もう過ぎちゃったけど、1995年(平成7年)1月17日火曜日は阪神・淡路大震災の起きた日。
死者6000人を越える大惨事であった。
そして兵庫県西宮市に住むオートバイ競技の関係の知人一家も家屋が倒壊する被害を受けた。
幸いひどい怪我は無く無事ではあったが家は大きく傾き修復不可能な状態になってしまった。
朝、ニュースをちょっと見てあれ?と思ったけどまだ様子が判らず、ラジオを持って出社、ヘッドホンでこっそりニュースを聴いていた。
朝のニュースを見た時点ではでは関西方面としか認識してなかったが、聴いていくうちに死亡確認者数が異常に増えていき、「西宮」の声を聞き不安になってきた。
当然電話は繋がらないので確認のための一回しかかけなかった。
西宮の知人と共通の友達に電話すると、ヤツもちょうどニュースで知って焦ってるところだった。
当時、若干安くなったとはいえ、携帯電話はまだ仕事用・金持ち用のモノで僕は当然持ってなかった。
友人が仕事用に持っていた携帯でかけてみたが、その時はまだダメだった。
そのまま不安な時間を過ごしたが、携帯が繋がったのは翌日くらいだったと思う。
何とか無事を確認したが家が壊れ、電気ガス水道全てだめで崩れたいえで夜露をしのぐ状態という。
その後、携帯電話も充電出来ないため不通となり、友達と話し合った結果、「ミネラルウォーター持って、とにかく行こう」ということになった。
地震から数日経ってTVの報道もマシな映像も増え、火災鎮火後、被災者の移動のための交通渋滞がひどいことも分かっていた。
当然、われわれが考える手段はオートバイである。てか、それくらいしか知恵が無かった。
最初は当時乗っていた初期型CB-1000-SFに1ダースの箱をくくりつけて行く方法を考えたが、二箱二段積みはやはり無理。
それに二台で行って二箱では少なすぎる。
倒壊したのはご近所もみんなそうなので一軒だけってわけにはいかないのだ。
結果想定数は増えたが、それは自分たちの能力の限界を思い知らされる場面ではあった・・。
そこで荷台のでかいホンダ・スーパーカブとヤマハのビジネス・スクーター用意して、それを当時乗っていた車、トヨタ・ハイラックス4WDピックアップに積んで大阪まで行き、そこからはバイクで西宮を目指そうということになった。
大阪にクルマを放置するわけにはいかないので淀川区に住むやはりモータースポーツ関係者の家に預けることにした。
ペットボトルの水は重いので何ダースも積むとキャリアがもたないため、溶接して補強デカキャリアを作る。
出発前に積載のシミュレーションをして、二台のバイクをクルマに積み込む。
ミネラルウォーターと食料はディスカウントショップで用意した。

取れた有給休暇は一日のみ、時間はあまり無い。
前日の夜中に準備して朝出社し終了後すぐ出発した。
たしか首都高に乗る前に「天下一品」でラーメン食べたような気がする。
「のびたラーメンを温め直したような変なラーメンだな」と思ったが、その後度々行くようになった。
東名は空いていた。
一気に走れる距離だが翌朝からバイクで走るので運転を交代して睡眠とりながら走った。
このクルマではトライアル競技用のマシンを運んで岩手の「イーハトーブ」の競技会や瀬戸内・小豆島の「オリーブ」の大会に出るためホントあちこち走り回った。
TZ125を積んでSUGOサーキットも行ったな。
大阪に着くとやや道が混んできた。
朝まで淀川区の友人宅で仮眠して、明け方出発することにした。

二台のミニバイクに山ほどの食料を積んで朝方出発。
ものすごい重さでタイヤがつぶれるほど。
パンク修理道具や工具は競技用をそのまま持って来た。スペアチューブは新品!
大阪は普段と変わらない様子。
でも現地に近づくにつれ、ニュースで見たよりひどい景色が目前に次々現れた。
こうなるとそれまで不謹慎ながら消せなかった好奇心的な感情は消し飛んでしまう。
火災やガス爆発は地震直後より時間差で起きるからナメてかかってはいけないし・・
そして震災後すでに数日たっているので被災者の人々も移動を始めていて、クルマは大渋滞、路肩をバイクの列が走るパターン。
路面の割れ目を越えられないバイクがけっこう居て、バイクの列も渋滞する。
タイヤを痛めないようにクギ等が落ちてないラインを通り、渋滞をかわして荷物満載バイクをクランク状に走らせるのはけっこう大変。
自転車は距離に限界があるし、クルマは使うべきでない状況・・というこのケース・・この震災時はバイクの「実用面」が今までになく注目された。
自衛隊のオートバイ部隊はすぐ派遣されてたし、その後すぐ消防庁スーパーレスキュー隊にもオートバイ部隊が組織された。
それ以前から「救急救命士」のバイク部隊等、動きはあったが「解らない人たちに解らせる」という効果がありすぎたのか、その後すぐ追加予算が付いたという。
何とか西宮到着。
景色が変わって目印が無く苦労する。
倒壊した街をさまよいながら走る。
携帯電話はすでに電池切れで繋がらず、行く事を伝えてない。もし避難所に行ってしまっていたらアウトだ。
でも知人は何とか崩れた家に留まっていた。(危険ではあるが)
家の外にいた知人はわれわれを見ると
「なんやおまえら!こんな所で何しとんの?!」
と言った。
「まあ入り、ウチつぶれとるけど」
と背を向け玄関に入っていった。
知人は少々偏屈な人物である。
バイクから荷物を下ろしていると
「何しとんの!もたもたせんと早よ入り、しょうもない!」
と言った(笑)
荷物を運び込むと
「水か・・○○さんち(隣家)も子供おるから助かるのう」と言った。
年老いたデカい飼い犬も無事。
状況の説明受けて、情報交換し電気が比較的はやく仮復旧するとのことで連絡方法等を確認し、自分達用に持参した食料で腹ごしらえして
いつもと変わらぬバイク話をして、早めに帰る事に。
帰り際、知人は
「あんがとな、また『島』行って走ろな」
と言った。
僕らが運んだのは僅かな食料と水だけ。
ご近所を併て持って数日だ。あとは何もできなかった。
当時、ボランティアのために全国から大勢の人が集まり救済のための大きな力となった。
その一方で「来たはいいけど何をすればいいのか分からない・・感動したい・・」みたいな「ボランティア難民」が世間の批判を浴びた。
僕自身もそれを見聞きして「しょうがねえな」なんて思ったりもした。
でも今にして思えばその場所の状況とそれに関わる人々の心の状態は一定ではなく、常に変化する。能力もさまざまだ。
それぞれの当事者たちがその後どう変化成長し、どのように行動したかなんて計れないのだ。
少なくとも自分の得た情報、目に見えたものだけで判断して分かった気にならない・・てのは大切かなと今は思う。
その後日本海のタンカー座礁だったかな?やはりボランティアは集まり、進化した新しい空気は生まれたという。
また、救済のためには「被災地以外の地域の経済が正常に回っていること」が前提である事を忘れてはならないよね。
帰り道、友人と2人交代で運転していったけど、不思議と眠くならず2人とも無言でおきていた。
このまま行けば朝出社前に数時間、家で仮眠がとれる。
「あんがとな、また『島』行って走ろな」
08年現在、手元にあるイタリア製の競技車両BETA-ZEROはもう古くて部品もなく、バンドを始めてから乗る機会も減ってしまった。
でもまた『島』に行きたいな。行けるかな?(^-^)
死者6000人を越える大惨事であった。
そして兵庫県西宮市に住むオートバイ競技の関係の知人一家も家屋が倒壊する被害を受けた。
幸いひどい怪我は無く無事ではあったが家は大きく傾き修復不可能な状態になってしまった。
朝、ニュースをちょっと見てあれ?と思ったけどまだ様子が判らず、ラジオを持って出社、ヘッドホンでこっそりニュースを聴いていた。
朝のニュースを見た時点ではでは関西方面としか認識してなかったが、聴いていくうちに死亡確認者数が異常に増えていき、「西宮」の声を聞き不安になってきた。
当然電話は繋がらないので確認のための一回しかかけなかった。
西宮の知人と共通の友達に電話すると、ヤツもちょうどニュースで知って焦ってるところだった。
当時、若干安くなったとはいえ、携帯電話はまだ仕事用・金持ち用のモノで僕は当然持ってなかった。
友人が仕事用に持っていた携帯でかけてみたが、その時はまだダメだった。
そのまま不安な時間を過ごしたが、携帯が繋がったのは翌日くらいだったと思う。
何とか無事を確認したが家が壊れ、電気ガス水道全てだめで崩れたいえで夜露をしのぐ状態という。
その後、携帯電話も充電出来ないため不通となり、友達と話し合った結果、「ミネラルウォーター持って、とにかく行こう」ということになった。
地震から数日経ってTVの報道もマシな映像も増え、火災鎮火後、被災者の移動のための交通渋滞がひどいことも分かっていた。
当然、われわれが考える手段はオートバイである。てか、それくらいしか知恵が無かった。
最初は当時乗っていた初期型CB-1000-SFに1ダースの箱をくくりつけて行く方法を考えたが、二箱二段積みはやはり無理。
それに二台で行って二箱では少なすぎる。
倒壊したのはご近所もみんなそうなので一軒だけってわけにはいかないのだ。
結果想定数は増えたが、それは自分たちの能力の限界を思い知らされる場面ではあった・・。
そこで荷台のでかいホンダ・スーパーカブとヤマハのビジネス・スクーター用意して、それを当時乗っていた車、トヨタ・ハイラックス4WDピックアップに積んで大阪まで行き、そこからはバイクで西宮を目指そうということになった。
大阪にクルマを放置するわけにはいかないので淀川区に住むやはりモータースポーツ関係者の家に預けることにした。
ペットボトルの水は重いので何ダースも積むとキャリアがもたないため、溶接して補強デカキャリアを作る。
出発前に積載のシミュレーションをして、二台のバイクをクルマに積み込む。
ミネラルウォーターと食料はディスカウントショップで用意した。

取れた有給休暇は一日のみ、時間はあまり無い。
前日の夜中に準備して朝出社し終了後すぐ出発した。
たしか首都高に乗る前に「天下一品」でラーメン食べたような気がする。
「のびたラーメンを温め直したような変なラーメンだな」と思ったが、その後度々行くようになった。
東名は空いていた。
一気に走れる距離だが翌朝からバイクで走るので運転を交代して睡眠とりながら走った。
このクルマではトライアル競技用のマシンを運んで岩手の「イーハトーブ」の競技会や瀬戸内・小豆島の「オリーブ」の大会に出るためホントあちこち走り回った。
TZ125を積んでSUGOサーキットも行ったな。
大阪に着くとやや道が混んできた。
朝まで淀川区の友人宅で仮眠して、明け方出発することにした。

二台のミニバイクに山ほどの食料を積んで朝方出発。
ものすごい重さでタイヤがつぶれるほど。
パンク修理道具や工具は競技用をそのまま持って来た。スペアチューブは新品!
大阪は普段と変わらない様子。
でも現地に近づくにつれ、ニュースで見たよりひどい景色が目前に次々現れた。
こうなるとそれまで不謹慎ながら消せなかった好奇心的な感情は消し飛んでしまう。
火災やガス爆発は地震直後より時間差で起きるからナメてかかってはいけないし・・
そして震災後すでに数日たっているので被災者の人々も移動を始めていて、クルマは大渋滞、路肩をバイクの列が走るパターン。
路面の割れ目を越えられないバイクがけっこう居て、バイクの列も渋滞する。
タイヤを痛めないようにクギ等が落ちてないラインを通り、渋滞をかわして荷物満載バイクをクランク状に走らせるのはけっこう大変。
自転車は距離に限界があるし、クルマは使うべきでない状況・・というこのケース・・この震災時はバイクの「実用面」が今までになく注目された。
自衛隊のオートバイ部隊はすぐ派遣されてたし、その後すぐ消防庁スーパーレスキュー隊にもオートバイ部隊が組織された。
それ以前から「救急救命士」のバイク部隊等、動きはあったが「解らない人たちに解らせる」という効果がありすぎたのか、その後すぐ追加予算が付いたという。
何とか西宮到着。
景色が変わって目印が無く苦労する。
倒壊した街をさまよいながら走る。
携帯電話はすでに電池切れで繋がらず、行く事を伝えてない。もし避難所に行ってしまっていたらアウトだ。
でも知人は何とか崩れた家に留まっていた。(危険ではあるが)
家の外にいた知人はわれわれを見ると
「なんやおまえら!こんな所で何しとんの?!」
と言った。
「まあ入り、ウチつぶれとるけど」
と背を向け玄関に入っていった。
知人は少々偏屈な人物である。
バイクから荷物を下ろしていると
「何しとんの!もたもたせんと早よ入り、しょうもない!」
と言った(笑)
荷物を運び込むと
「水か・・○○さんち(隣家)も子供おるから助かるのう」と言った。
年老いたデカい飼い犬も無事。
状況の説明受けて、情報交換し電気が比較的はやく仮復旧するとのことで連絡方法等を確認し、自分達用に持参した食料で腹ごしらえして
いつもと変わらぬバイク話をして、早めに帰る事に。
帰り際、知人は
「あんがとな、また『島』行って走ろな」
と言った。
僕らが運んだのは僅かな食料と水だけ。
ご近所を併て持って数日だ。あとは何もできなかった。
当時、ボランティアのために全国から大勢の人が集まり救済のための大きな力となった。
その一方で「来たはいいけど何をすればいいのか分からない・・感動したい・・」みたいな「ボランティア難民」が世間の批判を浴びた。
僕自身もそれを見聞きして「しょうがねえな」なんて思ったりもした。
でも今にして思えばその場所の状況とそれに関わる人々の心の状態は一定ではなく、常に変化する。能力もさまざまだ。
それぞれの当事者たちがその後どう変化成長し、どのように行動したかなんて計れないのだ。
少なくとも自分の得た情報、目に見えたものだけで判断して分かった気にならない・・てのは大切かなと今は思う。
その後日本海のタンカー座礁だったかな?やはりボランティアは集まり、進化した新しい空気は生まれたという。
また、救済のためには「被災地以外の地域の経済が正常に回っていること」が前提である事を忘れてはならないよね。
帰り道、友人と2人交代で運転していったけど、不思議と眠くならず2人とも無言でおきていた。
このまま行けば朝出社前に数時間、家で仮眠がとれる。
「あんがとな、また『島』行って走ろな」
08年現在、手元にあるイタリア製の競技車両BETA-ZEROはもう古くて部品もなく、バンドを始めてから乗る機会も減ってしまった。
でもまた『島』に行きたいな。行けるかな?(^-^)














