映画数本と来日アーチストのコンサートに行きました。
映画は、
「レスポールの伝説」
「アクロス・ザ・ユニバース」
「デトロイト・メタル・シティ」

コンサートは「べンチャーズ」。

観た順番どうりじゃないけど、まずは「レスポールの伝説」
ポール(マッカートニー)も出てきますよ(^-^)
http://www.ponycanyon.co.jp/lespaul/
ジャズギタリストであり、発明家でもあるレス・ポール氏の功績を讃えるドキュメンタリー。
ボディに空洞を持たない「ソリッドギター」を、恐らくは「量産初」とされるテレキャスターやポール・ビグスビー作のマール・トラヴィスモデルより早くに試作品を作っていたと思われる。
また多重録音の方法やテープエコーの原型も発明して高い演奏技術を持って新しい音楽として演奏して聴かせたのだからすごい。
現代の録音技術の礎だ。
93才の今も現役としてステージに立つという。



ギグの会場にキースリチャーズやポールが来てセッションやトークをするんだけど、もうロックの大御所が「ガキ」です(笑)
これは「スーパーロカビリーセッション」でカール・パーキンスを見るジョージ(ハリスン)の表情を思い出す。
憧れのスターに魅入る子供の顔(^-^)
その時のカール・パーキンスの談話の中にも
「このテクニックはレス・ポール氏が高価なエコーマシンを使って出した音を自分も何とか出せないか、と工夫してるうちに出来たんだ」
と語って披露したのが「世界は日の出を待っている」だった。
それをうっとり見入るジョージ(^-^)
こんなところでも「さらに上の世代」にも影響与えてるんだね。
「道具」と「テクニック」と「楽曲」すべてのターニングポイントになった人なんだね。

インタビューではひょうひょうとした語りで何だかすごくいい感じの歳のとりかただ(^-^)
70年代に出版された「楽器の本」あたりの若い頃のインタビューではすごく自己主張の強い感じの談話が紹介されていたから、気の強い人かな?という印象を持ってたけど、どうして近年のステージでのおしゃべりも「イタズラじいさん」みたいで楽しくて良かった(^-^)
昔、本で見た談話では
「テレキャスターは確かに売れた、でもレオ(フェンダー)はアイデアマンとしてはどうかな?だって彼は私の作業場に遊びに来ては窓辺にもたれて私の仕事ぶりをいつも見ていたからね(笑)」
みたいな感じだった。
ライバル心の表れかな・・?
レオ・フェンダーのすごさもハンパじゃないけど(^-^)
シカゴからニューヨークに移り住んだみたいけど、カリフォルニア?にも居たのかな?

印象深いシーンは、ベッドルームにずらりと置かれた古めかしいギターケース・・。
「ええと、これが・・」と取り出して見せたのは、これ多分「ザ・ログ」という組み立て式のギター・・。
ボディの左右を外すとネックからボディエンドまで一本の棒みたいになって、スタインバーガーもびっくり!
この「棒」がテレキャスより先に作られたソリッドギターなのだろうけど、売り込んでもライバルたるギブソンは量産を認めなかった。
その後、ブロードキャスター(テレキャスター)の成功を見たギブソンは慌てて「あれを持ってこい!」と言ったとか(^-^)
また別のケースをベットの上で開いて、出てきたのは・・ジャンゴ・ラインハルトから貰ったというセルマー!(修正しました・笑)
レス・ポール氏にも影響与えたギタリストがいるわけですね!
また度々「あのガレージ」とよばれるレスの作業場がそのまま残っていて、録音ヘッドを追加したテープデッキのチャンネルノブに「les」とか「mary」(元妻・メリー・フォード)とかマジックインキで書かれていてすごいリアル!
アセテート盤のカッティングマシンまで自作してたんだね!

ビートルズの前にプレスリーやチャックベリーがいてロックンロールの時代が始まるわけだけど、さらにそれ以前の時代のアメリカの音楽シーンが映像とともに見られて良かった。
ジャズ発祥の地、シカゴからニューヨークへと活動の場所を移すんだけど、
「金が無くなったらカントリーで金を稼いで、またジャズをやる・・」みたいなくだりが印象的だった。
なるほどそういう時代か・・!
ジャズは最先端の音楽だけど、稼げるのは白人のやってるカントリー・・。
そして本人曰く「その両方に意味があった」とも・・。



レス・ポールのレコードで僕が持ってるのは「チェスター・アンド・レスター」だけ・・。
高校の頃に買った。
ジョージも敬愛していたチェット・アトキンスとの競演だ。(買った理由でもある)
チェット・アトキンスもグレッチのアドバイザーだったし、すごい競演だ。
圧巻のソロバトルありで聞き応えあり。
といってもレコードなのでプレイヤー壊れてからずっと聴いてないので曲名とか記憶はいい加減ですが・・。

この映画は93才のレス・ポール氏の功績を讃える作りなので各エピソードに対する掘り下げは無く、苦労話や挫折的な部分はあまり出てこなくて一見順風満帆に見える。
でも各発明やシカゴからNYに進出する際の苦労話とかも見てみたかったな(^-^)

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シカゴと言えば「Route 66」!
シカゴからサンタモニカまでバイクで走りたい。夢だ。
廃道となってからも復活して今は辿りやすいらしい。
そしてハーレーじゃなくてMADE IN JAPANの4気筒で走りたい。
ホンダでもカワサキでもどっちでもいい。
3755kmだから距離的には手中にあるけどなかなかね・・。
走りきってサンタモニカのあの海岸のT字路にぶち当たったら感動的だろな(^-^)



日曜日午後から老人ホームの家族会に出席のため実家方面へ。
数ヶ月に一度、ホーム利用者の家族が集まって実情についての話し合いをする。
会議といっても今は利用者家族同士の懇親会的な意味合いが大きい。
でも最初の頃は話し下手の人同士、何を話したら良いのか・・所長さんの進行もスムーズとは言えず会話も途切れがち、みんな「自分の親をどうかお願いします」的な話を交互に繰り返す、何とも言えぬ、また、ありがちな光景だった(笑)

それでも一年弱の時間が経って少しづつ家族間の繋がりが出来上がってきている。
家が近い人は毎日面会に来る・・ヘルパーさん以外の人から見た親の様子も聞く事が出来る。
当然徘徊する事も知ってるし、その点に関しても理解ある上での話が聞ける。
今、徘徊は「近所」に留まっていて(笑)散歩レベルに治まっている。
話を聞いても気を遣ってくれて取り繕うような様子は無く、現状を語ってくれる。どうにかなっている。
これらの展開は僕が意図して出来ることではなく、非常にありがたい事だ。
懇親会的要素が大きいから今はまだ議論とまでは行かない雑談会だけど、毎日面会に来れる人同士はすでに親しくなってるし、言いたい事も言える雰囲気になってる。
文句の多いおじさんがいて、この人が口を開くたびにヒヤヒヤするけど、これもバランスだ。
「アットホームとナアナアはセットでやってくる」の原則はココも同じはず。

今思うのは、ここの老人ホーム、とても良いのではないか、ということ。
入所前はいろんな情報を経て、順番待ちとか施設の雰囲気とか費用とか、無知ゆえに不安要素が一杯だったが、そんな中、新設の施設ということでまだ評判とか実績のないココに決めることになる。
ここのホームは「グループホーム」という形態を採る小規模施設で利用者定員数は9名。
この人数で家庭的環境で生活するのがコンセプトの主軸である。
ホームの形態には従来型の他、「特養」や私立の高級ホームとかあるけど、それぞれの長所と問題点とを抱えている事を情報として得ていた。
そんな中、順番待ちとかもあって決して新しい形態としてのグループホームにこだわる余裕は無かったのだが現状を見てかなり期待していた。

何ヶ所か見学して、やはりグループホーム形態の中から選ぶことになったが、候補に残ったもう一つのホームはやはり新しく稼働し始めたばかりの所。
所長さんは元ベテラン看護士の女性。
介護技術や方針には絶対の自信を持っているようだった。
整った施設でキチンとした感じ。

そしてもう一つの候補が今居るココ。
ヘルパーさんたちは他の施設での経験者ではあるが経験値はさほど高くはなくシロートシロートした感じだが真面目でその経緯は全て話してくれた。
そして旧来の制度からより理想的な形態を求めてココへ来た人たちだった。

結果ココを選ぶことになるわけだが、両者の選択の大きなポイントは・・
前者の元ベテラン看護士さんの「絶対の自信」・・詳しく説明を聞いていくうち元看護士さんの自信が逆に不安感を感じさせた。
実際うちの母と対峙した場合を考えると相性的にも良いとは思えない。

そして一方、ココのヘルパーさん達の真面目さと素人っぽさに逆に安心感を感じた。

それぞれの見学を終わって、一緒に行った妹に、自分の意見は言わずに「どうよ?」と聞くと、自分の感想と全く同じ事を言った(笑)
決まりだった。
注意深く慎重に選ぶ余裕は無かったけど現状はこうなった。
何でも手放しで安心してしまうのは良くないけれど、家族会の人々も含め今の展開をありがたく感じてる。

そして今回、新しく入ったヘルパーさんを紹介された。
新しく、と言ってももうこの道7年のベテランで、その他に資格も取ってケアマネも経験している。
ケアマネやってればヘルパーより心身共に低負担で高収入だが、デイサービスやホームでも現場志向で、やはり現場に立ちたいと・・最後は前の勤務先の特養の方向性に疑問を持ってそこを去り、そしてココへ来た。
自己紹介で簡単に語ってくれた自己のスタンスに関する話にちょっと感動した。
それはごく普通の口語体で坦々と語られ、きらびやかな言葉など一つも出てこない、文字にしたらさらに埋もれてしまうくらい地味だけど、それは自らの行動に裏づけられたしっかりしたものだ。
ここには書かないけど言葉に重みがあると、そう感じた。
多分「幸せの在りよう」って色々あっていいけど、いずれの場合も心の中にこれが無ければだめじゃないかと、そう思わせてくれるものだった。


お互い人間のすることだから今後どうなるかは分からない、変化があれば何か対処を迫られるようなこともあるのかもしれない。
でも現状がこうである事が今はとてもありがたい。




母は昔保母やってたので簡単な伴奏ピアノは弾ける。
旧LAOXの6階催事場で投売りされてたヤマハ・ポータトーン。
自分では使う事も無く箱に入っていたが、去年ホームに持っていった。
セットしてやるとしばらく考え込んだあとポツポツ弾き始めた。



今回ホームへはバイクで行った。
帰り遅くなって、以前横浜ドリームランドがあったあたりの「原宿交差点」付近で雨に降られてしまった。
給油をかねてセルフのスタンドに入って雨宿り。
給油してる間にものすごい土砂降りに・・。
雨具は一式持ってたが降り方からしてすぐやむ感じだったので待つ事にした。
少ししてCB-750-Fが入ってきた。

20才の学生だという彼は江ノ島でのバイトの帰りとのこと。
なかなか雨は止まずしばらく750の彼と話し込むことに(^-^)
このCB750、4型のFCと思ったら装備品を見ると3型のFBだった。
CRキャブとヨシムラ管が付いていた。
このCB750Fは20代の10年間乗っていた懐かしい機種。
僕が乗ってたのは初期型のFZ。写真のとは色やライン取りが異なる。
あと同じ中古を計3台買って良い部品を一台に移植して乗っていた。
免許取立ての彼は今年このCB750Fで北海道に行くという。
さわやか系のいいやつだった。
雨が上がるころにはすっかり深夜。
路面が乾くのを待って横浜新道を2台で走り出す。
第三京浜の分岐でこの後本牧へ向かうと言う彼と軽く手を上げて挨拶して別れると東京までもう一息だ。
轍状に乾いた路面を選んでラインを取りアクセルを開ける。
明日も仕事だ。

行ったのは少し前だけど、谷根千の時に行けなかった「羽二重団子(はぶたえだんご)」に行ってみた。
だんだんとは線路の反対側。

あんこは薄味でさっぱりした甘さ。
白い方は「みたらし」ではなくて「しょうゆ」。
お団子というよりお餅みたいな感じ。
正月のあのお餅を思い出す(^-^)
でっかい楊枝が付いていて串から外して食べられるから女性も食べやすい。
美味しいです(^-^)

昔からの所在地がマンションビルになって、その一階に入ってるんだけど、入ってみると中庭があってなかなか良いです。
手入れは完璧とはいえないけど良い雰囲気です(^-^)
店内には当時の備品を使って「引き出し階段」なんかも再現ディスプレイされてます。
そして中庭の向こう側の空に時折UFOみたいなのが連続してシュンシュン横切りますが、それは少し離れたところにある新幹線の防音壁の上からのぞく700系新幹線のくの字型のパンタグラフだったりします(笑)
たまに猫が入ってきてまったりしてたりします。
静かだし、値段も安いしお勧めです。
JR日暮里駅近く(^-^)



ライブです!

プラスティック小田バンド

7月27日(日)
越谷アビーロード
http://abeyroad.jp/

OPEN  18:00
START 18:30

SUE--------------------(Wings)

A&S-------------------(Presley)

PIastic Oda Band -----(John Solo Warks)

三人編成でWingsをやるSUEさんと、あつし君としょうこちゃんのユニット、A&Sと対バンです!(^-^)
よろしかったらどうぞ~!


M電光という小さな会社があって、この会社で製造販売しているのがバイク用「エアバック・ジャケット」である。
もう10年くらい地道な開発と改良をかさねて今日に至る。



エアバック・ジャケットはクルマのエアバックとは異なり、オートバイの転倒時、ライダーの体がオートバイから離れるとピンが外れて作動し、圧搾空気の圧力でエアバックが膨らみ身体の要所を保護する、という製品である。
発売当時は荒唐無稽なアイデア商品という感じも多少あり、業界内では笑う人間もいた。



でも僕個人にとっては内心「期待」させる製品だった。
まだ高かったこともあり買わなかったが、改良型の内容が良くなって、値段も下がってきたので最近ついに「買ってみようか」という気持ちになってる。
もちろん「万能」ではない、装着すれば不死身になるわけじゃない。



作動前はお世辞にもカッコイイとは言えないベストのタイプ、頻度の高い通勤のミニバイク用になるかな(笑)
笑うやつもいるだろうが、開発者の情熱に対する敬意も込めて。(売れないから商売になってないらしい。でもめげない人たちなのだ。)
ワイルドなバイカーさんたちは笑うだろうけど、いつだってユーザーまでをも含めたギョーカイの片隅であらゆる分野の安全についてシコシコ考えてる人間はたくさんいる(^-^)
何らかのカタチでその恩恵を受けてる。そうして時代は進んできた、これは変えられない。


それから常にある心配事として、バイクの「パッセンジャー(同乗者)の安全」というテーマがある。
「バイク乗り全員がエアバック・ジャケットを装着するべし」なんて、とても現実的な話ではない。
そして運転者本人が自己責任の上で軽装であっても基本的自由としてあまり追求できない。
しかし自己で判断できない「同乗者」はどうか・・
年頃のお子さんのいる親御さんは思い出してほしい・・夏場になると短パンにタンクトップでバイクの後ろに若い子が乗ってるのをよく見かけると思う。
あの格好で転倒したら、アスファルトで出来た擦過傷は一生消えない。
クルマの助手席に乗せるのとは意味が違う。
これも「同乗者もまた自己責任」といえばそれまでだが、現実的に善し悪しを判断する知識がない・・。
免許が無ければ当然だ。教育のシステムも無い。
運転者には本来同乗者の安全を確保する責任がある、でも現実には自覚がないケースが多いと思う。
レザースーツはムリでも長袖長ズボンは最低限守りたい。
それが「自分」でなく「同乗者」の安全であるなら服装に「何でも自由」はないはず。
「自由の精神」とか「スタイル上のこだわり」や「楽しければいい」という考え方はコントロールを失ったバイクの上ではクソほどの意味も持ち得ない。
そこにあるのは慣性の法則と摩擦抵抗係数だけである。
そして、それにさらされるのは自分はもとより「同乗者」の身体である。
たとえ天才ライダーであってももこの現実にはあがなえない。
大口叩いたって事が起きれば成す術も無くアスファルトに放り出されるのだ。
「守るチカラ」なんて無い。まるで無い。


「ちょっとの距離なら関係ねえよ、送ってやるから乗れよ」
こういうシーンて、あると思います。
この時、同乗者の安全を考えられないライダーは十中八九「ヘタクソ」です。絶対。
というか、自分もみーんな含めて一般人ライダーはみんなヘタクソです。
だからこそ「パッシブ・セーフティー」を考える。考えて行動する。
だから年頃のお子さんをお持ちの親御さん(・・に限らないけど)こんなシーンで条件が整わなかったら「バイクの後ろに気軽に乗らない」という判断をその場で出来るよう、伝えて、話し合って欲しいです、難しいけど。
ケースが特定出来ない以上こういう考え方になっちゃうわけだけど、年間多くの事故ケースに関わって血だらけの装備品の状態を検証するけど、同乗者の受ける被害は見過ごされがちな「穴」なのです。
どうかご一考を!m(_ _)m

「それを気にする事が運転内容そのものを良い方向に変える。」


この「安全」に関わる話をもう何十年も伝え続けているけど、強制や無理強いと受け取られて反発を受けることもあります。
警察の取り締まりと同義に受け取っちゃう人もいます。
でも困っちゃうのはこの意味を深読みして、こちらからすれば、ホントにすっとんきょうな解釈をされると情けなくなります。儲けたいんだろう?とか。もうやめてほしいと思います。
これは「身内の安全」の話なのです。自分でない、「大切な人間の安全」についての考察なのです。
何十年も「真剣」に同じ話をしています。



これは谷根千のスペイシー125で触れた話にも関係する未来にも関わる事柄として、「頭」のみならず、「ひじ・ひざ」「脊髄」そして今、注目されてる「胸」。
装備品の具体的な話は書きませんが、大怪我をしても命が助かった場合、「後遺症を一生引きずるか、又は、後遺症無しか・・」この差は大きい。
もちろん生死をも分けます。
数字での立証なんて出来ませんが、確率の問題として大きくかわってきます、イメージでなく。
これを軽視するライダーの後ろにはどうか乗らないで下さい。m(_ _)m
今、伝えたいのはこの事だけです。






谷根千(やねせん)、谷中・根津・千駄木あたりにある、開発区域から外れて残った古い民家が建ち並ぶ路地が残る地域をこう呼ぶらしい。
このあたりを散策してきた。

と言ってもこの「谷根千」も「あじさい電車」も行ったのはもう何週間も前で、時期も前後している。
それぞれの標高のあじさいの時期だったので、もうだいぶ前だ。
「あじさい電車」の夜のライトアップも7月初旬でもう終わってしまっている。


夕焼けだんだん。
でも横にマンションが建っちゃったからもう前みたいな夕焼けは見られない。
マンションはほとんど空きが多いみたい。そりゃそうだ。


谷中銀座側から見上げる。
けっこうな人出!
写真忘れたけど、お約束のメンチカツ食べ歩き(^-^)
鈴木精肉店だったかな(忘れた)美味い!




赤いあじさい。
土壌の性質で色が変わるとか・・。

でも、あじさいの花言葉は「移り気」。
咲き始めてから色がどんどん変化するから・・。
でもフランスのあじさい花言葉は「忍耐強い愛」だとか。
よくわからんです。



お約束の駄菓子屋(^-^)


裏路地のガレージ雑貨屋にヴァン・マッコイのハッスルのLPが!
ハッスルのシングルは当時アメリカを中心に世界で1000万枚売れたとか!スゲー!

当時、ヴァン・マッコイとスタイリスティックスが共作でレコードを出して、その曲は「ディスコベイビー」らしい。(最近知った)
中学の頃、この「共作した」という点で雑誌とかで「ヴァン・マッコイとスタイリスティックス」・・という書き方がされていて、それを読んだ知ったかぶりばかりする友達が、
「ヴァン・マッコイ[&]スタイリスティックス」・・
というグループ名と勘違いして、さらにそれを「ポールマッカートニー&ウイングス」と混同して・・・僕に対し「ハッスルはポールマッカートニー&ウイングスの曲だよ」
と言ったので「ビートルズ側」の僕としては「そりゃ違うだろう!」と突っ込んでケンカになった。(ハッスルの悲劇)








額あじさい(^-^)(去年覚えた)



ホンダ・スペイシー125の残骸・・・時代の残像。
昔の人が考えた未来の乗り物・・・。
ストライカーとかサブネーム付いてたかな?

このデザインテイストの流れを汲む古いスクーター「フュージョン250」が近年、中古車市場で人気が出て「新車」としても復刻再販された。
対象ユーザーとなる若いライダーはフュージョンを選ぶ理由として「クラシカルな感じがいい」と答えた。
時代が一巡すると未来的も古風も無い、うっかりしたら周回遅れだ。
でも僕らが70年代頃に60年代の古いロックを求めて過去を紐解いたのも同じなのかも。
あの頃、年上世代たちは「何をいまさら・・」って言ってたもの(^-^)
マーケットを理解するには自分基準を取り払う事が大切だが、でも無くしてしまってもだめだね、、今考える未来は、環境性能を鑑みて内燃機以外の動力を趣向的にも受け入れられるかどうか。
また、自分でない、、家族等の大切な人間が乗るようなシーンを想定して、「手の届かない場所での安全」をどのように確保していくか・・・だろうな。
アクティブとパッシブ、両面で。







裏路地を歩き回る(^-^)





ねんねこ屋      オリジナル猫グッズと居間カフェ。 猫もいる(たくや)
 





10円まんじゅう食べ歩き(^-^) おせんべも。



ねこカフェ、ひさしの下のケージ部分は猫が自由に通れるようになっている。
次回入ってみようっと(^-^)



そして「だんだん」より少し離れた所にある秘密の夕焼けビューポイント
(^-^)


そして、だんだんの上でタムロする猫たちを見ながら焼き鳥で一杯やって帰りましたとさ(^-^)


前から知ってたけど乗ったことが無かった「あじさい電車」に乗ってきた。
箱根なんてしょっちゅう行ってるけど、いつもバイクかクルマだから箱根の近場に電車で行くなんてめずらしい。
しかも「小田急ロマンスカー」!超らくちん!



できれば昔の「のりもの絵本」に必ず出ていた50年代のアメ車みたいなデザイン・テイストの古いロマンスカーに乗ってみたかったけど、もうかなり前に引退したんだね。


「あじさい電車」は箱根登山鉄道があじさいの季節にやる季節イベント。
といってもあじさいポイントでゆっくり走るだけだけど。
ロマンスカーの着く箱根湯本から直接乗り換えてスイッチバックで登り始める。





古い車両に乗りたかったけどタイミングが合わなかった。

















鉄橋から下を見る。橋がショボイのでなかなかスリルがありまする。


スイッチバックや急カーブで登って行くので、さっき渡ったばかりの鉄橋をこんなアングルで見られます(^-^)


トンネルの中も急勾配で、何だかディズニーランドにある暗いトコを走るジェットコースターみたい(^-^)
順番的にはこのトンネル出て明るく見えるのが上の鉄橋だったはず。
ゆっくり走るからほんと遊園地的(^-^)


線路脇の葉っぱを横っ腹でこすりながら、あじさいの間からぬうっと現れるのが面白い。






これがスイッチバックの行き止まり。
ここから今度はバックしてつづら折りを登って行く。


肝心のあじさいは時期が早いのか遅いのか思ったほどのボリュームではなかった。
あと、二日とも晴天だったため雰囲気が明るすぎたかも


夜便はこんな感じ。
あいにく予約いっぱいで「夜のあじさい電車」には乗れず、普通便だったけど、一応ビューポイントで減速はしてくれる。





同じ場所で旧型車両に逢う。いい感じ。


そして急カーブを落ちそうになりながらトコトコ登っていく。

足湯でビール(^-^)

民家を改装した「NARAYAカフェ」
上手に注いだビールは泡がクリームみたいで美味い(^-^)




富士屋ホテル近くの写真館にあるジョンの写真。
1978年ならヤマハの400CCのバイクでこの旧道をよく走ってたよ。
いや、この時はまだ50CCか・・
こんなに近くにいたなんて・・


富士屋ホテルロビーのある建物。
あの頃はこの建物が何なのか知らずに旧道を走り過ぎてたな。
でもビートルズは一番聴いてた頃。
主に走ってたのは「R1・七曲がり」や「ターンパイク」のワインディング・ロードで、この旧道はあまり来なかったな。
夏は自動車工場やガソリンスタンドでバイトして・・部活辞めたのは翌年か・・
十代の頃から続く想い・・というのはどうしてこういう感じで染み入るのかな?
二十代以降に覚えた物事とは明らかに違う。




        夢に出そう。



   
できれば雨が降っていてほしかった、あじさいを見るならね(^-^)





帰りのロマンスカーはコレ!
晴れてしまったこともあり、またボリュームも飛鳥山のほうがあったかも。
でも天気と時期をみてまた来たいな、箱根あじさい電車(^-^)
(夏には箱根大文字焼きもあるとか!)








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一番好きな花はあじさいかな。
梅雨の季節に生まれたからか?
北区飛鳥山公園のあじさいが見頃なので行ってみた。
JR王子駅、電車から見えるあじさいは数も多くて見事。
でもこの季節にここを通過する機会も減って、もう何年も来てなかった。





あじさいを見るなら雨の日がいいな。
あじさいの青はカラーチャートなら紫まで行かない、でも単純に手前というのではなくて、わずかに白を加えた中間色。
それは厚い雲を通り抜けて地面まで届いた弱い紫外線で発色する蛍光成分を含んだ薄い青と、葉と花びらについた雨粒のクリアコートが作るハイライトを抑えたゆるい光加減の中で初めて、そのイメージを完結する。



例えば梅雨の合間の晴れた日は、日差しが明るくて直接反射が勝ってしまって乾いた感じ。
学童用の雨合羽は雨の日はチョコマカと目立つけど、雨上がりには日差しの反射にとけ込んでしまう(^-^)
でも白いワイシャツの繊維に含まれる蛍光顔料が店のブラックライトに反応する光り方とは全く異なる。



やっぱり曇りや雨の日の薄暗く拡散した光の中で、遠くに見える民家の庭先や公園の植え込みにぼんやり浮かぶあじさいがいいな。







王子には都電の中でも残り少ない併用軌道部分があって楽しい。
S字でしかも坂!
バイクで併走するタイミングになることも(^-^)
江ノ電の腰越もそう。


車体に広告の入ってないヤツでよかったな(^-^)


これはマンセルのカラーサークルなら青から赤側にぐるりと回ってピンクだな。
根津には真っ赤なやつもあった。
でも服やモノを選ぶ時は青を軸に反対の黄色側に振ったグリーン系の中間色を無意識に選ぶ。
中間色が好き。


雲がやや薄くなって明るさが増した時間帯。
明るさはこのくらいが限度かな(^-^)
でも葉が光を透してる。
このあと雨が来た。
バイクの時はあんなに雨が憎いのに・・。


今まであまり見たことが無かった「白」

花の中央には、わずか~に青みがある。





大好きな旧型車両
角が面取りされたデザインが好き。
帰りはコレで荒川遊園経由。
山下達郎の「メリーゴーラウンド」?(^-^)
このあたりにはなかなか人には教えない秘密のスポットがいくつかある
川面のスペースとかね


もうすぐ梅雨も終わりかな。
するとすぐに太平洋高気圧がぐーんと張り出してきて夏が来ちゃう。
夏は早いからな・・・。
中国・四川の地震の時、何もしなかった。義援金も出してないし、何も書かなかった。
義援金・募金の類は集めたお金の扱いの難しさから「どのように有効利用されたか」が追えないので出さない場合が多い。
たとえ国や自治体が主体でも管理・運用が難しいのだ。
時代・地域によっては被災自に即座に対応できるシステム自体が無い。
海外ではなおさらで解決には運用技術の向上しかないのだが、やはり大変な作業で上手くやるのは非常に難しいのだ。
そして岩手の地震。
岩手は仕事つながりの人々が大量に住んでるが知り合いには被害は無かった。
昨日までは情報収集でバタついたが仕事への影響は無かった。
山間部で何人かの被害者が出てしまったことが残念だが今回も「山古志村」の時とは細かいパターンこそ違うが地震発生時に危険なのは都市部に限ったことではない・・という事をつくづく感じた。
土石流もそうだが崖崩れで川がせき止められて溜まった水で洪水になったり山村が孤立状態になったり・・。
雪山の噴火などは一瞬で雪が溶けてやはり洪水になるという。
それは倒木などの丸太等を含む危険な洪水なのだそうだ。
住む場所って重要だけど肝心なのは地震発生時、自分や家族がどこに居るかが全てだね。
 中国も岩手地震についてももっと何か書こうと思ったけど、災害支援・ボランティア関係についての物事を書くのはまだ危険だと判ったのでこれくらいにしておきます。
後始末はまだ継続中なのだ。
 崖崩れの復旧作業は機重機レベルになるから、、きっと個人の仕事は少ないのだろうな。
今回も何もしなかった。
それでも時間やお金の扱いの方法論とか他地域における経済活動の維持とか、考えることはいっぱいあるよね。
まずは思いを巡らすことだな。






堀に浮かぶ舟からの低い視線だと街並みも違って見えるだろな(^-^)
大型バイクで近所の街を流して走るのとモンキーで走るのでは、いつもの道でも景色が違って見えるのと一緒かな。
モンキーというバイクはだから重要。いろんな事を気付かせてくれる。
クルマからの死角とか。
クルマとバイクもやっぱり違う。
視点を変えると見えなかった景色が見えてくる(^-^)



   












                   人力車(^-^)













時間は前後するけど、残った写真をいくつか載せてみます。



レンガ造りの酒造所。
近くに「いがらしゆみこミュージアム」があった。あまりよく知らないのでスルー。







ここではうどんは食べなかった。




      
これは神社の坂道。












こちらは東町の路地。





このあたりは倉敷というより下町イメージ。夕方、豆腐屋さん来るかな。













                  石垣の壁みたいな階段の上に・・お地蔵さん。








どうしても「帰りたくない」気持ちが先行してなかなか高速に乗る気がしなくて美観地区から別のエリアの街道を走り回ってまた戻って来たりして、うどんとかキジ丼を食べてたら夕方になっちゃった。
日が傾く頃やっと東京に向けて高速に乗る。
名残惜しい。

昼間は暖かかったのだが、しばらく走ると寒くてたまらなくなった。
夏でも寒いことはよくあるので予測して走り出す前にユニクロのフリースを下に着込んでいた。
でも新名神過ぎたころかな?寒くて寒くて、持っていた薄手のウインドブレーカーをジャケットの上からさらに着込む。
春先の装備に重ね着できるように大きめのサイズを小さくたたんで持ち歩いてるのだが、夏場でも必要なことは多々ある。
でもこの日はもう冬の寒さで、エマージェンシーの重ね着では対応不可能な寒さになってしまった。
このあとカッパも重ね着するが、薄手のモノを重ね着しても体との間に空気の層が出来なければ防寒効果は低く、着ぶくれてしまうだけである。
そこで昔、ウィンタージャケットなど高くて買えなかった頃に冬場対策でエアキャップや、出先なら新聞紙等を「ジャンパーの下に仕込む」、という貧乏ライダーにはお馴染みの方法を久しぶりにやった(爆)
サービスエリアの観光カタログをごっそりもらってゴソゴソとジャケットの下に仕込んだ。
風があたって冷える部分に入れると効果的。
暖かいとは言えないが、あると無いとじゃ雲泥の差。生死を分ける。
衰弱すると反応が鈍るからね。
この日の寒さはすごくてクルマやバスから降りた人が「寒い~」と上着を取りに車中に戻るほど。
その寒さはたしか関東でも数日続いたはず。

キャノンボールと言っても寒さでペースは上がらず、休憩を入れないともたないので遅いクルマとウサギと亀状態でかなり時間かかってしまった。
たしか倉敷→東京は780㎞くらい。
以前、四国の佐田あたりから一気に走った時が1000㎞ジャストだったから、こんなものだろう。
いろんなブロクで一気に1200㎞以上走った、という例も見るが、僕もやってみようと思いつつ「一息で一気走行の距離」はまだ1000㎞が最高かな。
行きの行程でやってしまうのはもったいないし、帰り行程では疲れが出てるので安全上好ましくないのでなかなか実行できずに来てしまった。

今回のツーリング、せっかく九州が目の前だったのに名残惜しい。
九州南部と沖縄・・あと南紀にまだ走ってないエリアがある。
そのうち行こうっと(^-^)




         サービスエリアのトイレにツバメの巣発見(^-^)



凍える寒さの中、走って走って夜中、東京着。
無事故に感謝。
少し寝て会社行きましたとさ(^-^)