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経世済民を考えるブログ(毎週月曜更新中!)

緊縮カルトの嘘を打破し、財政出動、国土強靭化により日本の経世済民の実現を目指します!

私が子供の頃、テレビで盛んにノストラダムスの大予言なんてのがあっておりまして、

本気で信じてしまった私は世界の終わりを覚悟していたわけですが、

その時不安がる私に母が、

「予言が嘘だろうがなんだろうがどのみち死ぬんだから、後悔しないように生きなさい」

と言っていたのをよく覚えています。

 

まあ結局世界が滅びることはなかった訳ですが、

なぜあのような胡散臭い大予言が流行ってしまったかというと、

やはり共同体というものは常に破滅と隣り合わせな訳で、

共同体の破滅を意識する思考というのは、

DNAレベルで重要視されている行為なのかもしれません。

歴史的にもアステカでは太陽の消滅を防ぐ為に、

人間を生贄にしてその心臓を捧げていたそうですし、

色々とカオスすぎて面白いことになっているキリスト教の黙示録や、

日本で独自に解釈された末法思想も終末思想の一種と言えるでしょう。

 

現世的な話に戻しますと、

日本においては黒船来航以降、

海外との経済力の差を痛感し、

外人を排斥しようという攘夷思想が高まっていくわけです。

しかしさすがにすぐには無理だと気づいたので、

富国強兵でロシアに対抗する国力を蓄えていったというわけですね。

これも一種の終末思想と言えるでしょう。

当時は特に資源もないし場所も遠い日本には白人たちもあまり興味はなかったでしょうが、

植民地にされている東南アジアの現状も大体権力者の耳には入っていたでしょうし、

白人のお付きの非白人が人間扱いされてないの見たら、

「このままじゃやばい!日本が破滅する!」

なんてのは誰でも気づく話でしょう。

 

何故明治時代に国の借金問題が問題にされなかったかというと、

インフレで借金も目減りするというのが直観的にわかりやすかったというのもあるでしょうが、

列強の脅威という現実的な問題があったというのも大きいでしょう。

 

まあ昭和恐慌で緊縮財政やらかして一時は悲惨なことになっておりますが、

高橋是清の積極財政によりすぐに持ち直しております。

 

その後、世界的にも植民地の意義というものは減ってきた為、

白人の脅威というのはだいぶ薄まってきたわけです。

しかし軍部や国民は白人の脅威という終末理論に染まってしまっていた為に、

それに対抗するために周回遅れの帝国主義に傾倒し、

無謀にもシナ地域に国力を割いてしまい、

対外的にも孤立し、結果的に破滅的な敗戦を迎えてしまったという話ではないでしょうか。

 

もちろん日清戦争で勝利したのに三国干渉されたり、

日露戦争で多くの犠牲を払ったにも関わらず、

賠償金は皆無で、領土も大して得られなかったのが楔となり、

流した血を無駄にしないためにもシナ地域の利権から引くわけにはいかない、

という感情論も大きかったように感じてしまいますが。

ここの部分は鎌倉幕府が元からの防衛戦争で、

武士に与える領土がない為に崩壊してしまったという話にも似ていますね。

 

なんにせよ正しい現実的な終末思想というのは共同体にとって必要不可欠なのに対し、古ぼけていたり間違っていたりする終末思想というのは、

逆に国を滅ぼしてしまうこともある危険な代物と考えることができるわけです。

 

さて現代においては正しい現実的な終末思想というのは、

成長する巨大独裁侵略国家の中国による軍事的、

政治的、経済的な侵略あることは論を待たないはずですが、どういうわけか、

「日本が財政破綻する~」

といった明らかに間違っている亡国の終末思想が支持されてしまっている訳ですね。

 

どうも日本人はいまだに中国という国を

「どうせ日本にはかなわない」

と見下している連中が少なくないようですが、

科学技術や公共事業への投資を怠っている日本に対し、

中国は国を挙げてやっている訳ですから、

このままだと普通に考えて亡国です。

 

私が短大に行ってた頃、数学の教授が中国人だったのですが、

「この大学給料安いね~」

と厭味ったらしい鼻声で言われてびっくりしました。

日本が無駄な停滞をしている間に、

他国はどんどん成長していき、

格差も広がり、

日本は本当に貧しい国になってしまいました。

もう、財政破綻がどうのこうのくだらないウソに騙されている暇はありません。

一刻も早く中国という現実の終末に意識を向け、

国を挙げて対抗しなければ、

そう遠くない将来に日本は中国の一地域にされてしまうことでしょう。

 

 

 

違う!イレブンじゃないっ!!日本人だ!!

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誤解を恐れずに言うと、

私は中国共産党がそんなに嫌いという訳ではありません。

というのも、私が彼らの立場だったとして、

今よりあの国をよくできる自信というのがあまりありません。

寧ろ何かの調整に失敗して、ちょっとしたことで崩壊させてしまいそうな気がします。

(日本だったら鼻くそほじりながらでも大復活させる自信がありますが。)

 

個人的には、中国共産党は何だかんだでよくやっている部分も多いのではないかと思うわけです。

やり方は明らかに苛烈、強権的で、民主主義ですらありませんが、

あの国が民主主義を採用して果たして今よりよくなるのかというのも疑問ですし、

民主主義への移行する際にはそれなりの血が流れるのも避けられないでしょう。

中国にとっては、中国共産党独裁のままの方が良い可能性もあると思います。

(まあ他国のことなので割とどうでもいいですが)

 

もちろん中国は日本にとって敵国であることは論を待ちません。

領土的野心をあからさまに持つ中国に、

経済力で2倍以上抜かされて成長速度でも全く叶わない現実を知ってか知らずか、

「対話で解決できるから備える必要はない」

なんてのんびり構えてられるなら平和ボケもいいとこです。

かといって中国を批判したって大して意味はありません。

 

例えるなら中国は虎みたいなもんです。

言葉が通じる相手ではありません。

習近平のような個人はあるいは話が通じるかもしれません。

しかし中国共産党も一枚岩ではない訳で、

文民統制ができているという保証も全くありません。

そんな相手に

「おまえは最低の奴だーやめろー」

なんて言っても何の意味もありません。

本当に批判すべきなのは、目の前のもりもり食べてムキムキ筋トレしてる虎を目の前にしてのんきな緊縮やってる安倍首相のような連中です。

 

なのにネトウヨのようなおバカな連中は、

中韓やら民進やらを冷笑するばかりで、

全くと言って良いほど安倍首相を批判する気がありません。

それどころか、

「アベ首相のおかげでGDPが30兆も増えた!」

なんて自慢気に言ってる訳で、

もう呆れて何も言えません。

 

 

このグラ見ても同じこと言えるんでしょうか。

中国共産党を批判してる暇なんてもうないんですよ。

批判するならのんきな緊縮で日本経済を痛めつける緊縮教徒と安倍政権を批判しましょう。

 

現状維持=経済停滞=祖国滅亡!

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(今回の記事はデスノートのネタバレを含みます)

 

デスノートと言えば、名前を書くとその名前の人物が死ぬデスノートを手に入れた主人公の夜神月が、

キラとなって犯罪者を処刑していったり、

キラを捕まえようとするLと対決したりするちょっとダークな、

宗教、思想、心理バトル、ディストピア等色々な要素の詰まった

サスペンス風味の漫画であります。

かつて一世を風靡したので知っている人も多いでしょうが、

色々と考えさせられるストーリーであります。

 

そして今でも語り草となるのが、

キラとLのどちらが正しかったのか?

ということであります。

 

もちろん作中ではキラは明確に悪として描かれています。

主人公の夜神月はいきなり新世界の神になる!とか調子乗ったこと言い出すし、

その癖に自分の寿命を半分にすれば簡単にLに勝てるのに、

寿命にこだわって全然そうしようとしないし、

追い込まれた時の顔や、敵対する相手を殺害した時の表情もジャンプ漫画の主人公の中でもずばぬけて悪人面だし、

神の裁きに名前が必要とか馬鹿げてる、というLのツッコミも一理あるといえます。

またキラを捕まえようとしただけで、罪のない捜査官も大量に殺害しているわけで、

大多数の人はキラは悪だと感じることでしょう。

 

しかし一方でキラが犯罪者を処刑するシーンで神秘的で荘厳なBGMを流したり、

ラストでも神として崇められていたりと皮肉にも思えますが、

キラに肯定的なシーンも少なくない訳です。

またキラが悪人の裁きを開始してから、

戦争はなくなり、犯罪も減少していったのが、

キラの敗北によって再び世界は混迷してしまった訳で、

キラの存在によって世界がよい方向に向かっていたと考えることもできるわけです。

しかしそれでも私はキラは間違っていると思うわけです。

まず恐怖で縛るという発想というのは実は一般に思われているより抑止力とならないということです。

例えば警察に捕まるから犯罪はいけない、という発想では、

警察に捕まらなければ犯罪をしてもいい、

あるいは捕まっても良いなら犯罪をしてもいいということになってしまう。

だからこそ、結局は個人の道徳観や

社会の風潮の方がよっぽど犯罪抑止に重要だと思うわけです。

しかしキラという分かりやすい存在ができてしまうことで、

デスノートで殺されたくないから悪いことはしない、

というディストピア的な社会になってしまうと、

個人の道徳観が育たず、

激高した時や自暴自棄になった時に簡単に人を殺してしまうという恐れがあるわけです。

ここの部分は死刑制度と共通する問題な気もします。

 

他にも

一人の人間が世界の秩序をコントロールするなんてのは、

恣意的にならないかとか、

仮にうまくできたとしても夜神月が死んだ後の後継者はうまくできるのかとか、

キラ派と反キラ派の対立が起きたりしないかとか、

言論や政治の萎縮を招かないかとか、

いろいろ問題はあると思います。

 

結局犯罪の減少といった都合の良い数字だけ見ていても、

本当の経世済民というのはわからないということも言えるでしょう。

(実際には凶悪犯罪は突発的犯行か、サイコパス的動機が多く、

罪を重くしても犯罪件数が減るという事例は確認されてないようですが)

 

また、飲酒運転の厳罰化で飲酒運転自体は減ったけれども、

今度は罪を恐れてかひき逃げするケースが増えてしまったという問題があったりもします。

また失業率が低くても、失業保険の給付の条件が厳しすぎたり、

自分の適性に合った仕事を諦めてバイトにつかざるを得ない人が増えただけだったりもするわけです。

株価なんかもそうですが、

単純に円安になったのとアメリカにつられて上がってるだけで、

額面ではアメリカと同じくらいですし、

ドルベースで比較したら日本の方が全然ダメダメです。

そもそもファンダメンタルズに沿ってない株価とかどうでもよいという意見も最もなものです。

結局数字というのは多角的な視野から見ていかないと、

自分の都合のいいように考えてしまうので気を付けなければなりません。

それにしても本当に様々なことを考えさせられるコンテンツでありました。

加計学園での安倍総理の矛盾しまくったいい加減な答弁のせいか、

支持率は順調に下がっていっているようですが、

こういったことが過剰に問題にされるという現状は、

あまり好ましくないのではないかと思うのだよね。

 

そもそも政治家の素質というのは、

自国を守る、という共同体精神を持っているかどうかと、

その政策の有効性によって図られるべきであって、

忖度がどうたら利益誘導がどうたらばかりを問題にするというのは、

ちと的外れだと思うのだよね。

 

しかし大衆にとってはどういった政策が正しいかとかは、

全然わからないし分かろうともしない。

だから自然と政治家を人間性や、

好き嫌いで支持するかどうかを決めるようになってしまい、

肝心の政策はどうでもよくなってしまう。

結果扇動やルサンチマンを煽るのがうまかったり、

顔や雰囲気が良かったりな、

清廉潔白なだけで無能な政治家を支持してしまうわけだね。

加計問題もそういった背景があるからこそ問題にされているように感じてしまう。

 

もちろんそもそも国家戦略特区自体がおかしな制度なのは確かなのだけども、

政治家というのはどうあっても面倒くさい利害関係がつきものな訳でね。

 

例えば自民党がまともで安倍首相も財政政策も公共事業もやりまくってる世界があったとして、

その世界で安倍首相のお友達が建設会社の社長で、

野党が

「お友達の為にこんなに無駄な公共事業したんだろー!」

なんて騒ぎ出したとしたら、

ものすごく不毛ではないでしょうか?

 

別に安倍政権を擁護しているわけではないですが、

加計学園なんかもそういった発想と方向性は似ている、と感じてしまうのです。

できればもう少し別の形で支持率が下がってほしかった、

というのはあるんですよね。

 

漫画で例えるなら、必死に修行していざボスと戦おうとしたら、

ぽっとでの魅力皆無の奴が横から出てきて、

ボスがあっさり倒されてしまったみたいな、

なんとも肩透かしな感じがしてしまうのです。

 

特にワイドショーなんかを見ていると、

本当に必要な議論や報道というのがズレまくっていると感じてしまうのだよね。

まるで政治家の不祥事をなくせば日本も安泰だとでも思っているようにすら感じてしまうけど、

もしそうなら日本より遥かに腐敗しまくってる中国のような発展途上国が、

日本よりよっぽど成長してるのはどういうことなんだって話だけどね。

本当にばかばかしいと思うのだよね。

政治のありようによって、1億2千万人が影響を受けて、

国の将来も左右される訳で、

国会の議論というのは途方もなく重要なはずなのに、

高々100万円がどうたらこうたら、

お友達がどうたらこうたらの話ばかりされてもねえ。

もちろんそういうのが必要ないとは言わないけれど、

明らかにリソースを割き過ぎというかね。

 

まあなんであれ支持率が下がったのは悪いことではないですが。

結局政策そのものへの大衆の無関心さというのが、

日本の民主主義の迷走を招いているように感じてしまうわけです。

 

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さて、大方の予想通り東京都議会議員選挙では小池ファーストが圧勝してしまいました。

安心で安全な豊洲を問題にし、

自分が安心できない状況にしておいて、

安全だけど安心できないなどと宣う小池知事が何故躍進したのか、

全く理解不能としか言いようがないですが、

自民が支持率共々壊滅したこともあり、

私は今回の件を割とポジティブにとらえています。

 

というのも、政治屋として頭を抱えたくなるほど優秀な

(もちろん政治家としては最悪ですが)橋下と違い、

小池知事は政治屋としても政治家としても下の下だったのが、

たまたま前知事が嫌われ過ぎていたのでマスコミに持ち上げられたにすぎないからです。

 

橋下の都構想という手法はマーケティング的には上手い手法でした。

とりあえず反対されそうな構想を出して、

ほかの政党に反対させることで既得権益に抗う改革者としてのイメージを大衆に刷り込むことに成功している訳です。

また、維新がもう10年近く大阪で暴れまわった結果、

大阪の所得ランキングが5位から10位に転落しても、

既得権益が都構想を邪魔したからだ!

とか適当に言い訳すればいいだけなので攻守最強な訳ですね。

だからこそラストチャンスという言葉を反故にしても、

維新は都構想を未だに目指しているわけです。

 

一方で小池ファーストはというと、

例えるなら大阪都構想が実現してしまった維新のような状態な訳です。

一旦豊洲に移転して、築地に戻すなら、

築地を売却して豊洲の費用に充てることができないのですが、

財源はどうやって用意するんでしょうか。

オリンピックに向けた整備も滞っているようですが、

どうするつもりなんでしょうか。

 

間違いなく問題が顕在化してくるでしょう。

そしてだんだんと手のひら返しして小池知事を批判するマスコミも出てくるはずです。

そうなれば、やがて都民自身が安易な劇場型政治や、

ワイドショー型のマスコミの報道を批判するようになり、

自分たち自身の失敗も反省するようになるのでは、

というのが私が期待するところです。

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