進撃の庶民にて非常に考えさせられるコラムがあったのでリブログ。
(以下引用)
私は別に
「俺の貧乏な暮らしを楽にしろ!政府!」
とか
「俺を国家に縛り付けるな!政府!」
などと請求する気持ちは一切ない……ということです。
これだけは強く申しあげておかねばなりません。
と言うのも、私は自分の言葉が
「単なる個人としての不満を政府へぶつける市民」
に堕したり、
「不満を抱えた諸個人を数として動員し、チヤホヤしてもらうための迎合」
に堕すのが、こわいからです。
(引用終わり)
特にこの一文がビビっときました。
この一文はあるべき言論の姿を論じられているだけでなく、
民主主義の問題の本質というのも示されているように感じました。
本来経世済民というものを考えるとき、
自分の利害というものは抜きにして考えるべきな訳です。
一番わかりやすいのが竹中平蔵ですが、
彼が自分の為に規制改革をさせたとしても、
当然国民全体の利益になるとは限らない訳です。
ならば、庶民が自分の生活の為だけに減税を訴えるのも、
実は竹中平蔵と思考回路としてはあまり変わっていないという話になります。
もし減税が全体の利益にならないような状況であったとしても、
自分の生活だけ考えている庶民は減税を訴えてしまうのだから。
だからこそ、言論や民主主義において自分の利益や欲求は一旦抜きにして、
全体の利益を冷静に追及する必要があるというのは大前提中の大前提なはずです。
そこがあまりにも周知されていなさすぎるように感じてしまう。
一般に政治や経済の話が忌避されてしまう原因もそこにあるんでしょう。自分の欲求や願望をひけらかす場なんてのは、
その欲求や願望がどうでもいい人からしたら気持ち悪い場としか言いようがない。
そしてそういったむき出しの大衆の欲望と、
それを操る悪徳巨大資本の欲望が一致してしまったのが、
規制改革という訳であります。
結局大衆が自分の利益だけ考えている限り、
当然政治家や資本家や言論人も自分の利益の為に行動するので、
いいように操られてしまうという話な訳です。
結局今の日本の根源的な問題というのは、
国民総自己中の帰結なのだと思うわけです。
私自身も瞬きや呼吸を意識するかの如く、
自分の欲求のような矮小な物に捕らわれず、
一層意識して経世済民を考えねばならないと心を新たにしていきたい所存であります。
自分の為でなく、共同体の為の言論を!
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