2023年9月30日、ある宙組のタカラジェンヌが自ら命を断ちました。
半年後、歌劇団は、彼女に長時間活動による過重な負担、パワハラにより心理的負荷が与えられたことを認めました。
また、こうしたことを黙認するような運営をしてきたことが原因として、歌劇団の責任を認めています。
10月8日に外部調査チームの発足について記者会見した当初、歌劇団はパワハラの事実を認めていませんでした。「(いじめの)加害者も被害者もいない」と言い切っていましたからね。
さらに、この時は10月24日(火)から宙組公演を再開させる予定でした。(結局、全日程公演中止になった)
その後、11月14日に「歌劇団とは関係のない」と劇団が主張していた外部調査チームによる調査報告書により、長時間労働はあったけれどパワハラは認められないといった趣旨の報告がされました。
歌劇団専務理事(当時)がパワハラがあったというのならば証拠をお見せいただきたい、と凄んでいましたね。
最終的には、3月28日に事実関係について前言撤回もいいところ、180度手のひらくるりんぱした合意書が締結されました。
こうなることはわかっていたはずなのに、半年もの時間を費やしたうえでの合意書締結です。
私は距離のあるところから、それでも30年以上、宝塚歌劇団のことはウオッチしてきました。
その距離感ある場から感じているのは、歌劇団は一切、何も変わっていないなぁ…という諦めの境地、でしょうか。
96期生問題の時に、歌劇団独特のローカルルールは絶対である!と宣言された気分になり、少なくともそこからは何一つ、変わっていないよなヤレヤレ…という感じです。
あ、音楽学校が緩めになってのびのび過ごしている、とか、そういう系のがあるのは緩めのウオッチャーでも認識していますよ。
でも私が言いたいのはそういうことじゃないですからねー。
最近、どこかの報道で見ましたが「劇団員を生徒と言いながら半人前扱いして社会的責任を取らせない」みたいな言葉、まるっと同意です。
先日、結構久しぶり?に、タカラヅカの舞台を見ました。
思いのほか前方の席で観劇し、そんな機会はめったにないので驚いていたのですが、冷静に考えるとこの座席で1万円もしない価格で見られることが驚異的だと改めて思いました。
あれだけの人数の役者たちがいて(もちろんスタッフの方もいて)、生オーケストラで、この価格。
事業部制になって採算を考えながらやっていくとしたら、どこかで何かが”泣か”ないと無理だろうな、としみじみ思いました。
(そりゃね、30余年前だと、まだ旧東京宝塚劇場があって、最安値のD席(銀橋の見えない3階席w)は1,000円!、最も高いA席も4,800円という超破格だったことを考えると「歌劇も値上がりしているよなぁ」って思いますがね、もう会社の仕組みがそれを許さないでしょう。)
今となっては、私にとって宝塚歌劇って「ダメすぎて傍から見れば離婚一択だし自分もそんな感じだけど、なんだかんだで書類上は離れていない30年連れ添ったダメ亭主」みたいなものでしょうか?
そこそこの距離を取りながらこれからも生ぬるくウオッチだけはしていくような気がします。
そして、このダメな組織の中で命を奪われた人がいること、絶対に忘れません。
ご冥福をお祈りいたします。