「一つのアスペルガー像を作り上げている」というご指摘に対する私の考え | アスペルガー夫とカサンドラ妻についてとことん語るブログ

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アスペルガー夫、カサンドラ妻について私が思うことをいろいろと記述していきたいと思います。

私のブログについて、たまに

 

「アスペルガーは、このような人たちばかりではありません。一口にアスペルガーと言ってもさまざまな人がいます。」

 

という指摘を受けることがあります。

 

これについては、私の見聞の狭さということもあるでしょうし、文章の素人が書いているので、どうしても正確性に欠くこともあります。

 

ただ、あまりそういうことを気にしすぎてもブログは書けないので、そういう意見は真摯に受け止めるようにはしておりますが、同じミスを繰り返してしまうこともあります。

 

プロレスラーといえば、筋肉隆々で、いろんな技を持っていて・・・

 

と勝手なイメージを持って書いたとしても、「いや、プロレスラーでもあまり筋肉のついてない人もいますし、技が少ない人もいます」と言われれば、たしかにそのとおりです。

 

私にかぎらず、多くの人は、「○○という職業といえば」と想像したときに、勝手に一人の人物像を思い浮かべるのではないでしょうか?

 

私の「夫は最悪ATMだと思うことにしましょう」という記事も、私がその記事を書いているときは、一人の人物像を勝手に思い描いて書いていたりします。

 

そうなると、どうしても「いや、私の夫はそうではない」という意見も出てきてしまいます。

 

そこは、多少正確性に欠けても、「そうだそうだ、そのとおりだ」と思うカサンドラ妻もいるわけですから、一部のカサンドラ妻の視点で見た、一部のカサンドラ妻に寄り添った意見であるということで十分価値のある記事ではないのか・・という見方もできます。

 

なので、自分の擁護的な意見になってしまいますが、私の記事に対して「いや、私の夫はそうではない」と思うのなら、それでもいいのかなと私は思っています。

その記事を支持するカサンドラ妻もいるわけですから。

 

ただ、以前書いた「すべてのアスペルガータイプの夫に当てはまる8つの共通点」の記事にもあるように、いろんなアスペルガータイプがいるとしてもやはり共通点はあります。

 

アスペルガー夫といえば・・・と考えたときに、だいたい収まる「収まりどころ」はやはりあります。

 

〜今回の記事のまとめ〜

 

・ 「アスペルガーと言っても今回のあなたの記事のような人ももちろんいますし、その他にもいろんな人がいますよ」というご指摘には真摯に受け止める

 

・ 人間は「○○の職業」と考えたときにどうしても一人の人物像を思い描いてしまう

 

・ 多少、不正確でもその記事を支持してくれる人がいるのであればそれで十分じゃないか

 

・ 「いろんな人間がいる」と言ってもやはり「収まりどころ」はある