カシンです。これはアタシ(50代・男)が、気になっていることを書くブログです。
米国社会のジェンダー認識は、強固な反対派が少数はいるものの、おおむね性多様性を認める方向で決着はついているのかと思っていたら。思ったより反動が大きいらしい、と感じたことを前回から書いてます。
今回から (3 回を予定?) はその後編にあたる、最近、米国で流行りだして警戒されてる gender exploratory therapy (GET) について。その前に背景説明。
今回は、米国でのホモフォビア (同性愛嫌悪) について。
ところで、「アメリカ」っていうと南北アメリカ大陸全体もそう呼ばれるので、アメリカ合衆国を米国と呼んでます。
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同性愛者を嫌って社会から排除しようとする「ホモフォビア」も、地域と時代で現れ方が違います。日本では「ホモソーシャルの維持 (男社会のお約束?)」と「世間体」とという形が主でしょうか。
米国のホモフォビアは、主にキリスト教右派の考えです。アタシがここで「米国キリスト教右派」と呼んでるのは、英語では「evangelical」で。同性愛は地獄に落ちる罪と聖書に書いてあって、同性愛者を社会から排除することが神の意思で人としての責務、と考えてる人です。その人たちにとっては、それが宗教的信念で、絶対に譲れない一線です。
声の大きい少数派、と思われましたが、トランプ支持層として影響力が意外に大きいことが、ここ 7、8 年実感されました。
そもそも聖書に「同性愛は罪」と書いてあるのか。もちろん、キリスト教右派の聖書には、そう書いてあるんですけど。じゃ、どの聖書にも、例えば、最初に書かれたときにも、そういう意味のことが書かれていたのかというと。それは話が微妙になってきます。
日本でいえば、憲法 24 条「婚姻は両性の合意のみ」は同性愛の排除を意味するのか、みたいな話に似てます。
聖書で「同性愛は罪」と書かれているとされる文章を「clobber passages」と呼び、この件に関する検索キーワードになっています (clobber は「容赦なく鈍器で殴り殺す」意、キリスト教右派の同性愛者に対する姿勢のことです)。
聖書には、同性愛は罪と書かれてる、いや書かれてない。は、米国では永遠に続いてるかのような論争で、検索すると、記事も本も無限に出てきます。
しかし「clobber passages 日本語」で Google 検索すると、事実上、ルカ小笠原晋也という方のブログhttps://lgbtcj.blogspot.com/2020/12/lgbtq-homosexuality.html
しか出てこないようです???。日本人のホモフォビアも、半分は明治期に欧米キリスト教文化から (残り半分は飛鳥時代に古代中国から) 輸入したのが元なので。日本人にあるホモフォビアの背景としても、アメリカ人を理解するにも。もう少し知られてもいい話なのかな、とアタシは思います。
つづく
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お読みいただきありがとうございました。
3/21 修正。男尊女卑は古代中国からですが、ホモフォビアが中国からは勘違い、で上の括弧内は削除します。