えた。
水位が高い時間だったからか干潟は水没していた。
カメラを出せず写真は無し。
人工の構造物は好きだが背景を考えるとヤなモノに見えた。
また体が冷えてきたのでもっと見たかったが宿へ行くことにした。

この後どうやって宿に着いたか覚えてない。
ユースだったと思う。
80年代中盤以降のユースは昔のような強制ミーティングとかは無く普通に使える。
でも昔ながらにスタッフとしてヘルパーさんがいる。
ヘルパーさんのスタンスもいろいろで、休みの日にそこの生活を楽しむ人もいればニートすれすれに会社勤めがイヤで、ずっと続ける人もいる。
食と住が賄われるので給料は小遣い程度と聞くが、それで十分なのだという。
みんな楽しんでいる。
非常にボランティア的なのだが、この場合個人の生き様なので災害支援とは趣が全く違う。
彼らの生き方のスタンスはやはり十人十色で話しを聞くのは面白い。
秋田県男鹿半島でもそんな話しをした記憶が甦る。
やはり末期のヒッピー達のような行き詰まりを感じる事もあるが、自力でどうにかしようとしているケースがほとんどで、大体は「この人は大丈夫だな」と思うことがほとんどだ。
ただ同じ無給労働でも、災害支援の緊張感と同列に考えることは出来ない。
「今これを運ばなきゃ特定地域で食べられない人が出てしまう。」
・・というタイミングで「自分は何故、誰のためにコレをやるのか」と考える暇はなく、みんな考えて無いと思う。
地震が来て被害を知りポンコツのミニバイクを直し荷台を改造し車に積み込む・・・。
・・知人の無事を知って気持ちに余裕が出来た後も「情けは人のためならず」の本来の意味や「やれる時にはやっておけ」、こういう組み立てだったと思う。
最初の「とにかく行かなきゃ」の衝動の延長だと思う。
そして一息ついた頃に「自分は何故、誰のためにコレをやるのか」みたいなことを考えたりもするのだろうが、そこから先はそれぞれの価値観によって枝葉に分かれていく。
そしてそれにはそれぞれに価値がある。
でも僕は最初の「衝動とその継続」の時間帯が好きだな。
支援食料を大型トレーラーから小型トラックに積み替えて、荷台のアオリをバタンと閉め、交通規制ギリギリの時間に送り出す・・。
こうしてたまに思い出す時も、本当に懐かしいのはその「衝動の記憶」なのかもしれない。

たしか翌朝は晴れたと思う。
順番は忘れたが、以後、阿蘇・やまなみハイウェイとかを走り回ったはず。
でも本場の長浜ラーメンは食べ忘れた!