トヨタ産業技術記念館 自動車館④ | Z ライフ

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こんばんは


トヨタ産業技術記念館の続きです。



BX型トラック 1/5モデル


トヨタではじめて試みられた実物大のBX型トラックの木型モデル(複製)
1951年発表の実物大モデルで外形デザインを評価した。

SA型乗用車 1/5モデル

当時のエンブレムやホイールキャップ

純国産技術による乗用車開発へ
乗用車の生産が制限された中、小型乗用車の開発に着手、限られた資源と設備を有効に活用できる小型エンジンを開発し、小型トラックおよび生産を許可された小型乗用車に搭載して発売。その後、タクシー需要に支えられて急拡大する国内市場に対応するため、本格的なタクシー用に、より大きなエンジンの自主開発へと向かう。また大型トラックは、それまでトヨタ自工製シャシーに外部ボデーメーカーが車体を架装していたが、販売価格と品質保証の責任が持てる体制を確立するためにBX型トラックを初めて完成車として出荷、戦後の経済発展を支えた。





トヨペットクラウン
トヨタ初の純国産乗用車、AA型乗用車の時代から戦中戦後の乗用車生産禁止の時代も含めて不断の研究を続け、トヨタグループの総力を結集して完成させた。

シャシー
クラウンは、乗り心地が良く操縦安定性に優れており、悪路に強く、際高速度100㎞という設計方針られ基づき、構造が簡単で重量配分が優れたFR方式を採用。

これまでのトラックシャシーの流用とは全く異なる発想から乗用車専用シャシーを設計することとし、フロントにはダブルウィッシュボーン式独立懸架、リヤは3枚板バネサスペンションを採用するなど、悪路走破性と居住性の両立を目指してボディーとシャシーを一体と捉えて総合的な設計を心掛けた。

シンクロメッシュ機構付き3速マニュアルトランスミッション
変速時にギヤの同期噛合いを行うシンクロメッシュギヤを日本で初めてトップギヤ・セカンドギヤに採用。
ギヤチェンジの際、それまで必須だったダブルクラッチ操作を不要とし、より円滑なシフト操作が可能となることでトヨタ自工におけるイージードライブ化の出発点とも言える。

真空管式ラジオ(1955年)
高電圧のため、専用の電源ユニットを持っていました。オプション設定

ダッシュボード型クーラー(1959年)
助手席の前に取り付けられた冷房専用の空調機。オプション設定

丸型ヒーター(1955年)
エンジン冷却水の一部を丸型ヒーターのコアに送り、室内空気と熱交換する仕組みで、現在のヒーターの原型。オプション設定

R型エンジンの開発
1947年にSA型乗用車やSB型小型トラックに搭載されたS型エンジンに代わるトヨタの主力エンジンとして1953年に開発された。排気量は当時の小型車枠上限の1500CCでした。

国際水準のスポーツカーの開発
1963年に日本で初めての本格的自動車レース、第1回日本グランプリが開催されると、その圧倒的な速さを間近に見たことで一般市民にもモータースポーツへの関心は急速に高まり、高速で走ることのできるスポーツカーに対する ニーズが高まってきた。そこでトヨタは、蓄積してきた技術を発揮し、市街地や高速道路では快適に走れ、必要最小限の部品を交換するけでレースに参戦可能な高性能スポーツカー「トヨタ2000GT」の開発に着手した。 
1965年の第12回東京モーターショーに出品されたのち、国内外のレースに参戦して改良を重ね、1967年に発売。なかでも1966年に行われた「高速耐久スピードトライアル」は、国際自動車連盟(FIA)、日本自動車連盟(JAF)公認のもと挑戦し3つの世界記録と13の国際記録を樹立したことから、トヨタの技術水準の高さが世界的にも実証された。また、若者を中心に小型スポーツカーに対するニーズも高まってきたことから、トヨタはパプリカをベースとした廉価なスポーツカー「トヨタスポーツ800」を開発した。これは排気量800ccと小型ながら、優れた空力デザインとアルミパネル等を使った軽量化が功を奏し最高速度155km/hという高速性能と、リッター31kmという低燃費を実現したことで、人気を博した。


トヨタ産業技術記念館は、まだまだ続きます。


ではでは