The struggle with Air Cooled Z SIDE:B The Hidden code -4ページ目

what a hard to live

ここのところ、大変なことばかり起きてます。
さかのぼってみると…

■台風が来た!
みなさん、ご無事ですか?
我が家は、そんな天気なのに、それぞれの用事で出掛けてました!
しかも晩飯食べてから!!これから台風が来るぞというのに愚かな一家です。


■スライドドアが開かない!
ハイゼットの後方ドアが開かなくなりました。
最初は、ドアを閉めてもロックされずに開いたままになっていて、何度やってもドアが閉まらず、試しにドアのロックをかけて閉めたら「ガチャリ」といって開かずのドアになってしまいました(涙)。
昨日、カギのレバーを引っ張ったら左のドアは開いたのですが、今日は両方とも開きません(号泣)。
4人乗りなのに2シーター状態です…


■慢性筋肉痛、関節炎
ジムで厳しい課題ばかり登っているので、指が痛いです。
背中も首も腰も痛いです。
やっと天井からぶら下がって進むようなルートを行けるようになりました。


■叔父さんが亡くなってしまいました
母方の叔父が末期がんで亡くなりました。73歳。
父の大学の同級生でもあった叔父さんで、つまり、この人が叔母さんと結婚しなかったら、うちの父も母(叔母の妹)と結婚しなかったわけで…
末期といっても、ガンと分かったのが死ぬ10日前。
あっという間でした、ホント。


■1時間半くらい歩きました
仙台の街中で2時くらいまで呑んで、タクシー代をケチり、歩いて帰宅したら1時間半近くかかりました。
酔っ払うと、人間は普段やらないこともやるようです。
約9kmほど歩き、お陰さまで、股関節が痛くなりました。

なにか、いい話はないもんですかね(苦笑)。

こういう体制だから、もしかすると平穏なのかもしれないが、ツケは必ず回ってくる

古賀茂明さんが、経済産業省を辞職するのだそうです。
公務員制度を改革しようと頑張っていた公務員の官僚です。

もちろん、そんなことを「おおっぴら」に頑張ってきたもんだから、風当たりは強くなる一方。
天下りのシステムを改善しようとする古賀さんに厚遇をちらつかせて天下りさせようとする霞が関も「マンガかよ!」と思ったりして…

昔だったら、暗殺されるんでしょうか?
今だったら、痴漢容疑で逮捕とか、ゴールデンスランバーみたいな手口を使って社会的に抹殺するのかもしれないけど、いまのところ、それはないみたい。


こういう人が出てくると、官僚って一生懸命にツブしをかけるんだな、と思うけど、そんなの民間だって同じだよね。
業績悪いから「サービス残業して頑張ろう」とか「ボーナスカットでもしょうがないじゃん!」みたいなことを言いだしたら、会社でも居づらくなるもんね。

結局「会社という組織でどんなことを実現すると富が得られて、どんなふうに分配されるのか」が明確になってないから「一時間だまってそこにいれば、金がもらえる」という発想になるんだろうけど。
だから、ダメなのかもしれないし、そういう「物事の本質に気づかない」「もしくは考えようとしない」連中がたくさんいて、普通に何の疑問も持たずに税金払ってくれる連中でごった返していた方が、国としてもやりやすいもんね。

よくよく考えてみれば、さ。
小学校でも中学校でも高校でも、マクロの三権分立は教わったけど、その意味合いって、ちゃんと先生が教えてくれなかった気がする(Takedaは学校サボってばっかだった、というツッコみは無しでお願いします)。

社会科見学で消防署や交番を訪問することはあっても、たとえば合同庁舎で国家公務員の仕事っぷりを見ることはなかったし、そもそも霞が関がどんなところで、閣僚との関係はどうなのか、それと国会はどう結びついて…という相関をちゃんと認識している人っているのかね?


そんなこと、下々のお前らが考える必要はない。
国家公務員試験をパスして、組織の中でも競争して、上に昇りつめたオレたちが考えてやるから、黙って税金払っておけばいいんだよ。


という思想が受け継がれて、今のシステムが確立されていると個人的には思ってるのだ。
これは別に公務員に限ったことじゃなくて、組織は、それこそ10人くらいの小さな会社でも同じようなものだろう。


だって、教育がそうだからね。
出来る人を伸ばすのではなく、出来ない人に合わせる、というスタイルの義務教育に始まってるし。


徳川家康が、天下統一してから、ずっとこんな感じなんじゃないかとね、我が国は。



そのかわり、金太郎アメみたいなシステムだから、誰かがコケても、全体が大コケすることはない。
首相がコロコロ変わっても、生活に支障はなかったでしょ?
自分でも笑っちゃったけど、古賀さんの本を読んでいて「当時の福田首相が」というくだりがあって「誰のこと?大昔の首相じゃなくて?」と頭が混乱しました。
頭の中で映像が浮かぶまで、10秒近くかかりましたよ(笑)。


まあ、そんな話はどうでもよくて、官僚たちが「これでいいのだ!」と思っていたシステムも、あてはめようとする社会が変われば合わなくなるわけで、良識ある人々は「これをずっとやってたら、日本はダメになるんじゃない?」と思い込み始めた。

しかし、さすが公務員試験をパスして、それからも切磋琢磨した人たちである。
あまりお勉強をしなかったり、頭の回転の悪い人々をケムに巻くのはお手の物。

力でねじ伏せるだけじゃなくて「こういう風に直しました」とルールを書き換えたふりをして、実は何とでもなるようにしちゃっている。



そんなにアタマがいいなら、もっと皆の幸せにつながるようなシステムにすりゃいいのに


そう考えるのは凡人です。
アタマのいい人は、どうしたら、苦労しないで今のままお金をもらえるか、ということに凡人がビックリするようなパワーを注ぎ込むのです。


アタマもよくて、心も優しい人は、得てして組織のジャマモノになります。

数々のドラマやマンガで描かれる坂本龍馬も、そういう役どころでしょう。
アメリカの危機を幾度となく救ったジャック・バウアーだって、最後はアレですから。

「全体の利益」という曖昧模糊としたものを大義名分に、既得権益にぶら下がるわけです。


天下りも悪いことばかりじゃないけど、いまは推進すべき時じゃない。
縮んでしまった日本経済を、再び上昇させるためには、民間だけじゃなくて公務員だってガマンするところはガマンしましょう。

そう言って、自分の組織を敵に回してしまったのです。
ごく当たり前の発想なのですが、通用しなかったみたいですね。

結局、居場所がなくなって退職することになりました。
霞が関では、今日あたり、週末でもあるし「祝賀会」が開かれるんじゃないすかね。

目の上のたんこぶがいなくなった。
外に出してしまえばこっちのものだ、と。

オレたちは、今まで通り変わる必要がない、日本もそう簡単に大崩れすることはない。
オレたちが定年退職する頃までは、もつだろう。

なんて話をしながら、呑んでたら、まさに「売国奴」ですねー。
でも、何故か、往々にしてこういう人たちがうまくやり過ごす国なんですよねー。

他の国だったら、標的になっちゃうのかもしれませんけど…
残念ながら、日章旗を縫い付けた特攻服をひらめかせてバイクを乗り回す憂国?の若者も、そういうところに怒りをぶつけることはしないんですね。

お勉強をしないから、標的が何なのかも分からないんですね(笑)。
全然見当違いの相手にパワーをぶつけているから、もったいない。


フジテレビに抗議活動するのもいいけど、全国ロードショーなんて大半がハリウッドムービーじゃないですか。

アメリカの国債は、もう買わないと発言した途端に、酩酊会見で晒しものになり、ついには良く分からない最期を迎えた中川昭一については、一部では様々な憶測が飛んだけど、誰もが「あれはあやしい」とは言わなかった。
むしろ「あんな大事な会見で呑んだくれやがって」と騒がれたわけで。


話はちょっと違う方向にそれたけど、とにかく、変わろうとすると「やめろ、やめろ」というのが、この国で、しかもアタマのいい人たちは、百も承知で現状維持なんだから大したものです。


と、まあここのブログでしか書けないことでした(笑)。

マイケル・サンデルの究極の選択とか

NHKでマイケル・サンデルの究極の選択という番組を放送していました。
東電の原発問題、あれは誰が補償すべきなのか。
国債?株主?税金?ユーザー?
補償される金額に差を設けていいのか?
今後原発を維持していくのは反対か賛成か?
原子力発電所が自分の庭先に建設されたらどうするのか。
リスクを金銭でアウトソースしてもいいのか?
それが東京・福島ではなく、金のある国、貧しい国という構図だったら?
契約による自由意思?
選択の自由のないおしつけなのか?
金を払っただけで、責任を回避できるのか?
責任とは何か?数字で指し示すことができるのか、倫理の問題なのか。

興味深かったのが、割と多くの学生、日本の学生もそうだったけど、今後も原発を維持していくべきだと答え、しかし、それが自分の家の近所に建設されても構わないと言った学生が、ほとんどいなかったことだ。

東北学を提唱する赤坂憲雄氏は、東北を中央の植民地と表現した。
東京で使用する電力の為に、福島が巨大な迷惑施設を引き受け、そのかわり巨額の補助金が落ちる。
原発のお陰で「出稼ぎに行く必要もなくなり、ここで暮らすことが出来るようになった」と語る住民もいた。
さっきの問題ではないが、巨額な補助金というのは、何処までを埋め合わせることが前提なのだろうか。
自動車保険のように、最悪の場合を想定されているのだろうか。
保険は事故が起きないと支払われないから正しく比較はできないかもしれないが、ドカンといく処までは、誰も考えて来なかったのではないだろうか。

仮設住宅にしても、ある人はプレハブのような利便性の悪い処に住み、またある人は、大手住宅メーカーが手掛けた木造のキレイな仮設住宅に住んでいる(知り合いでも、木造が当たった!と喜んでいましたが)。
赤坂氏は「住む人はこれを毎日見せつけられる。行政はなんと残酷なことをするのか」と怒りをあらわにする。

福島の原発被害者(被災者とは言わない)、沿岸部の被災者が感じていることは「行政の対応の悪さ」だ。
われわれ個々の人間は、とりあえず市町村役場に行って窮状を訴えるしかない。
しかし、彼らも県や国の方針が決まらなければ、何も言いようがない。
大臣たちが被災地を視察しても「何の役にも立たない。パフォーマンスはいいから、はやくいろいろなことを決めてくれ」と冷ややかな声を浴びせられるのは、そこなのだ。

おそろしいニオイ、おびただしい量のハエ、暑さにめまいを覚えながら、いまなお沢山の人々が暮らしている。
いっそ、そういう場所に議員宿舎を建てて、あらゆることに見通しがつくまで、そこで国会を開けばいいんじゃないだろうか。
「この問題は、じっくりと考えて答えを出さねば…」なんて悠長なこと、言ってられなくなるはずだ。

どうしようもない怒りの矛先をぶつけられずにいる人々は、何万人もいると思う。
経済に翳りはみえたとはいえ、貧乏な国家ではない。
なのに、復旧どころか、先の見えない不安におびえる人々が、大勢いる。
「雇ってやるから、こっちに出てくれば?」という企業はあっても、被災地復興の為、東北に拠点を置きます、といった会社がどれくらいあるだろうか。

本当に、地震や津波から命からがら逃げてきた友人や知人たちは、人生観が大きく変わったそうだ。
今までの知人とは明らかに変わったことが、その言動から、強い磁力でも発生するように、すごく伝わってきた。
生死の境目に直面して、これまでの価値感が破壊されたのだ。
そんな目に会わなくても、変わった人もいる。
たとえば、仙台に転勤してきた東京の知人が、現状をまったく理解しようとしない本社の姿勢に失望して、長年努めた会社を辞めてしまった。

もちろん、この不幸をバネにして前に進もうという人々もいる。
ただ、多くの人々は、まだ鬱屈とした心のまま、悲しみや怒りや負の感情を抱えたまま生きていくしかない。
とんでもなく難しいことなのかもしれないが、政府がこのままズルズルと問題を先延ばしにしていけば、負の感情は、別の形で花開くかもしれない。
そんなことは、絶対にあってはならないわけで、物理的な復興・復旧作業は限界があるにせよ、それを指し示すプランは、1秒でも早く作り上げなければならないと思うわけです。

日帰り記録更新

長年、世話になった人が退職し、仙台から神奈川県の実家へ帰るというので、引っ越しを手伝いました。


昼過ぎに仙台を出て、7時半くらいに神奈川到着、んでいま、仙台に到着。

行きも帰りも睡眠休憩とったものの、なかなかハードでした。

時速100キロ出ないハイゼットでのロングドライブは、つらかったなあ。

デミオなら、サクサクと走れたのだが、引っ越し荷物満載だったので。

やっぱり、1000円札は、拾った方がいいのかもしれない…